藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
以前まで木曽檜の通常サイズの表札を売りとしていたのですが、昨年より沢山ご依頼がいただけるようになりまして、そのなかで特注での制作も増えてきました。
最近は「洋風のお家にどうしても手書きの表札を付けたいのですが、ヒノキだと色が合わないので困っています」という、地元の身近な方のご相談が続きました。
試しにケヤキの板をお見せしたらいい感じにお家の雰囲気にマッチして、こういうパターンの出来事が数件続きました。
イメージでの比較となりますが、同じ「宮本武蔵」の名もヒノキとケヤキでは結構印象が異なることがご理解いただけると思います。
「これはもしかしたらホームページをご覧になってくださっている方のなかにも同じ意見の方がいるのでは。それでは救えていない人がいるということだ。」と感じたわけです。
仕事とは人のためであることが前提であり、ネズミ講や詐欺のように人を騙してお金を取るのは論外ですが、人のためにならないことはお金にならないので当然という意味でもあると思います。
ある若者が「仕事とは支事であり、支えることで成り立つ」といったことを言っていて、なるほどなと感じました。
さて、今回の商品ページ改修では手書き表札を4種類に分割いたしました。
【木曽檜、ヒノキ】
【欅、ケヤキ】
【連名仕様】
【横仕様】
書体についても思い切り行書体推し!な藤井碧峰表札では、商品サンプル画像も行書ばかりだったのですが、楷書体のご依頼も多いし、商品イメージに無かった隷書体をご依頼いただくことも増えたこともあり、商品ページを手直ししてサンプル画像も増やしました。
以前ご依頼いただいた方が、結局ご本人が求めているものが私の正統派の書風に無かったというトラブルがあり、作家としては「それって注文する時に考えるべきことじゃない?」と思ったりしたのですが、同じような方を生み出さないために徹底的にサンプルを作ることが大切だということになりました。
表札のようなオーダーメイド商品は、ユーザー側の心理も押さえておかないといけないし、作家側の崩せないところも大事にしておかなければならないという難しい商品です。
「自分の名前で依頼したら、どういう字になるのか分からないので不安」と言う大きな問題を克服できるのは、サンプル画像や作品集の画像でしかありません。
要は”答えを少しお見せすること”。
というわけでこちらの商品ページにはそれぞれに様々なお名前を書かせていただきました。
どの書体も書けないわけではないですからね。ただ隷書体は字形について、現代のそれと結構書き方が変わってくることがあるので、お名前によってはおすすめできなかったりもします。
その他、草書という意見や激しいものをといったご要望も時々あるのですが、手書き表札には手書き表札の書き方というものがあるのでお断りしております。
それでは制作した手書き表札イメージ画像の紹介をさせていただきます。
実は他の表札イメージ画像も見直ししたのですが、その理由は編集作業をしているパソコンのスペックが上がり、画質が向上したためです。
より本物に近い雰囲気でお選びいただけるようになりました。
字の解説も多少交えつつ、日本史愛好家として時々コメントを付けさせていただきますね。
なお、ここに記載されている内容については鵜呑みにせずに、疑問に感じたことは各自で調べられることをおすすめします。
歴史とはその場を生きていないと、事実を知ることはできませんからね。
【木曽檜、ヒノキ】
「石原」楷書
こちら、カチッとした楷書という感じです。
楷書でみんな意外と苦手なのは左払いですかね。
「宮本武蔵」楷書
当方の得意な柔らかみ、温かみのある楷書というやつです。
行書に雰囲気が近いかもしれません。
「藤井」行書
藤井の字面は非常に難しく、画数の差も著しく、バランスが難しいです。
なお、大阪藤井寺、愛知安城、石川能登、栃木壬生には”藤井”という地名があります。
「柴田勝家」行書
柴田勝家は忠義の武将として織田信長を支えてきた存在で、その人としてのあり方は経営者にファンが多いとのことです。
学校教育の日本史を学んでいるだけでは賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に負けたイメージが強いですが、重要な場面で離れていった前田利家を責めることがなかったこと等、計り知れない器の大きさを感じます。
「佐々成政」行書
この方は立場的に悪い者扱いされることが多いですが、歴史というものは勝者が作っていくものであり、本当のところを知ることが大切です。
真冬の北アルプスを越えたとされる”さらさら越え”などの話に見える織田家への忠義の心や、常願寺川に佐々堤を築き、一国の主として民衆を大切にし愛された点はもっと多くの人が知るべきかと感じております。
小牧長久手の戦いで織田信雄が徳川家康に無断で単独講和を結んでしまった際は、とんでもなくショックだったでしょうね。
「伊勢宗瑞」行書
戦国時代初期の戦国武将「北条早雲」のことであるが、実際には本人は北条早雲を名乗ったことは無い。
「石田三成」行書
関ヶ原の戦いで敗れる。と書くとそのイメージしか残らないですが、この歴史の教科書で出てくる有名な関ヶ原の戦いも半日ほどで終わったということで、驚きな話ではあります。
【欅、ケヤキ】
「最上義光(もがみ よしあき)」楷書
実際にはなかなかの活躍をしていて、舟運のこと、家康との親交、57万石の実績等色々あるのに、それほど注目してもらえないのは残念なことではありますが、実力を考えても時間があれば学びたい武将ですね。名前読み方注意。
「藤堂高虎(とうどう たかとら)」行書
何度も主君を変えたという藤堂高虎。それだけを聞くと浮気心を想像してしまうのですが実際には義理堅さもあって、それぞれの主君のもとで気に入られ、実績も出して信頼されていたことから、上辺だけで判断するのは良くないなと考えさせられます。
築城のスペシャリストとしても有名。
「黒田官兵衛」行書
表札は大きさが決まっているので、5字入れるのは地味に大変だったり、全体のバランスを取るのが難しかったりします。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人に仕え、息子の長政は関ヶ原の戦いで一番の功労者と言われています。
「島津義弘」行書
薩摩国の猛将。家臣から慕われていたが故か、殉死が禁止されているなかで義弘が亡くなった際に13名の家臣が殉死している。
「西郷隆永」行書
世間で知られる西郷隆盛の諱(いみな、生前の実名)は隆永。むしろ父親の諱が隆盛。
間違って届けられた名前がその後我々の常識になっているような話ではありますが、びっくりな話でありますね。
「真田信繫」行書
真田幸村で知られるが、諱は信繁。自分でその名前名乗ってないやんシリーズ。
武田信玄の弟、武田信繁から名前を取って信繁としている。
「徳川家康」隷書
265年続く江戸幕府の時代を開いたことは凄いとしか言いようがない。
そんなに長い年月もつ企業を作り出すことの難しさを考えると、その後への続かせ方についても仕組みづくりを始め優れたものがあったとしか言いようがないですね。
「岡本」隷書
イメージのなかでは岡本太郎さんや岡本真夜さん。
岡本真夜さんの「alone」という曲がとても好きです。
【連名仕様】
「源頼朝 政子」行書
源頼朝の実際にしてきたことを調べてみると、教科書の情報は断片的過ぎて、違った人物像に見えていたことに気づくものです。
若き時に伊豆に流されて何もかもを失った者が、簡単に表舞台に出てくることができるわけがない。
ここに著しく不思議な点がありますが、とにかく身近な教科書、参考書等には単語ばかりが並べられて訳が分からないですね。
「浜野健太 万里」
戦国武将では書ききれないと思い、字面だけのイメージで生み出された夫婦。
左右のお名前のバランスを見て書くのですが、これが結構辛かったりします。
なので技術料が増えるのはご理解いただけますと幸いです。
【横仕様】
「向井」行書
個人的にこの楷書の書き方、特に”向”の字が気に入っています。
結構難しいんですよね。
「岩谷」隷書
隷書だと無い字を作字したり、昔の形を受け入れざるを得ない時があります。
それが独特の雰囲気を醸し出すこともあるので、ご依頼される場合は覚悟があると良いですね。
「和田」隷書
地元砺波市の山中に和田川という川があり、それに面する増山湖という場所があるのですが、その付近にある上和田緑地キャンプ場というところがキャンプ好きに最近人気なそうです。
先日実際に行ってみたのですが湖面が近く、神秘的な雰囲気があって、砺波にもこんな場所があったんだと感激しました。
「天野」行書
この事業を始めてから地元の天野さんという方々にお世話になることが多いです。
本当にいつもありがとうございます。
縦型の表札では穴が一つですが、横仕様では穴が二つになります。
これによって作業賃が増えるので、代金にプラスになりますね。
なお取り付けについては壁にビスを打って、そこに接着剤を裏面に塗った表札を差し込む形になります。
詳しくはGoogle検索で調べると良いです。
材料はヒノキとケヤキでは結構雰囲気が異なります。
ケヤキと比較してヒノキの方が柔らかく、目が細かい、少し滲みやすい。
ケヤキは硬くて、目が少し粗いけど、滲みにくいです。
ヒノキも書く際に細心の注意を払っており、当方では材料の仕入れ方、保管の仕方ほか色々こだわっております。
何せご自宅の顔となる表札ですからね、それ以上に無い仕上がりを目指しております。
だから出来上がったものは良い、じゃなくて「世界一だ!」と思っていただけるようなものでありたいと願い、実際にそのようなお言葉をいただきながら、この天然銘木手書き表札を大切にして揮毫してまいりました。
木に書くこと自体が非常に難しいという問題があってか、今の世の中ではネットで調べても、また知り合いを通しても書いてほしいと思う書道家に出逢えることも稀なことですから、選んでいただけたからには最上の表札をお届けします。
よき出逢いを。
表札についてはこちらの記事もおすすめです。
【墨で木に書く本物の手書き表札】
【正統派の書でお届けする手書き表札への熱い気持ち】
オマケで作り直した手書き表札サンプルイメージを紹介します。
ちなみに以前の画像はこちらで、その下が今の画像です。
作家は良いカメラ(スマートフォン)、良い画質のパソコンモニター、プロ用のデザイン処理ソフト、リアルの世界に忠実な印刷機が必要ですね。
「菅原道真」楷書
富山県では天神様を飾る風習があります。
学問の神様と言われる菅原道真ですが、願いを込めて12月25日から1月25日までの間、天神様の掛け軸や彫刻等を飾ります。
掛け軸はその昔、親戚や地域の方が描く風習もあり、なかなか絵を描ける人が少ない今の世の中からすると想像できない世界です。
「武田信玄」行書
上杉謙信との川中島の戦いがよく言われますが、ある1回では15分で終わったという。
昔の戦では結構顔合わせして終わったような戦があり、お互いに殺さないことが普通だったこともあるよう。
確かに足軽隊に亡くなられては、自国の重要な労働力が無くなってしまうし、今より昔は尚更人口が少なかったから無理に戦う必要は無かったでしょうね。
そんな戦いの世界を変えたのは織田信長でした。
「上杉謙信」楷書
武田信玄と正反対の性格を持つような戦国武将。
戦国武将は私利私欲のもと、あれだけのことを成し遂げたとみて良いことがほとんどですが、上杉謙信に関してはそういったことがなくて「義」の精神のもと生きています。
小さい頃からずっと上杉謙信が好きでした。
一方で我が祖先は上杉謙信が攻めてきた際に逃げて、福光町宗守の地から砺波市中野に渡っているわけです。
悲惨なイメージをもとにすると我が藤井家の敵以外の何者でもありませんが、歴史を知ると本当の人となりが見えてきて、どういった人でありたいかを学ぶことができます。
「坂本龍馬」行書
歴史の教科書から消されてしまいそうな坂本龍馬。
ファンが多いのも事実ですが、実際にしたことと歴史小説に書かれているフィクションが混ざり合って、本当のファンとして気になるなら史実を学ぶ必要があります。
坂本龍馬がその人生のなかで何を成し遂げたかったかについては学ぶ価値があります。
「伊藤博文」楷書
いつもお世話になっている筆屋さん、奈良博文堂さんの名前の由来になっていたりします。
藤の字に気を奪われがちですが、”伊”の字は難しいんですよね。
最近の赤ちゃんの名前でも人気な「伊織」くんの字でも、毎回の度に戦っております。
「近藤勇」行書
右払いが続く時は書くのが難しいです。
3字だと字粒の大きさが大きくなりますが、どれだけの大きさにすれば一番見栄えがよくなるか考えることも作家が試されるところです。
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