藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
身の回りには自分より活躍されていて有名な書家の方がいらっしゃるのですが、その方々とお話していると自分も含めて考え方が似ているなと思って面白いですね。
みんな書家であっても書家になりたくて始めたんじゃなくて、違う目的で始めているというところが、事業として受け入れられているように思います。
それでいるから”どうしたいか””どんなものを書きたいか”というものが見えているし、下手に周りに影響されることもない。
書道はほぼほぼ”個”の世界であって、作品展に出して周りと競うと言ってもあっちがこうしてくるからこっちはこうする、というより、各々が限られた時間で沢山書いてベストを尽くしたうえで、良かったものに評価されるだけのことです。(おそらく)
ひたすら周りを批判して他人を落として、口だけで自分が優れていると見せつけるマウンティングのプロみたいな人も多いですが、そういうのは自分のプレーに集中できていないんだなと感じます。
やれることをやったら後は堂々と結果を待つのみです。
競書誌や書き初め大会についても同じことだなと思って、先日の書道教室で同じようなことを生徒さんにお伝えしました。
書き初め大会は同じ課題を書くので当然競いがあるなかでの優劣をつけるわけですが、結局は勝てるように努力するというのは間違っていると感じています。
そもそも書道教室に通う理由って何なのかという話で、下手でも書き初め大会で賞を取ることはできるし、でも上手い方が良いよねという話で。
「上手くなったから一番を取れました」
「上手くなったから写真版に載りました」
というのが自然であるべきだと私は考えています。
自分も小さい頃は毎年のように県大会行ったりしてたけど、狙って行っていたわけでもなく、単純に性格のおかげで行けていたようなものです。
「上手く書けなくてイライラする病」
そんな風なものをずっと患っています。
いくら書いても理想にたどり着けるものではないからアホみたいに書いていた。
そしたら字が良くなって県大会に行けていた。
それだけのことであって、それが30歳になっても全く治ることがなくて、これだけが日々のモチベーションのようなものです。
きっと満足することなどなくて、また次のステップへと足を進めるのだと思います。
とにかく書き初め大会は、
・周りがどれだけ上手くても関係ない
・誰が評価しようと関係ない
・自分が納得しても、指導者の先生からの指摘が無くなるまで書き込む
・一枚でも多く書いて精度を高める
最終的には【選ばざるを得ないものを書く】
これが自分がずっと思ってきた最良の戦い方です。
CLOSE