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個性と同調

個性と同調

ここ1週間ほどは、富山県小矢部市出身で砺波市に住んでいらっしゃったこともある前衛書家の表立雲先生が95歳でご逝去されたという知らせを先日聞いて、先生から学んだ考えやお話させて頂いたことを振り返っていました。

2019年 玄土社展

表先生のことは幼き頃からご指導頂いていた水上先生に時々聞いていました。
水上先生が若き頃病院に入院されていた頃に偶然隣に表先生も入院されていて、医者から動いてはいけないと言われているのに、ベッドの横で隷書の練習を真剣にされていて、凄い執念だなと思って感心して見られていたそうです。

そして時が経ち、ある時地元の立山酒造の横にある「藤井経雄の碑」の拓本を取りに表先生が来られていたのを見たという話もありました。
何度かこのブログに登場するこの石碑は藤井長太郎氏が造立したものでの長子である藤井経雄氏が早くして亡くなったことを哀れむ文が刻まれています。
字を書いた人は日下部鳴鶴先生で、明治時代当時の書の第一人者でした。特に青山墓地にある「大久保利通神道碑」が有名です。

日下部鳴鶴先生「」藤井経雄君之碑銘 砺波市

と書いてみたものの画像がほとんど無くなってしまっていました。近所なのでまた撮影して紹介したいと思います。
私が書道家になったルーツの一つにこの石碑との出会いがあったりします。
ここから比田井天来先生に繋がり、臨書を深く知ることになるのですから、本当に面白いものですね。

話を戻しまして、当時表先生がこの石碑の拓本を取られていた理由を作品展の際に行われた講演会の後で質問させて頂きました。
その時は書に懸命に打ち込まれていて、とくかく気になったことは徹底的にやった。庄川の合口ダムの向こうにある北方心泉先生の書いた石碑も取ったそうです。
その中で特に心に残った言葉は、
「本に書いてある人の書いたことを勉強するんじゃなくて、それを疑って自分の手で研究することに意味がある。」
「何でもやってみること。体をかけてやること。頭で考えとっては駄目。頭で考えているのは研究にならないんだから・・・。何かそのことに打ち込むという頭が作用して思いがけないことが浮かぶことがある。これは凄いね。」
といったことでした。

講演会の中でも王羲之と顔真卿という2人の人を取り上げ、王羲之は非個性的な字を書いていた人、顔真卿は悲しいことがあって怒りが手紙に現れて、その時に個性があらわれてしまった人。また王羲之はちょうど紙が開発された頃に生まれ、誰にでも読み易い字を書いたことで書聖となった(記憶が曖昧なので間違っていたらすみません)など、興味深いものでした。
先生がされていたことは学者そのものであり、また前衛書という書の分野に対しても素晴らしく納得せざるを得ない理論で開拓されていったように思います。

これらは本来お弟子さんの方々が語るべきことなので私からはこれくらいにしておきます。
いずれにせよ、私はこの地域において自分で新しい書の世界を切り拓かれたという点で表先生の存在はずば抜けていたのではと思うのです。
私が思うに表先生の作品はまさしく芸術でした。
それと比較すると私は芸術にはなれていないというところです。

個性と同調

まず第一に個性的であることも必要でしょうし、その個性が癖ではないというこも大切なのは比田井天来先生のおっしゃられていたことからも分かります。
今のところやはり誰かに影響を受けがちな自分には栄養補給もまだまだ足りないですし、日々の研究や人間活動のなかで良い成分を沢山取り入れて、それが漏斗のような入れ物に入れた時に出てきたものが作品でありたいと思います。
だから慢心することも無いし、ただひたむきに進むだけだなと純粋に感じています。

今のところ徹底的に王羲之を学んできました。王羲之が非個性とは自分には言い切れませんが、要はこの字がスタンダードなのだと言い聞かせています。
この軸をより強固にしていくことで癖を見つけやすくし、俗っぽさも打ち消すこともできるようになるのでしょう。

個性と同調

今の教育現場で避けるべきことは同調だと感じています。
それは集団行動はさすがにできたほうが良いと思いますが、周りと同じことばかりをすることが将来的に非個性を生み出すことになるのではと思っています。
自分の学生時代を振り返ると個性的、ある意味浮いていたところはあるかもしれませんが、今やこのズレた感覚があったおかげで書の世界で生活できているなと強く実感するのです。
仮にも他の書道家のやっていることをひたすら調べて、似ているようで似ていない切り口で入ったのですから、それが良かったのでは。
またズレているからこそ周りに流されることなく、いつも自分で考えて答えを出して動けたと言えます。
逆にズレているから会社員生活が6年しか続かなかったとも言えます。(ズレている言い過ぎ)

ビジネスの世界では同じことをやるということはライバルを作るということなので、それはライバルいない方が良いよねとなります。
ライバルって響きは良いんですが、日本の昨今の状況では価格競争に陥りがちで、お互いの首を絞め合うことばかりです。

個性と同調

やること為すことが異端なら賭けて大当たりする可能性もあるのですが、それでもある程度ノーマルというものを知っておかなければ危険かもしれません。
異端すぎると他の方に理解されなかったり、需要とかけ離れたところにいってしまう可能性があるからです。

これらはビジネスの点でもよく感じることですが、書と古典臨書の関係を見ても同じようなことを感じたりします。
いずれにしても客観的に見て判断し、行動するということが大切なのでしょうか。

これからの時代は個性が大切、自分にしかできない何かを持つ必要性が高まってくることでしょう。
先述の通り個性というものが邪魔する時も学生時代には多いのですが、社会的には使い方次第で活躍の場を広げる武器になります。

書とビジネス(経営)を学ぶことは、良き生き方を探す点で良いなと感じます。

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