書道と習字の違い -臨書の大切さ-
実は結構違う書道と習字
書道と習字は結構違います。
しかし似たり寄ったりなところもあります。
習字は入門的なイメージ、書道はそれに対して発展的なイメージがあります。
書道は”道”という字が付くだけに奥深さを感じるからかもしれません。
書道を熱心にされている方なら他の方から
「○○さん、習字上手なんやって~?」
って言われたら微妙に引っかかるところがあるんじゃないでしょうか?
ここでは私なりの考えをここで記していきます。
習字とは
習字とは、
誰かしら先生がいてその方の書いたお手本を習って字を学ぶこと
と私は定義しています。
他の表現では書写とも言いますよね。
硬筆でも毛筆であっても、お手本を書き写すことがこの習字の勉強方法です。
書道の基礎的なことを学ぶためには習字を経ていくことが不可欠であると思います。
また学習内容的にも実用的な内容が多く、侮れないのが習字です。
書道とは
書道とは、
・自らの手で、自己や伝えたいことを表現すること
・文字の持つ美しさを表現する芸術
だと私は定義します。
芸術という素敵な表現が出ましたが、単に思い思いに書けば芸術になるわけではありません。
そこには確かな下積みがあって、その下積みとは臨書を基礎とする勉学があるはずです。
臨書とは
臨書とは古典を手本として書を学ぶことです。
”あれ?これも手本あるじゃん?”って思われた方もいらっしゃるかと思いますが全然違います。
比田井天来先生の言葉を引用しつつ臨書についてまとめてみます。
臨書では、中国の王義之をはじめ、欧陽詢、虞世南、褚遂良、顔真卿や日本の空海など、素晴らしい書物を残した方々の書を手本として学びます。
書道には流派というものが沢山ありますが、先生の流儀だけを学んでいては先生を超えることはできません。
そうではなく古典を直接学ぶことで誰もが昔の素晴らしい書家に近づくことができます。
古典の中には力強い書もあれば優しい書もあり、また神経質に感じるような書もあります。
沢山の古典を学び、その表現方法を身に着けることで独自の書が書けるようになります。
褚遂良「哀冊」
臨書によって沢山の表現を学ぶと同時に、自分の書の癖を無くすこともできます。
また、書道家・書家を謳う人の中には勉強していないが故に誤字を平気で書いている方がいらっしゃいます。
自分の書を受け取った人を巻き添えにしないためにも決しておろそかにしてはいけないのがこの臨書なのです。
大切なのは学び続けること
習字であっても書道であっても、大切なのは学び続けることです。
自分のエゴで字を書くのではなく、古典を学び続け、自分を磨き続けた先に素晴らしい書があるように思います。
私もこのことを常に意識しながらこれからも筆文字デザイナーとして頑張って参ります。
臨書についてもっと知りたい方は
【書道の書き方を学ぶ古典臨書「顔真卿 祭姪文稿」】
【書道家 藤井碧峰作品ギャラリー】
という投稿も是非ご覧ください^^
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