藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
10月20日のことですが、雄山神社前立社壇(立山町岩峅寺)へ作品を奉納させていただきました。
その際に奉納の儀式もしていただきました。
実にお気に入りの額で、この額を見てから立山看板奉納登山のことを思い出し、真夜中の滝見台(称名滝を眺めるところ)でひと息つき、4人で綺麗な星空を見上げた時のことを詩にして書いたものです。
何歳になっても大自然の中には若く、青かった頃と変わらない心に帰らせてくれる何かがあります。
それを見失うことなく時を重ねていきたいと願っております。
こちらは昨年書いた作品で、何度か違う作品に貼り替えようかと思いましたが、どことなくはばかられてそのままでした。
そしてこれは雄山神社にあるべきかと思い、奉納の相談を神職に相談させていただいたところ、ご了承をいただきまして奉納が実現しました。
未だに当時の新聞等のことを思い起こされてお話してくださる方がいらっしゃることもあり、この作品を見て何か感じていただくことができればと思っております。
こういう奉納に関しては自分が”こうしたい”という意志でやるというよりかは、”そうしなければならない”と運命的に感じた時に行うものだと思っており、今回もまたそのようなものを感じて実現したものです。
拝殿に飾っていただけているようですので、また御参拝の際は気に留めていただければ幸いです。
雄山神社前立社壇Instagram:@iwakuraoyama.official
自分の住んでいる地域かつ生まれ育った地域の公民館まつりで、3年ぶりに行われました。
半ば強引に作品展示を実現させたところがありますが、これからも永くこの地域で生きていかなければいけない自分としては絶対にやらなくてはいけないと感じて、精一杯を尽くしました。
先日の投稿で触れた富山県信用組合での作品展示が11月2日に終わり、夕方に作品を搬出するとすぐに公民館で展示作業をし、3日から6日までの展示会場を完成させました。
これまでは1日だけの開催だったのですが、9~15時まででは短く、更に搬出作業を早めに始める人がいるということで、【見てもらえない作品展示なら意味が無い】と私が事前会議で述べたことにより4日間展示が実現しました。
その結果凄まじいハードスケジュールでしたが、公民館まつりの原理原則を考えるとそれが正しいと思ったのです。
書の展示コーナーの監督が元師匠から自分に変わったので(前回もほぼ自分がやってたけど)、自分のアイデアで新しいやり方を模索するしかありません。
より多くの人に見てもらえる作品展示を、また分からない人にも楽しんでもらえる作品展示を。どういった展示がこの場で正しいのか。
銀行展で飾った作品が沢山手元にあったこともあり、色んな作品を展示したのが良かったようです。
自分の教室の地域関連の生徒さんにも時間が無いなか、作品を書いていただきました(右から4〜6番目)
また、元師匠のところの仲間2人にもお願いして出していただきました(右から7〜11番目)
私は地元では書道教室をしていないので、中野地域に関する生徒さんの作品を集めるということで進めましたが、3点あるだけでも大切なことです。
こういった機会を活かしてでないと書く気にならないものもありますからね。
初日だけでも地域の沢山の方にお会いし、お話しするキッカケになりました。
なかには北陸銀行砺波支店での作品展示の際に見てくださっていた方がいて、初めてお会いしてどうだったか等お話が聞けて嬉しかったです。
また休日しか見に来れない生徒さんにも見ていただけました。
言葉で”色んな活動をしている”という景色の見えにくい話をするよりかは、実際の作品を見ていただくほうが早いものです。
だから身を削っても積極的にやる価値が大いにあります。
公民館まつりに関しては地域行事ということもあり、世間的には能動的にそれをしたいという人が少ない行事だと思います。
プレイヤーでない方も多いでしょうし、実際に掛けている手間に対してさほどリターンは見込めないものなのかもしれません。
でもそこに良き未来へと繋いでいくための、発展的かつ戦略的思考が今我々プレイヤーには求められているのではないでしょうか。
私においては一人でも書に関心のある方が増えないと、仕事になりませんし生き辛さを感じてやっていくことになります。
それが自分の住む地元ですらそうであれば、何のための活動をしているか分からなくなってしまいます。
こうして公民館まつりに関わる掲示物を書くことも、書の活きる場として確認していただくには大いに意味のあることです。
10月21日は中野村では獅子舞でした。
祭り自体は繁忙期のためあまり協力はできなかったのですが、元師匠がいない今、祝儀御礼の紙を書くのは私の仕事になりました。
結構苦労したのですが、そんなの見る人には分からない話です。
それでも人目につくものを、誰か字書きをしていた人の後に書くということは、非常に責任のある仕事です。
とか言いながら限られた紙の枚数で上手くいかなかった点もあるので、まだまだこれから、最高の仕事を求めてやっていきたいです。
11月6日に金沢市薬師谷公民館にて行われました。
こちらは今回1日開催で、前日に搬入して金沢教室のある9日まで特別に飾っていただきました。
各自仕事が忙しいということもあり、全員に書いていただくことはできなかったものの、9日の金沢教室では展示作品を見ていただく機会が作れました。
アグレッシブな金沢教室は古典臨書を積極的にされている方が多く、また半切(画像の138x35cmの紙サイズ)を日々書いている方も多いです。
また文化祭を機に半切を書かれたり、行書を書き始めた方もいて、とにかく貪欲に学ぶのが金沢教室のスタイルです。
昨年もそれなりの作品数だったのですが、これだけ軸作品の数が多いと迫力が素晴らしいですね。
私の教室では何も強制はしません。
「やりたければやれば良い、だけどこうした方が良いと思いますよ」という提案だけはします。
なので早くから創作もさせませんし、ひたすら地味に古典臨書をベースに基礎力を上げます。
でもそれで楽しいから、金沢教室ができてから2年半ほどでこれだけやっていただけているんですよね。
出来栄えレベルに関してはそれぞれに異なってきますが、このレベルだから飾ってはいけないとは言いません。
良いところも駄目なところも、ありのままにさらけ出して現状を受け入れることが大切です。
何よりも半紙の月例の課題から抜け出せない人が沢山いるなかで、これほど積極的に他の課題を見つけて挑戦する姿が美しいと思います。
この良い雰囲気を大切にして、もっと教室を盛り上げていきたいです。
9月23日と結構遡りますが、立山町芦峅寺のKOTELOにて行われる文化祭で、作品を展示していただいておりました。
廃校を再活用するKOTELOが出来てから1周年ということで行われた文化祭だったのですが、懇意にさせていただいている社長さんの紹介でここで行われたフォーラムに参加し、こちらの施設に出逢いました。
今回ご縁でお呼びいただき、作品を展示させていただきました。
上手く写真が撮れなかったのですが、こちらは展望部屋?へと繋がる階段です。
他にもKOTELOに関連する方々の作品が飾られていました。
これを展示したのは自分を知っていただくため、というよりかは何かのご縁で知り合えた者としてこの場を盛り上げる一人になれれば、と思っての参加なので展示はシンプルにまとめました。
この時、地元の砺波市内では富山県信用組合での作品展示をしておりました。
つまり額がほとんど手元に無い。
悩みに悩みましたが、大きい作品が無くても生活の書として飾れれば良いのじゃないかと思って、雰囲気が被らないように手元の額で作品入れ替えたりしながら揃えてみました。
こちらはどれだけの効果を得たのか分かりませんが、少しは文化祭におて賑やかな雰囲気を作り出すことができたと信じております。
こちらは雄山神社へ作品を奉納した日の立山連峰です。
ここ2か月ちょっと激しく走り回っていたので、こういう一瞬にしか一息つく暇がありません。
2か月間の間に作品展同時開催シリーズばかりやってきています。
移動式サーカスかと思いました。
今回思ったのは、作品をいっぱい書いて抱えていることは大切だなということです。
飾れる作品を沢山持っている、ということは特殊能力です。
自分にしかできないことの一つとして、大切にしていきたい能力です。
こうして機会を頂いた際に、ある程度の数を飾れるということは良いことだなと感じました。
それも表装をしてあることが大切ですね。
やくしだに文化祭では金沢教室展というスタイルを取り、自分の作品は少なめにしました。
一方で中野公民館まつりでは一人のプレイヤーとして、一人だけでも祭りをやるくらいの勢いで10点ほど作品展示をしました。
KOTELOでは作家の数が多いので小さい作品で控えめに。
それぞれの場所で自分に求められるものは変わってきます。
それもその時その時の状況によっても変わるものかもしれません。
そんなものを自分なりに汲み取って、意図的に操作していくことにどれだけの意味があるのかは分かりませんが、仮説と検証という行動の連鎖のなかで、これからもより意義深い展示をしていきたいです。
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