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【物語】東京五輪と祖父を想いながら

東京オリンピックの卓球競技を見て

審美眼について考える 

つい先日始まったかのように思えた東京五輪も終わってしまいましたね。
開催の度に感動させられることがあって、特に今回は日本人の活躍が目立ったこともあって印象に残るオリンピックだったように思います。

私としては卓球混合ダブルスの水谷隼選手、伊藤美誠選手ペアが取った金メダルが一番感動したシーンでした。
中学校で始めて以来、ずっと卓球を愛してきた身としてはこれほどまでに日本人が活躍する状況を信じられなかったし、ドイツペアとの対戦での絶体絶命の状況を乗り越えてからの中国ペアとの決勝で、最強としか思えない相手に見事に勝ったのは衝撃的でした。
あの見事なコンビネーションと気迫は、卓球を知らない多くの人にも感動を与えたのではないかと思います。

私は思うにこの組み合わせのペア以外では成し遂げられなかったし、2人が同じ地に生まれて歳の差はあっても絆があったこと、またそれぞれに異質な才能をもったプレーヤーであったこと、そして水谷選手の築き上げてきたものによる引き出しの多さが相乗効果をもたらしたことによって、掴み取った金メダルだったように思いました。

そして、卓球男子団体3位決定戦での韓国戦での第4試合にて水谷隼選手が、これまで2回試合をしてきて勝ったことのないチャン・ウジン選手に3-0で勝ったのも感動的でした。
大活躍した2016年のリオオリンピックの後から数年後は目のこともあって調子を落としているように見えた水谷選手でしたからどうなるかと思っていましたが、あれほどフィジカルの強い選手にも積極的な攻めによってストレートで勝ったのは本当に素晴らしかったです。

他の選手もそれぞれに悔しい想いをした点と、前回のオリンピックかで悔しい想いをした点を挽回した点とがあったようです。
私は私で、前回のオリンピックの時は会社員生活でしたので日中にテレビを見るわけにもいかず(すみません、スマホで少し見てました)、こんな素晴らしいプレーを同時刻に見ることが理想でしたが、今回の東京五輪ではそれを叶えることができて良かったです。

【物語】東京五輪と祖父を想いながら

全然次元が違いますが、私も先日富山の県民体育大会卓球競技の部に砺波市チームで参戦してきました。
中学校、高校と卓球してきて、その時期は本当に熱心に励んできていたのですが、高校の時に開催されたインターハイが石川県であって、当時既に活躍していた同い年の水谷隼選手のプレー間近に見て、物凄く刺激を受けたものです。
その頃からの卓球界(男子)は後ろに下がって打ちたがる人が増えて、明らかに後陣からの華麗なプレーが魅力的な水谷選手の影響だったなと感じました。(逆にカットマンの自分が前に出てプレーすると優位になるという変なこともありました)
日本人が世界という舞台で当たり前のように活躍している、というのが私には新鮮で、当時はYouTubeも出始めでさほど盛んでなかった時期でしたので、海外サイトを見て各国のオープン大会等の動画を見ていたのですが、水谷選手の名前を見てプレーを見るたびに感激したものです。

時は流れ、大学に入ってからは卓球と少し距離が開きましたが、いつもネットで卓球の動画だけは日常的に見ていました。
そして5年ほど前には地元中学校のコーチをさせて頂く等の機会がありました。
そんな時に大変勉強になった本があり、それが水谷隼選手自ら書いたこの2冊の本でした。

初心者への卓球指導方法・コツ

「試合で勝つための99の約束事 卓球王 水谷隼の勝利の法則」
「卓球王 勝者のメンタリティー 蒔ける人は無駄な練習をする」

ここには従来の教育方法を見直す良い視点が沢山盛り込まれていました。
結構無意味なことが多いことにも気づかされ、自分が現役時代にできていたこととできていなかったことが浮き彫りになりました。
この本から学んだことは卓球のコーチングや仕事にも生かされています。
特に書道教室の運営の仕方においても、この本の存在とリンクしているところが結構多いです。(実際に他のジャンルの方からの好評も得ているようでおすすめです)

そんな凄すぎる同い年の水谷隼選手ですが、引退される予定とのことで寂しく感じています。
目の症状が原因ということなので本人にしか分からない苦しみがあると思いますし、残念ですがこうして集大成として迎えた東京五輪の舞台でカッコよすぎる姿・結果を出したのを見させて頂いて嬉しかったです。
できることなら彼の卓球ゼッケンを一度書いてみたいと思っていたのですが、その想いは叶えられなかったようです。(その想いで一時期当方でも揮毫サービスをしていました。今は中止。)

感動とは、心が動くとは

7月は投稿が少し途絶えていましたが、私の祖父が卓球の県大会の夜に亡くなったことが理由です。
同じ屋根の下で大切な時間をずっと過ごしてきた存在でしたから、色々と振り返りこみあげるものも多かったです。
元々透析を19年も続けてきたことや、ここ数年は入退院を繰り返していたこともあり、「あとどれだけの時間を祖父と暮らせるだろうか」と思ったものです。
その中で自分にできることは少ないのですが、出来る限りを尽くして、後悔のないようにと拙速に動いてきました。
結果的に山町ヴァレーでの展示や北陸銀行・けんしんでのロビー展に足を運んでくれたり、立山の看板奉納や三笑楽酒造のロゴ完成も報告できました。

絶景写真

先にも少し触れたように、私は元々会社員生活を6年やってました。
入社1か月後に曾祖母が亡くなり、当時の仕事のことを思うと、「大切な人が亡くなる時にまで自分は仕事に追っかけ回されるのか」と嫌な感情を持ったものです。
そして、会社員の仕事ではお世話になった家族に成果を報告もできないし、その点でもこの書道家という仕事は私にとっては天職のように感じたり。

何故祖父にそこまでの想いがあるかと言うと、書道をすることを小さい頃から応援してくれたからです。
小さい頃からいつも教室で書いた作品を先生に「ジジババにお土産で持って行けや」と言われて、持っていくと喜んでくれて、ファイルに入れて、時には表装して大切に保管してくれました。
そして毎年誕生日には祖父母が先生に相談して、筆をプレゼントしてくれたり。地元の書道教室ならではの先生と家族の関係がありました。それも書に理解のあった祖父あってのものです。
先日家の蔵の掛け軸をほとんど開いて中身を確認していたのですが、高校2年生の時に書いたものが残っていて、祖父が残していてくれたんだなと思って見ていました。

【物語】東京五輪と祖父を想いながら 

社会人になってから毎日書道展に出し始めた理由も富山で見てもらえるから、それだけです。入選すれば飾ってもらえる。
足が都合悪くなって見に行けなくなれば、競書誌を頑張る。それもまた、写真に載れば頑張っている姿を見せられるからです。
そして事業に打ち込んでこられたのも時を急いだからです。 

祖父とのお別れの時は涙が止まりませんでしたが、不器用で口数も少ないながらも愛情を与え続けてきた祖父との日々が思い起こされたものです。
人は無意味に泣くことはできません。
理性というものがあるから、嘘では泣けはしません。
そこに物語があって感情が重なり、体が反応するのです。
今回の祖父との別れのなかで感じたのは、哀しみは人間の感情の中で最も大切なものであるということです。
そこには何も抑える必要もないし、それぞれに物語があるのだからその人らしくそれを受け止めていくほかありません。

そんな悲しみの最中に筆を取り感じたのは、私が愛する行書の名品、「枯樹賦」「文皇哀冊」といった古典は、どれもが悲しみが表現されたものであると気づきました。
「藤井さんの書いた枯樹賦や哀冊が好き」と言ってくださることもあり、今後更に大切にしなければならない古典だとも感じました。

「南無阿弥陀仏」六字名号掛け軸

今回祖父が亡くなったということで床の間には自分の書いた南無阿弥陀仏の掛け軸を掛けました。
これは自分の書いたもので大切な人を送りたいという意味もありますが、真宗王国と呼ばれるこの地に住む人間としてもその仏教の概念や、どういう気持ちで書けばよいかと考えて書いたものです。
これも単に上手い人の真似をして書けば良いという浅はかなものではなく、褚遂良の「文皇哀冊」のような古典をベースに書き上げたものです。

こうして振り返れば、これまで辿ってきた道は誰かのために頑張ってきたものであって、やはり目に見える形で感謝の気持ちを伝えていかなければならないと感じた次第です。
自分と祖父の中での物語のなかで、多くを占めたのは書道という存在でした。
だからこそ、書道という舞台でお見せする。
六字名号の掛け軸、祖父も喜んでくれればと思います。  

「物語」

【物語】東京五輪と祖父を想いながら

私もずっと熱い側の人間として生きてきたような気がしますが、そのおかげで想いを共有できる良い友人達に出逢えてきました。
そうでも無い人にも沢山出逢ってきていますが、これは見ているとそれぞれの人の生きてきた過程にあるようです。

「体育会系は良い」とか何とか言われたりしますが、そもそも論で「何かに励んできた人は良い」という話です。
何かに懸命に励んできた人には、そういう人の気持ちが分かるという点で良いです。
でもそれも好きなことだけでなく、色んな時に励んでいるかがキーポイントかもしれません。
その中でも「必死に物事に励んできて、何か大きなことを成し遂げた人」というのは違います。
私の場合は「必死に物事に励んできても、いつになっても上手くいない人」というパターンでしたね。

感性というものは色んなことに共有されるものなので、今回のようなオリンピックの感動的なシーンが沢山あっても何も感じないような人が一定数いるのは事実です。
また私が心を込めて書いている書作品を、涙を流して喜んでくださる人もいれば、何も感じない人もいるわけです。
別にお涙頂戴な感じでやっているわけでも無いですが、できれば「藤井に書いてもらいたい!」という方をお相手した方が、私もより気持ちが入るというものです。

一方で自分はどうなのでしょうか。
先日のバレーボール男子、ブラジルにストレート負けではありましたが、かつてないほど強さを見せたチームだったので、個人的には良いものを見せて頂けたなと感じました。
それは、私が小学校の頃バレーボールをやっていたからです。自分が関わっていたからこそ興味関心があって、知らず知らずのうちに自分の中に物語が作られていきます。
その頃、地元でVリーグの試合があれば見に行ったりもしたものですが、全日本チームが国際大会で活躍しているのはあまり見たことがありませんでした。
そんな時期を長く見てきているので、尚更今回の男子チームのプレーは魅せられましたね。

ネットニュースで金メダルの人の名前を見て「おっ」と思うことはあっても、分からない競技だと高揚感は少し劣ります。
しかし、その選手が辿ってきた道を紹介している記事などを見て、その勝利を決めた時のシーンを見たりするとグッとくるものです。
何か自分になぞらえて考えられることがあるからでしょうか。
それぞれの選手に物語があって、それぞれに想いがあるのだなと思うと、より深いオリンピックに感じられました。

けんしん藤井碧峰書作展2021作品紹介 

私が書く作品のほとんどのものの内容は、自分で体現できること書いています。
つまりは実際の生活とリンクしていることです。
これは起業当初からずっと同じことでありますが、その書自体が良いことは当然ですが、作家側に物語があることによって、更に作品を求める側にも物語があることによって、より作品の価値が増すということです。
それは出来栄えや金額だけで語れるものではありません。
書道家というものは変化し続けるものなので、嫌な見方をすると最新が最良となりがちですが、こうして作品に物語を作るようにしておくと、その時その時の自分が表れるし、その時しか書けないものになります。

けんしん藤井碧峰書作展2021作品紹介

また、私は極力自分で言葉を作るようにしていますが、これもまた一つ一つの作品に物語を作るためです。
そこには噓偽りのない自分があるべきであり、これによって唯一無二の仕事ができるということもあります。

良き作品を生み出すためにも、色んな感情・物語を受け入れ、共感できる人間でありたいものです。
遠回りしてばかりの道ですが、これからも沢山のことを経験して物語を作っていきたいですね。

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

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