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9/13 立山登山と雄山神社参り。実際に体験しなければ得られないこと。

立山山頂雄山神社峰本社看板奉納登山より3年

9/13 立山山頂雄山神社峰本社へ

<行程>室堂→一ノ越→雄山→大走り→室堂

天気の良い日が少なかったり、仕事がハードスケジュールだったりと、なかなかタイミングが掴めない今シーズンですが、ようやく雄山神社峰本社へお参りできました。
今回はもう半月ちょっとしかチャンスが無い中で、平日に思いつきで行くしかないなということで、いつもの登山仲間のいないなかで単独登山となりました。
一人でしか見えないこと、感じ取れないこともあり、今回はひたすら自分のペースで歩けました。
この近年は一ノ越まで一度二度は休みながら歩いていたのですが、自分のペースだと休む必要も無いことが分かりました。(無理は禁物ですが)
岩場になるとそういうわけにもいきませんので(笑)、ちゃんと休みながら歩みを進めます。

9/13 立山山頂雄山神社峰本社へ

一ノ越から山頂付近まではほぼガスの中だったこともあり、登ることに集中していたので写真はありませんが、道中で一ノ越、二ノ越、三ノ越、四ノ越の場所を確認できたのは初めてでした。
これまで何度か雄山神社の神職の方に教えていただいていたのに、また同じ登山道を通っているはずなのに、それでも見つからないのは複数人で登る時の楽しさとの引き換えなのかもしれません。

9/13 立山山頂雄山神社峰本社へ

雄山の社務所にご挨拶に伺い、立山山頂雄山神社峰本社看板奉納登山の頃からずっと親しくさせていただいている神職のお方と色々お話してきました。
今も3年前奉納させていただいた看板を見に来てくださる方がいるとのことです。
奉納させていただいた身としては、その方の心に響く何かがあったのだと信じたいですが、大変ありがたいことです。

山頂での参拝後、今日はガスが酷かったので雄山の後で一ノ越に戻って早めに退散しようかと思いましたが、それでは自分に甘いなと思い真砂岳付近まで縦走してきました。(どういう判断なのでしょう)
5年前は余裕だったルートも今はやっとやっとです。
そんなことは最初から分かっていて、足も攣る寸前でどうにか室堂に戻れました。

9/13 立山山頂雄山神社峰本社へ
9/13 立山山頂雄山神社峰本社へ 9/13 立山山頂雄山神社峰本社へ9/13 立山山頂雄山神社峰本社へ

3年前に土肥さん達と看板奉納登山をしてから、毎年一度はこの場所にご挨拶に伺わなくてはという気持ちが自然と湧き上がってきます。
人には説明し難いですが、私にとっては大切な仕事の一部でもありますし、藤井碧峰という人間としてのおつとめのようなものです。
それは自分のためでもなく、誰のためでもないのかもしれません。
実際にその立山山頂雄山神社峰本社看板奉納登山を体験したものでしか分かり得ない世界があります。
ただ生きられるだけ、許されるだけ、自分の使命として行っていきたいと思います。

9/13 立山山頂雄山神社峰本社へ

これらの写真は極力良い物を選んで載せたものですが、ガスがかかっているとどうしても見栄えが落ちます。
画像処理も一切していないのですが、実際に見ている風景というものは何割か増しで良いものです。
登山というものは天気にそれなりに左右されますが、現地に行かないと見えてこないものが沢山あります。
例えば立山の地獄谷の硫黄臭や噴出する音などの雰囲気などは、現地に行った者でないと味わえないものです。

9/13 立山山頂雄山神社峰本社へ 

神々しさというものも現地に行けば自然と感じられたりします。
他の人が「神々しい景色だ」と言ったから神々しいわけでなく、自分の中の何かが反応して神々しいと感じるわけです。
ただこれまでの経験上、景色を見て美しいなと感じるのも、人それぞれだなというのが分かっています。
ふとした日常の何気ない風景のなかに美しいものが沢山溢れていることを知った身としては、それは惜しいことのように勝手に感じています。

我々が3年前した看板奉納登山という行いも、映し鏡のようなものであって、どう感じるか、感じないかはその人のあり方を映し出しているような気がします。 
それは人間として経験を積むこと、自分の持った心の中の動きに素直になることができれば良い方向へ変化していけることと思います。
今の世の中はそういった心が動くことを包み隠そうとする雰囲気があって、それは最終的に人間の本能を低下させているのではないでしょうか。

私は大学時代より愛車でサーキットを走ったりもしますが、これに対して「ゲームで体験できるからお金使わなくても良い」「eスポーツで十分」「VRで体感できる」とか言われても、実際に経験している人間からすると全くの別物なわけで。
車から得られる情報量や刺激、匂いや音というものは実際に体感しないと分からない魅力、中毒性があります。
ゲームで満足な人はそれはそれで良いのだけど、それで十分に車の走る楽しさを味わうことができたと言うことは一切できませんね。
私も小さい頃からグランツーリスモ等はしてきましたが、時々乗るゴーカートやレーシングカートが極めて至福の時でしたから。
そういうものに実際に触れて、自分の中の本能的なものが沸き上がってきます。

9/13 立山山頂雄山神社峰本社へ

だから例えば山の写真を見て良いなと思いつつ現地に行けていない人、何か気になっているけど手を出せていない人には、是非一歩を踏み出していただきたいなと思います。
その一歩を踏み出せない理由は案外下らない、ちょっとした気合いで乗り越えられることばかりです。
それを実際に体験して良いこともあれば悪いこともあって、それでも気になっていたことに対する自分の中での答えは出せるのだから、とにかく本物の体験を得ることを大切にしていただきたいと思います。

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

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