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久しぶりのおわらサーキット走行。車への熱い想い。

6年ぶりに帰ってきたサーキットの世界

おわらサーキットに復活。車への熱い想い。

15万キロ越えの愛車カローラランクスで6年ぶりのおわらサーキット走ってきました。
【おわらサーキットHP】

前の走行はインプレッサWRX STIだったので、見える景色は10秒弱遅いのんびりしたもの。
でも大学時代に同じエンジンだったセリカの時に味わったそれと同じです。 
遅いですが車載動画も撮ってみたので、怖いもの見たさにご覧ください。

ノーマル仕様にタイヤがミシュラン・プライマシーで、タイムは【1分1秒023】
最終ラップ気持ちよく走れてベストタイムが出ていたので、これ以上は無くて良いです。
久しぶりのおわらのコースも走っているうちに本能的に思い出せて、まだまだドライバーとして楽しめると思いました。 

何でタイム出ないのかも、車から遠ざかっていた時間が長くても分かるもので、それは大学生時代に徹底的に走り込んで、色々車触って経験を積んだからです。
経験を積むには一気に仕様を変えないようにすることが大切なように思います。
何でも変えるとどれが原因で改善、改悪になったか分かりませんからね。
またお金を掛けてしまうと”良くなった”と思いたいものですから、一度元に戻したりして確かめるということが大切です。

ちなみに走りがぬるいと思った方はインプレッサ時代の動画をご覧ください。
52秒台で走っている動画だと思います。

4年前の今日は初めて事業で物を販売した日で、その7日後に開業届を出しました。
起業時、大好きだった車の世界にはもう戻ってこれないかもしれないと思っていました。
学生時代、何も無かった自分を育ててくれたのが車の世界、サーキットであって、それを失うことは大きなことでした。
スキーも車も、何もかもと引き換えに手に入れようとした道、それが書の道です。

おわらサーキットに復活。車への熱い想い。

それから大好きだったインプレッサをブレーキ周り他の故障により維持できずに泣く泣く手放し、その売却資金で手に入れたミニクラブマンクーパーS(オートマ)が1年1万キロ乗ってエンジンブロー。 
起業時に沢山あったお金も底を尽くなか、これでは不味いと思って肉体労働のイベント関係のバイトを始めました。
当時は山町ヴァレーでの作品展示、立山山頂雄山神社への看板奉納登山等、表向きには勢いづきつつも現実には追い込まれるなかで、真夏に雨が降ろうと風が吹こうと、早朝でも夜でも必死に働いて、書道家というプライドもほぼ無く生きて。
地元でイベントがあった時には、地元の知り合いにバレないように顔を隠していたりして。
少しは生活もバイトで持ち直してきていた時に、そんなミニの廃車があったので本当に不幸に感じました。

おわらサーキットに復活。車への熱い想い。

今はツキが回っていないんだな、自分には我慢する時なんだな。そんな風に思っていました。
だけど書道家としての仕事も無い、大好きな車も遠ざかっていく。
お金が無いなら一時的にでも軽自動車に乗るべきだ。
でも毎日のように乗る車を妥協しては、小さい頃から車が好きだった自分には耐えられないと思いました。

自分として合点がいく考えとなったのは、ミニが故障して廃車になったことを良いこととして、前向きに捉える方向に持っていったことです。
ミニがオートマだったので、マニュアルに乗ることにしました。
しかも最初乗っていたセリカと同じエンジンの車に。

おわらサーキットに復活。車への熱い想い。

手に入れたのが2ZZエンジン×6速マニュアルのランクス。
悪い状況で下を向いて歩むのは嫌なものです。
そこに光をもたらしてくれたのがこの車でした。

おわらサーキットに復活。車への熱い想い。

セリカに乗っていた時は4速ATでした。
予算の都合上ということもありますが、当時はマニュアル車に乗るのは面倒そうにしか思っていませんでしたね。
今となればスポーツ走行を楽しむのに必要な設定だと分かりますが、そういう感じでした。
それからサーキットを走るようになって、AT車らしからぬ走りをして少しは注目を集められる存在になりました。
ハイパワー車に食らいついて見せたりもして楽しかったなと。
だけど、そこまでいくと「6速マニュアルのセリカだったらどこまでいけたのだろう?」ということが気になるわけです。
その答えを出せたのがこの車、ランクスでした。

おわらサーキットに復活。車への熱い想い。

走行距離の多い車でしたが、今日は本当によく走ってくれました。
8000回転まで気持ちよく回るエンジン。
そして、今日はこんなにカッコよく写ってくれました。
おわらサーキットさんお写真ありがとうございます!(掲載許可頂きました)
十数年前からこのサーキットを走っていますが、代表の熊代さんの撮る写真が極めてカッコよく、良い記念になるんですよね。

おわらサーキットに復活。車への熱い想い。

こうしてここに戻ってこれて感激です。
この感動は自分という時間を歩んできた、自分自身にしか分からないものだということは承知しております。
書道にしか興味が無いという人もいると思いますが、私の書というものは私という人間生活の中から生み出されるものであって、表面的にそれが良いと言われるのも間違っていませんが、根底を知っていただけないと本当の意味が通じないような気もしています。

学生時代何もなかった自分に、多くを学ばせてくれて、成長してきたのが車という世界でした。
徹底的にやり込んで、将来を期待された時もあります。
そのなかで沢山の仲間を作ってきました。
そして、その当時の仲間たちが今も書道家活動を支えてくれているという事実もあります。
だから書道家の世界に行って、去っていったと思われたくなかった。

難しい事業で起業するということは同時に多くのものを失うことでもあります。
自分は憧れの車でありながら、いざという時に運転資金にも変わり得るインプレッサという車を、会社入社してすぐに手に入れました。
そうと分かっていても、実際にそうと決断せざるを得ない時が来た時の悔しい思いというのは、、、
やっぱり悔しくて仕方なかった。
何者でもなかった自分を何者かにしてくれた存在が車でしたからね。

ただ失ったことを懐かしんでいてもいけないし、たった一度きりの人生なのだから、それを実現できることをお見せできる書道家活動でありたいなと思います。
これは誰にでも起こりうることで、結婚されて好きなことを遠ざかる人もいるかもしれないし、色々あると思います。
こうして楽しい瞬間を見せることで嫉妬する人がいることも事実だとは思いますが、この難しい事業を成り立たせても、ひたすら歯を食いしばって懸命に頑張っているところばかりを見せつけているようでは、次の時代のプレーヤーが育ってこないでしょう。
もちろん大変ではあるけど、本当に頑張れば自分の好きなものとバランスとって仕事をすることもできます。 
すぐには難しいけど、起業して4年で帰ってきました。

おわらサーキットに復活。車への熱い想い。

失ったものは取り返す。
生きるからには前進し続けたいと思います。

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

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