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書道上達のコツ-私の経験-

はじめに

書道は奥深くレベルの幅が大変広いものなので上達し続けても完璧な書道家はいないはずです。

ずっとそんな意識を持ってやってきたし、未熟だからこそ上達のために日々の練習に熱心になれるし、それはこれから10年、50年と経とうと変わらないと思います。

筆文字デザインは書道の鍛錬で線を磨き、それをお客様に提供するものだと思っています。
だから書道と筆文字デザインは切っても切り離せない関係にあるはずです。

もし努力せずに提供する書道家、筆文字デザイナーが巷に溢れかえると面白くないです。
この記事では昔書いた恥ずかしい字も取り入れながら、赤裸々に書かせていただきます。

書道に基づいた筆文字3

この投稿では書道家としてはまだまだ修行の身でもある私が
「どうすれば書道が上達するのか?」
という疑問に対して、経験の中でポイントになったことに触れながら書いていこうと思います。

「まだ未熟なのに」とか「若い人間が語るなんて」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、同じくらいのレベルの人じゃないと伝わらないこともありますし、誰かが語らないと知られることもないので勇気を持って”上達のコツ”について書いてみようと思います。

藤井碧峰より書道が上手だという方は是非『”超”本格的筆文字デザイナー』(笑)とか名乗って自分の考えを述べて頂ければ光栄でございます。

熱心に書道をやってきた方が書道について語れば書道業界はもっともっと盛り上がるし、筆文字デザイン業界も質が高くなると思いますので何卒宜しくお願い致します。

さて、ここからは習字から書道に変わり、私が筆文字デザイナーになるまでの書道歴を長々と記していきます。  

私の書道歴 -小学校時代-

私が書道、というよりお習字を始めたのは幼稚園の時、4歳でした。

2歳上の姉が始めたというのと周りの幼馴染が通い始めていたというのがキッカケでした。
今はあまり幼稚園児、保育園児は来ないですが、当時はごく普通の光景でしたね。

始めて習字教室で字を書いた時のことは今も覚えています。
「りんご」という半紙に3字書く課題でしたが、先生が書いてくださったお手本を何かの拍子で裏返してしまい、それを素直に見て逆向きに「りんご」と書いてしまいました笑

小学校2,3年生になる頃には同級生の数も10人ほどになり、身の回りの学年も10人くらいずついました。
地元の子供が沢山集まる、地域に根ざした習字教室と言えばいいんでしょうかね?

同級生は同じ課題を書くライバルであり、ライバルが沢山いたので比較され合ってきたのが良かったですね。

書き初め筆 

小学校の頃の書道のビッグイベントと言えば「書き初め大会」でした。
同級生の中には習っていない人も沢山いるので、基本的には我が習字教室内のメンバーでの金賞争奪戦になっていました。

県大会に行けるのは3人だけなのですが、小学校1~3年の時は行けませんでした。
4年生の頃からは安定して県大会に行くことができました。

これも思い出深いのですが、一度県大会に行ったときに墨汁を入れる時に使う「墨池」を忘れてしまいました
急遽、父親の車の中にあったペットボトルの下の部分を切り取って『即席墨入れ』を作ってもらったという今思えば笑い話ですが焦った思い出があります笑

あとはいつも割れた筆で書いていました
先生に「お前割れた筆で書くの上手やな」って褒められていました笑

単にお手入れが良くなかっただけで恥ずかしい限りですが、姉がいつも書き初め大会で県大会に行けなくて筆があまっていたのでそれを借りて本番は書いたりしていました。

姉はいつも書き初め大会には行けなかったものの、才能があったのは間違いなく姉のほうでした。
作品に「藤井」と名前を書くときに私は下手でしたが、姉は普通に書いてしまうのです。
そもそも大人になっても書ける人いませんね笑

あと毎月提出する「競書」冊子の課題でも、私は小中学校で一回も写真に載ったこともありませんが、姉は写真版に載ったことがあって、日ごろの練習では姉の方が上手かったと今振り返っても思います。

小学校の頃バレーボールしていた時もそうでしたが、私は何をしても不器用でした。
静かなタイプだった、ということもあってか習字は好きだったので、いつも周りの小学生よりも長く教室にいて”納得するまで字を書いていた”のが良かったのか、地道に実力を付けていきました。

これが周りの同級生や姉との一番の違いだったんだと思うんですよね。

だから書き初め大会のように練習期間が1カ月ほどしかないような課題の時には、その短い期間に周りより沢山練習して良い字を安定して書けるようになり、本番でも良い字を書けるようになっていた、というのが私が小学校で地道に上達し、上手くいった理由です。  

私の書道歴 -中学校時代-

中学校に進学すると周りに10人ほどいた同級生はいなくなりました。
「部活動が始まるから」っていうのが大体の理由でしたね。
同じようにして、その頃には他の学年も人数がいなくなり静かな教室になっていました。

私は、というとやめる理由もなかったので続けました。
物事の進退を考える時には、物事が始まってから考える、というのもアリだと思います。

私が続けていたというのもあってか、2歳年下の男の子2人も中学時代は書道を続けてくれました。
彼らと一緒にいると気分的には兄貴気分で凄く楽しかったです。
もちろん見本となるべく意識していたところもあって、それもあって頑張れました。

筆

熱心に続けていると祖父母が熱心に応援してくれて、誕生日には筆を買ってくれました
先生が選んでくれた筆は「羊毛筆」ばかりでした。

先入観もなく小さい頃からずっと柔らかい筆で書いているので今に活きています。
最近になって気づいたのですが、羊毛筆って安い、毛の硬めものでも結構扱うのが難しいようで、Instagramでも苦労されてる方を沢山見ます。

中学生には筆の違いも分からず、筆を使い分けるということもしないため、楷書も行書も全て1本の羊毛筆で書くのだから自然と筆に慣れます

 中学校書き初め

中学生の時の書き初め大会では1、3年生の時に県大会に出場しました。
2年生の時は良いもの書いていたのに周りが選ばれて、学校の先生からの評価が低かったのか?笑
分かりませんが駄目でした。

そうすると「何が何でも選ばれるような字を書いてやろう」とムキになるんですよ。
結果的に最後の書き初め大会となる中学3年では無事県大会に出場しました。

中学3年の9月には受験勉強のために一時的に書道を離れました。  

私の書道歴 -高校生時代-

高校に入ると先生は半切(135×35cm)の紙に練習するよう指導されました。

半切「孔子廟堂碑」
それまでは半紙ばかりの練習で、書き初め大会では書き初め用紙、夏の作品展では半切サイズで書いていたこともありましたが、毎週のように半切に練習するようになりました。

これが最初はなかなかうまく書けず、先生の手本を見てやっとやっと書いていました。
(↑の写真のとおり)

字がどうしても大きくなってしまう。
周りの字とぶつかりそう。
紙からはみ出しそう。
墨継ぎしたいけど駄目。

色んなことを考えて書くようになりました。
そのおかげなのか分かりませんが、高校生になってようやく競書冊子で写真掲載されるようになりました。

始めた当初に発揮される才能は無かったようですが、これを皮切りに段々上手に書けるようになりました。
ある程度の経験値を積まないと発揮されない才能もあるのかもしれませんね。

半切を書くようになりましたがどこかに出品しているわけでもなかったので、書いた作品はいつもお土産に祖父母に渡していました。
それが今も沢山家に残っています。
半切

高校では卓球部に所属していましたが、周りの部員の分もゼッケンを書いたのが思い出です。
あとは部員各自が目標を書いて体育館に貼ったりなんかして沢山の思い出を残しました。

高校3年生の時には大学受験のため9月から書道教室を休みました。
この時のことも大変思い出深く。

雨の日でしたね、先生のもとへ行って
藤井「先生、これから受験勉強のためしばらく教室お休みします」
先生「おう、精一杯頑張ってこいよ」
と短い会話を済ませて教室を後にしました。

自然と涙が流れました。
そう、私にとっては書道教室は無くてはならない、生活の一部になっていたのです。

自分で卓球部の部長していて、自分で忙しくした部活でしたが、忙しいことを言い訳にせず毎週少しでも練習するために欠かさず通ったことが上達に繋がるのです。  

私の書道歴 -大学生時代-

地元の大学に入りました。
そして書道教室に通う日々に戻りました。

月謝料金や紙代を自分で払うようになりました。
これまでの両親や祖父母の恩恵を実感しました。

だからますます書道ができることを幸せに感じたし、意地でも続けなきゃと思いました。
先生も80歳になってこれからどれくらい教われるのか・・・
そんなことを考えると本当に休めなくて、教室のある土曜日は意地でも教室に行きました

2011書道半切
大学に入ってからは昇段試験を受けるようになりました。
周りのレベルを知ることもできたし、他の先生から指導を頂くのが新鮮でした。

この頃になると練習の時に11歳上の兄弟子とよく字を書くようになり、沢山の刺激を頂きました。
そして兄弟子もしばらくやめていた昇段試験を受けるように。

良きライバルが現れました
。 
同じ課題ばかり書いていると負けたくなくて必死になりました。 

先生から古典の説明を受けることもありましたが、兄弟子から指摘を受けることもありました。
いつも「上手いけど荒っぽいね」と言われました。笑  

私の書道歴 -会社入社~3年目-

ちょっと大学時代の話に戻りますが、入社試験の時は凄く書道が役立ちました

履歴書に「漢字〇段」とか書けるのもありますが加えて一つ。
「自己PR」の欄の記入です。

最初の数社は自己PR分が上手く書けなくて「自分ってどんな人間なんだろう」と若干鬱になりそうなレベルでした笑

履歴書

やっているうちに『自分の大好きなことをしている時が一番自分らしい』ということに気づきました。
これは今でも若い子たちに言っていることなのですが、自信もって言えます。

私は書道で自分を語りました。
「私は納得できるまで頑張ってやり切る人です。小さい頃から書道をしていて・・・」
これが自分だと気づかせてくれた、また自分の良さを教えてくれたのが就活であり書道です。

その会社の面接は1回で、役員7人に対して私1人でした。
会社のオーナー(元国会議員)もいるし緊張しました笑

だけどその人が履歴書の書道に興味を持ってくれて、ひたすら書道のことを聞いてくださったのです。
緊張もほぐれて、いくらでも話せるような感覚の中で良い面接になりました。

オーナーからは
「藤井君、最初は凄く緊張した顔をしていたけど、書道の話になった瞬間に笑顔になって非常に良かった。
だけど履歴書の字はあまり綺麗じゃないね。」
と言われ、
「ありがとうございます!まだまだ未熟なのでもっと字も上手くなるように頑張ります!」
と答え、最後に面接の手ごたえを感じたとともに、(書道が)”こりゃ駄目だ”っていう複雑な心境を持ちながら終わりました(-_-;)

後日、無事に内定を頂き翌年入社しました。

入社後にはみんなでオーナーに挨拶に行きました。
みんな自分の名前を言って「宜しくお願い致します。」と言うんですが、他の人より熱いエールを頂いたのを今も忘れません。

オーナーは非常に怖い人で、地域で噂になるレベルの人でしたが、”書道をやっていたおかげで” 
この人に気に入られて会社に入ったという自覚があるので、気に入られていたのかもしれません。

残念なことにそれから1か月後、オーナーは急死されました。 

会社1,2年目は多忙な日々が続きました。
年末年始問わず土日のどちらかが出勤になるような職場で、上手く土曜日に仕事が入らないように調整して書道教室に行けるように頑張りました。笑

2年目の時に色々あって仕事辞めたくなるどころか何もかも投げ出したくなるような気持ちになったけど、そういう時も書道教室に行けば心が落ち着きました。

そんな時期に受けた漢字師範の試験も思い出深かったですね。

試験には無事受かって、
「師範になったけどこんな実力で教える資格もらって良いの?」
って不安になりました。

それまでは書道教室でしか字を書いたことが無く、土曜日しか練習していなかったのですが、家でも練習をするようになり、練習はほぼ毎日するようになりました

「とにかくやらなきゃ」「先生教えてくれるうちに頑張らなきゃ」という気持ちが強くて、仕事が日付回って終わって帰ってきた時も30分だけでも練習しました。

書道古典 

当時惚れていたのが「九成宮醴泉銘」「枯樹賦」です。
師範の試験の時に出されていた課題ですが、あまり古典を知らなかった私でもこの2つの古典の持つ雰囲気・美しさに感動し、沢山臨書するようになりました。

九成宮 臨書

練習はやればやるほど上手くなるし、やればやるほど競書冊子の写真版に掲載されることが増えてやる気もどんどん上がりました。

だけどやればやるほど上達するしコツが得られてくるもので、まだまだ伸びしろがあるということが明らかに体感できるので落ち着いている暇がないのも事実でした。

教室では13時から19時までずっと練習したりと、先生もよく面倒を見て下さったなと思います。  

私の書道歴 -会社入社4年目~6年目-

師範の資格を取った時に他の先生から「全国の作品展に出展すると良い」とアドバイスを頂くようになり、創玄展や毎日書道展に出品するようになりました。

創玄展は1年目は入選止まりでしたが、2年目3年目は二科賞を取り東京都美術館に行きました。
書道 王羲之

始めて東京都美術館に行った時のことも印象的です。

当時雅号を上手に書けなかったことと、自作の印も微妙だったので「碧」と「峰」と名前の付く方の作品を徹底して研究しました
相当時間が掛かりましたが、物凄く勉強になりましたね♪

美術館には2日間とも行って、2日目は作品の解説を聞きに行きました

会場を回りながら色々な作品の解説をされるのですが、回っているうちに自分の作品の正面に来て、作品の説明を聞かせて頂くことが出来ました!ラッキー!

書道 王羲之 

2年目の時はたまたま国立新美術館で作品を見ていたら、憧れの先生に遭遇して思わず声をお掛けして一緒に写真撮影して頂いたりしました。

こんな感じで東京では物凄く運に恵まれていて、いずれもやる気を更に高めるキッカケになりました。

職場が異動で変わってからは字を書く機会が増えました

ある日、現場作業員のヘルメットの字(名前シール)をテプラで作ってほしいと依頼があったのですが、機械が無くて面倒だったので筆ペンで手書きで書いたのです。

それが話題になり、身の回りの作業員から沢山の注文が入り人気商品?になりました。
沢山の人の名前を書くので漢字の練習にもなり、また筆ペンで字を書く練習になりました。
この時にようやく筆ペンを使って字を上手に書けるようになりました。 

やはり書かないと上達するためのコツは習得できません。
口で教わってすぐできるものでは無く、身に染み込ませていくものだと思います。 

筆ペン各種

会社入社6年目。
2017年9月、会社に入って沢山のことを教えて下さった方が亡くなられました。 

その方はいつも顔を合わせるたびに、
「おう、藤井元気にしとるか?」
「藤井にいつか何か一筆書いてもらわんなんなー」
とか声を掛けて下さって、いつも自分のことを心配してくださっていて本当に良い人でした。

非常に仕事の出来る方で、”あの人に認められたい”と思って頑張っていただけに本当にショックでした。
あの人がいなければ今の自分もいないし、いつか自分で字を書いてお返ししたいと思っていたのに。

しかし、その想いは叶うことなく、消えていきました。 
「どうしてあの時書けるだけの腕が無かったんだろう」と悔やみました。

「勝」色紙

でもどれだけ悔やんでも取り返すことはできないんです。
だからいつでも書けるようになるように練習に励むしかありませんでした。  

私の書道歴 -退職~本格的筆文字デザイナー-

2018年4月。
退職してからすぐ仕事をしなかったメリットとして沢山の自由な時間が増えました。

九州阿蘇「インプレッサ」 

他のブログでも書きましたが12日間の旅に出ていて、各地でInstagramで繋がった書道関係の方々にお会いしてきました。

それが物凄く刺激的で自分の実力不足を感じ、家に帰ってからは朝から夜までひたすら練習しました。
自由な時間が多かったので徹底的にやりました。

するとまた上達するのです。笑
やってもやっても上達するのが書道ですね。

だけど本格的筆文字デザイナーとしては常に最高のものを届けれるように頑張っています
その時その時に全力で筆文字デザインに立ち向かえば、必ず良いものが残ると信じています。  

終わりに

私の書道上達の道、長々と書かせて頂きました。

結局のところ書道はやればやるほど上手くなります

やればやるほど上手くなり、上達のコツを学んでいくものだから練習しまくるしかありません。
それも長く、ずっとこの先も、何十年と。

情熱を絶やさないことが大切だと思います。

そのためには良き仲間に出会わなきゃいけないし、常に自分の実力を客観視する必要があると思います。

それが出来ているからこそ毎日向上を目指して練習に励むことができます。

書道

書道は形に残ります
だからこそ自分の辿った道のりも作品を振り返ることで見ることが出来ます。

満足し過ぎてもダメだけど、たまには振り返って”もっともっと頑張れるはずだ”と自分を鼓舞していくことも大切だと思います。 

私自身、明日はもっと上手くなるだろう、明後日はもっともっと上手くなるだろう、と思ってやっているから終わりは無いんですよね。 

出来ればこの記事を最後まで見て下さった皆さんが楽しくて、上達してより充実した書道生活を送ってくださることを祈りまして、最後の言葉とさせて頂きます。

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藤井 碧峰 (Fujii Hekiho)
〒939-1322
富山県砺波市中野252
090-6812-3391 
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【藤井碧峰書道教室】(https://original-sho.com/jetb/blog/2813/
<砺波教室>
砺波まなび交流館
(富山県砺波市栄町717)
曜日:第1,3,4金曜日 9~12時&18~20時半まで

<金沢教室>
金沢市薬師谷公民館
(石川県金沢市不動寺町イ34−1)
曜日:第1,3,4水曜日(18~21時)
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この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

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