INFORMATION

BLOG 書道・筆文字

砺波の日下部鳴鶴先生揮毫の石碑と私との出逢い

地元に3か所ある日下部鳴鶴先生揮毫の石碑

日下部鳴鶴先生は一つ前の投稿にもあった通り、明治時代当時の書の第一人者でした。特に青山墓地にある「大久保利通神道碑」が有名です。また日本酒「月桂冠」のロゴを書いたのも日下部鳴鶴先生ですね。
石川県の山中温泉にある鶴仙渓は日下部先生に由来する名前です。

Wikipediaより引用
「鳴鶴の流派は鶴門と呼ばれ、その門下生は3000人を数えたと言われる。また生涯で1000基の石碑を書いたとも言われ、現在も全国に300基以上の碑が残されている」

そんな日下部鳴鶴先生が揮毫された石碑が身近に3か所で建碑されているのですが、それ以外に富山県で建碑されているところがあるはずなのにインターネットで検索しても富山市の於保多神社さんしか出てきません。
全国に300あるとして富山県が4基として、そのうちの3基が私の住む5~6km圏内にあるとすると不自然な話です。
マニアックな分野なので情報量が少なすぎるのと、それを知る人達がいてもインターネット上に記載していないことが主な理由なのでしょうか。

そもそも書道家だと名乗っている人の多くはこういった石碑等に興味を持っていないということで、私の方で責任もって身近な3基の紹介をしたいと思ったのであります。  

佐藤翁碑

富山県砺波市東開発172

日下部鳴鶴先生「佐藤翁碑」 砺波市
日下部鳴鶴先生「佐藤翁碑」 砺波市

こちらの石碑はチェーンにて中に入れない雰囲気なので、手前から撮影しました。
異様に大きい石碑で、これほど立派な石碑は砺波地域でも貴重かもしれません。

それもそのはず、青函トンネル、黒部ダム、東京湾アクアライン、本州四国連絡橋などの大型国家プロフェクトに数多く携わってきた佐藤工業の創業者、佐藤助九郎氏を讃える石碑なのですから。
私欲を捨てて寺社の建築や各地の川に橋を架け、地域社会に報いることに徹したお方。
そんな佐藤家のおかげで富山城址には所蔵品を展示する富山市佐藤記念美術館が立てられていたりもします。

安念正義遺愛碑

富山県砺波市太田1057

日下部鳴鶴先生「安念正義遺愛碑」 砺波市 日下部鳴鶴先生「安念正義遺愛碑」 砺波市

太田金比羅社内にある石碑群のうちの一つです。
字粒が大きく読み易いです。
この石碑建立の由来は不明。また調査してみたいところであります。  

藤井經雄君之碑銘

砺波市中野 立山酒造株式会社横

日下部鳴鶴先生「藤井経雄君之碑銘」 砺波市 日下部鳴鶴先生「藤井経雄君之碑銘」 砺波市
日下部鳴鶴先生「藤井経雄君之碑銘」 砺波市

こちらは北魏の楷書を感じさせる書風にて書かれた碑。
これを建立したのは中野村で唯一の富山県議会議員であった藤井長太郎氏。
この碑の付近に1000坪以上にのぼる広大な屋敷を持っていたといい、日本酒「太刀山」や「ショウワノート」の創業者と聞いています。
太刀山は吉江酒造株式会社という名前で大正15年12月に設立。立山酒造の横にて酒造りをしていました。(「立山」は文久の時代より酒造りをしていた)

石材は地元庄川町の金屋石を使っているとのことですが、風化が進んでおり写真をご覧の通り判別が難しいです。
ちなみに6年前はこんな感じでした。

日下部鳴鶴先生「藤井経雄君之碑銘」 砺波市  

日下部鳴鶴先生の石碑と出会ってからの私

2015年5月初旬の話ですが、
「立山の横に日下部鳴鶴という、明治天皇の書道の先生をしていた人の石碑があるの知ってるか?当時いくらで書かれたか分からないけど、相当なものだから見に行ってこい」
と小さい頃から習っていた水上先生に言われて見に行ったのが、今の書道家の道に繋がります。

日下部鳴鶴先生のお弟子さんが比田井天来先生で、そのお弟子さんが金子鴎亭先生、そのお弟子さんが中田大雪先生で、そのお弟子さんが水上碧雲先生。
今の師である石飛博光先生は金子鴎亭先生のお弟子さんです。 
こうして自分の系統を学ぶことは大変興味深いことであり、学ぶことからどうして自分の系統が生まれたか、発展してきたのか等を知ることができます。

2012年頃、地元の競書誌にて提出した半切作品が写真掲載された時に「俯仰法を用いて~」という批評コメントを頂いたのですが、その際に”俯仰法”という言葉を知っていなかったので調べて比田井天来先生の名前を知りました。
水上先生には臨書を沢山するようにと言われて3年程がむしゃらに臨書学習していましたね。
私は師に言われると騙されたつもりでとことんやるところがあり、当時会社員で残業で日が回ることも多かったのですが、いくら遅くなっても字を書いたりしたものでした。

先ほどの話に戻りますが2015年に日下部鳴鶴先生の石碑を見て、インターネットで日下部先生について調べていたところ比田井天来先生に出会い、長野県佐久市出身ということで身近に感じて、そのままの勢いで数日後に天来記念館に行ったものです。 

天来記念館 記念石碑
比田井天来先生生誕之地

その当時臨書というもののやり方を先生から学んでいたものの、実際の本質みたいなものを分からずにやっていたところがあります。
天来記念館に行って学び、そこで買った天来先生の本を読みこむようになってからは、より良い臨書の方法を考えるようになりました。
その後も天来書院の本を買ったり、図書館に行っては様々な書道に関する本を読んだりとしてきたのですが、どれもが良い刺激になりましたね。

比田井天来

2015年に何か運命を感じながら佐久全国臨書展に出品したのですが、その時は佳作賞でした。
唐の時代に褚遂良が書いた枯樹賦という古典を書いたのですが、2012年に地元の会にて師範を取った際に書いた思い出の古典でした。
当時何となく悔しく感じながらも、勉強熱心だったところもあって車で4時間半かけて佐久全国臨書展を見に行きました。
審査員の臨書作品には憧れの石飛先生の作品が飾られており、その古典が枯樹賦だった時点で勝手に運命的なものを感じたりもしたのですが、その枯樹賦が言葉に出来ないほど艶やかで美しく、いつまでも見ていられるような素晴らしいものであったので見惚れてしまいました。
それからは枯樹賦を臨書するだけでなく、1年の終わりには石飛先生の書かれた枯樹賦を思い出して真似して書いてみて、ということをして、成長を実感しながら進んできたものです。
今は実力不足だけど自分を磨き続けて、いつかこの佐久の地に帰ってきた時に違った世界が見えれば良い。そんな風に感じたりもしました。

比田井天来先生に出逢い、臨書のその先を知ることで、書の有り方や自分の未来について深く考えるきっかけとなりました。
【誰かの流儀をまねるのではなく、古典名品を直接学び、あらゆる表現技法を身に付ければ、過去の誰も書けなかった独自の書を書けるようになる。】
その時学んだことは6年経った今も同じ想いでいます。

2018年6月、書道家としてスタートしましたが、実力不足であることも経験不足であることも否めない、まさしく見切り発車といえるものでありました。
当時は書道家という職に尊敬の意を持っていて、自分ごときがそれを名乗ってはいけないという想いから、”本格的筆文字デザイナー”と名乗っていました。
それは自信も無かったこともあるし、”逃げ”でしかなかったのかもと思ったりもします。
仕事も全くない、毎日の臨書とパソコンと向き合う生活の中で心身ともに衰弱し、「このままではいけない」と感じて佐久全国臨書展に再挑戦しました。

その頃愛犬が病気して隣町の高岡市に入院していたので、頻繁に顔を見に行ったりもしていてなかなか練習に気が乗らなくて、作品として書いたのはお盆に集中して書いた15枚ほど。
「これで駄目なら書道家としての道に先はない」
そんな想いで書きました。
その後愛犬が亡くなり気力も無くなって、締切日が近づいて、そのまま良かったものを自分で選んで出したのです。

10月の成績の発表日、そのことを忘れるように忙しかったのか、周りの友人が「碧峰くん天来賞取ってるよ!」と連絡をくれて驚きました。
何せよ、それぞれの流派・会派を代表する先生方が直接審査される作品展で、無所属の私がそんな賞にご縁があると思ってもいないことですから。
授賞式に行けば先生方にお会いできる。そんな純粋な楽しみがあってワクワクしました。

書道家藤井碧峰作品ギャラリー(臨書、創作、漢字、仮名など)

11月、第七回佐久全国臨書展の授賞式に参加しその時に石飛先生と出逢ったのですが、「君が書いたんですか。あの枯樹賦、物凄く良かったよ。みんな全紙に書いてくるなかで半切3行書きしてきて、普通は目立たないはずなのに、明らかに良かったよ。」とお言葉を頂いたのは嬉しかったですね。
今仲良くさせて頂いている方々ともその場にてお会いできたりと、私にとって佐久は特別な場所です。

石飛先生にはその少し後に弟子入りしました。
古典臨書を心から大切にしている先生のもとでしか私の先は拓けないという、それまた佐久で出逢った先生のアドバイスがあったことも背中を押してくれました。

今思うと何もかもが奇跡の連続であって、でもなるようにしかならないのだと身に染みて感じるものです。

試験で枯樹賦と出逢ったこと。
俯仰法を評されたこと。
日下部鳴鶴先生の書かれた石碑が家の近所にあったこと。
それが藤井家に関するものであったこと。
日下部鳴鶴先生を知って比田井天来先生に出逢ったこと。
天来先生のご出身が長野県であったこと。
石飛先生の作品が枯樹賦であったこと。
など。

点と点は繋がる。それは繋げようと思って進むのではなく、その時その時思うがままに、懸命にやってきたことが後になって自然と繋がることをいうものだと言えます。
それは自分勝手な思い込みでもあるのかもしれませんが、何か自分にしかできないことがあるからこそ進むべき道を暗示させる流れが絶えずあるようにさえ感じたりもするのです。

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

コメントは受け付けていません。

関連記事

プライバシーポリシー / 特定商取引に基づく表記

Copyright © 2018 藤井碧峰|正統派書道家. All rights Reserved.
ショップリンク