藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
奉納登山のその日、令和元年8月11日から1年が経ちました。
先日立山に登ったこと、また一緒に奉納登山をした土肥さんの投稿を見たりなんかして一年前の色んな感情が思い起こされてきます。
もう過去のことだから言えるけど、あの頃新聞出たりとか銀行ロビー展したり、高岡の山町ヴァレーに出店したりして、外野から見れば勢いづいているように見えたかもしれないけど、生活は本当に厳しくて書道の仕事の合間を見つけてはバイト、バイト・・・。
バイトがメインなのか書道がメインなのか分からない生活をしていました。
しかも書道家らしからぬ外での力仕事ばかりで、真夏の時期は本当にどこから元気出せば良いのか分からない中でやっていて、でも食っていくために必死だったなと思います。
そんな頃に実施したのが奉納登山。
土肥さんあの時ずっと厳しい顔つきだったけど、自分も引きつった顔してるなと今になって思います。
誰に依頼されたわけでもなく、自分たちで企画して行った奉納登山。
お互いに使命感を感じて、自分自身に賭ける気持ちだとか、日頃の立山、自然への感謝だとか色んな感情が滲み出たものでした。
令和元年8月11日、0時に立山駅をスタートし13時に山頂に着いて、あの時無事に奉納登山が成功して安堵していました。
じゃあこの奉納登山の失敗はどういう状況だったのか。
今になってこんなことを思ってしまいました。
それは、諦めること。
諦めた瞬間に失敗です。
そしてその瞬間にダサい人になってしまいます。
大体の物事はタイムリミットさえなければ、諦めずに挑戦し続ければ成し遂げられるはずです。
そうして多くのものが発明され現代は数百年前と全く違う世界になっています。
何もしなければ楽かもしれない。
何もしなければ傷つかないで済むかもしれない。
だけど何も変わらない。
むしろ悪くなるかもしれない。
奉納登山の時、立山黒部アルペンルートの弘法(1,630m)付近で既に普段で言う限界のようなものを感じていました。
でも実際には気持ちがそうさせているのであって足はゆっくりでも動くのです。
悲しいことに大して肉体的に恵まれていない私でも諦めさせてはくれない屈強な体が、99歳で亡くなった曾祖母譲りで存在したようです。
雄大な景色の前では我々人間などちっぽけな存在なのですが、自分の中で大きな大きな仕事をすれば、小さなことにガタガタ言ってばかりいる人が馬鹿らしく感じます。
もっともっと大きな世界を見て自分の小ささを知って、自分の限界を感じて自分の弱さを知って、腐っても腐りきらないほどの根性が無いと、この厳しい世界は生きていけないのだと感じざるを得なかった奉納登山でした。
少なくとも何もしないというのは無しだ、若いうちは尚更。
CLOSE