藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
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先日、砺波市民体育大会の卓球の部で団体優勝してしまうという、一切予想していなかったことが起きてしまいました。
卓球始めてから20年ほど経ちますが、勝ちたい気持ちがやたら強かった頃にすらできなかった優勝を、何故か32歳にして達成してしまいました。
そんな勝ちに勝ち進んで取った優勝というわけでもなく、2グループに分かれたなかでのグループ優勝というだけのことで、くじ運の強さが光った今大会で、チームの方々の頑張りによるものだと思いますが、長く卓球をしていたらこんなこともあるんだなという不思議な感覚です。
【勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし】
と言われますが、勝ちはアートのように証明のしにくいもので、負けは科学的に証明できるという、そんな言葉が頭に浮かびました。
そんな日を経て、週に一度ほどあるかどうかの卓球の練習を久しぶりに楽しんでいる今日この頃です。
私には以前していたことをまたやってみると、その当時のことが思い起こされる習性があります。
福野高校卓球部の時、部長として色んなことに励んで、強く思い出に残ってるのが新入部員募集のための部活動紹介でのことです。
自分の上の学年が退部して、残ったメンバー7人があまりにも良い雰囲気だったので、絶対この流れは残したいなというのが皆んなの想いでした。
やる気のある良い人に入ってほしい。
ただ実績も無い自分達には、そんな人を呼ぶのも難しい気がしていました。
内容を練りに練って当日、沢山の新入生の前で自分と副部長と次期部長との3人で、ストレートに熱い想いを訴えました。
「以前の卓球部はお遊び部活で、練習時間中に平気でテニスとかバスケをしている駄目な部活でした。だけど本気で卓球をしたい人が集まって、今は凄く熱心で活気のある部になりました。僕たちはこの卓球部で一生懸命に頑張れる仲間を求めています!」
「本当にやる気のある人だけ入ってください!!」
そんなことを言った気がします。
その当時のことを隣のバレー部部長だった子が「卓球部の紹介はあのなかで圧倒的に良かったわ」って言ってくれました。
彼の部は実力も人気もある部だったし、彼自身も素直に評価してくれる人だったので嬉しかったです。
この時のことを思い返すと、書道教室の指導者としてやっている自分が、最初はひもじくて私の字や教室が好きな方なら誰でも入って欲しい気持ちでいましたが、最終的にはそれに加えて本当にやる気のある方を求める流れになっていたなと思います。
それは良い生徒さんに沢山入ってきていただいたなかで、この良い雰囲気を大切にしたいという気持ちが強くなったからです。
今でこそ生徒募集は一旦終了しましたが、これで集中してプレー(指導)に専念できる気分でいます。
先日、自分が看板揮毫させていただいている焼鳥真ゆきさんに行ってきました。
オーナーは職人の中の職人のような方ですが、高岡に移転オープンされて1年経ってもずっと予約でいっぱいの人気店です。
コロナ禍という言葉は関係あるのか無いのか分からないお店です。
キャンセルがあったらSNSで募集されていますが、それでもすぐ埋まるほどで、その仕組みは自分にとっても求めるところでしたので参考にさせていただいております。
これが集客が毎日どうなるか分からない状況でしたら、そっちにも手を割かないといけないので結構集中できないものです。
私も一緒です。
集客は人やサービス頼みではなくて、自然と求めてくださる方に見つけていただける仕組みづくりをしなければなりません。
以前は「時間がたっぷりあるから、こんな時に制作依頼していただければ精一杯時間を使って、最高の作品を制作するのにな」とか思うこともありましたが、やはり仕事が沢山あってなかなか手が回らない人のほうに頼んだほうが良いなと思っています。
どうしても数をこなすと経験が増えてレパートリー等も増えますからね。
ただいつどんな時でも【自分にできる最高のものを妥協無くお届けする】という気持ちは変わらないですね。
これも性格だと思います。
自分をよく見せるためにそんな言葉を使う人もいますが、先日の卓球の試合の後に無理に買わなくても良い卓球ラバーを買っている自分を見つめて”変わらないな”と思いました。
良いプレーでも無かったのですが、プレー中にラバーの一部が欠けたのを見て集中力が少し切れてラフなプレーに。
こういう時に手を抜きそうな自分が現れること自体が嫌いな自分が、学生時代から変わらず今もいます。
そんな最初から何でも器用に何でもできるタイプでもないので、とにかく何事も真剣に向き合うしかありません。
自分にできる最高のものを妥協無くお届けするということに関しては、起業から4年経っても一瞬も変わらない気持ちでいます。
それが価格的に安い商品でも高い商品でも同じことで、自分が納得していないものをお届けすることは実力の有無にかかわらずプロとしてあってはならないです。
噓偽りなく、自分に、自分の字に期待して求めてくださる方に、本当に良い物をお届けしたい。
あの時恩師に誓ったこと、これまでお世話になった方々への感謝、そういうものが形となって出てきたものが私の作品です。
商品ページを設けているECサイト、STORESのほうでは頻繁にお客様にお喜びのお言葉を投稿していただいております。
レビューの催促も一切していないのに、本当に喜んでいただけたのだな、妥協無くやって良かったなと感じる至福の時です。
以前はモニター募集してレビューを頂いたこともありました。
これも作品のみならず、やり取りのことを評価していただくことが多くて、先日過去のレビューを振り返っていて一人嬉しくなりました。
昨日はジョブチューンで串カツ田中の特集がありましたが、そこで審査をしていた緒方さんの言葉を聞いて感激しました。
書は、書道家という仕事は正直、筆を持って紙にそれっぽく書けば、「おおー!」と思われやすいものなのだと捉えています。
お客様がそれほど書のことを知らなくても、上手く自分をよく見せられていたならば、そこそこのクオリティの作品を届けても喜んでいただけるものなのかもしれません。
全然自己流で癖のある字を書いていても、正統派を名乗っていればそんなこともあり得るかもしれません。
正統派という言葉も書を知らない方からすれば、伝統的で良さそうに見えてしまいますからね。
古典臨書もどのレベルでしているかによって、あまり意味をなさないこともあります。
でもそんなことをしていれば、ちゃんと誰かが見ていて見透かされると思っています。
世の中には素晴らしい先生が沢山いますし、自分より上手な人は沢山います。
だからと言って本気でやっていないわけではないし、お客様にとっては誰よりも良い物を届けたいと心の底から思っているから、今も生き残らせていただいていると思っています。
作品制作のなかでは「これが絶対に最高だ!」という答えはありません。
その時その時、自分で答えを出さなくてはならない。
それを自信もってお届けできなくなった時、私はこの書道家の仕事を辞めます。
いつもそんな覚悟でいます。
卓球部の部長やっていた時も、会社員していた時も、自分がすべきことは何かと意識して、誰かに委ねられるわけでもなく運命を感じて、覚悟を決めてやってきました。
だからずっと妥協することなく、本気でいられる自分を大切にしていたいと思うのです。
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