藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
ラベルを揮毫させて頂いている富山の日本酒、三笑楽酒造は今や私にとって不可欠の存在で、いまだに書道家として生き残れているのもお世辞抜きに三笑楽のおかげなので、ここに感謝の意を表して記します。
前半は現在発売されている三笑楽のお酒たちの紹介。
後半は私と日本酒の、生まれながらにある切っても切れない関係についてです。
【2019年】
三笑楽酒造からラベル揮毫のご依頼を頂いたのは2019年9月の話です。
日本酒に関わる仕事をするということは、書道家になる以前から、小さい頃から、いや生まれながらにして運命づけられたことのように感じていたため、この話を頂いて言葉にできない喜びがありました。
一方で当時大きな仕事を受けたこともないため、どう返答すれば良いか戸惑ったというのが正直な感想です。(←当時は仕事もあまりなく活動できておらず、引きこもりのような書道家だったので)
久しぶりのスーツを着て会社訪問して、緊張しながらいたものの、緊張する必要がないことを教えて頂いたのも三笑楽酒造です。笑
三笑楽の純米酒を頂いて、「ウチのお酒は五箇山の食事に合う力強さが特徴。これを飲みながら、どんな字が良いか考えて書いてみて」「冬良かったら酒仕込みにバイトしに来る?」と言われたのが懐かしいです。
それまで県内の日本酒をいくつか体験してはいたものの、すぐに特徴が分かりハマってしまいました。
恥ずかしながらも日本酒に関わりたいと思ってきたわりには、さして日本酒の味の違いが分からない男だったのです。
仕込みのことも本で勉強してはいるのですが、現場を見ないと理解できないところがあり、自ら希望して冬に仕込みの手伝いをしに、砺波から山奥の五箇山まで通いました。
ただ字を書く書道家、それが嫌だったのもありますが、味も、その会社の社風も知ったうえで、その字がどうあるべきか。これを考えたうえで、良い仕事をする。
これが私の思う、書道家が日本酒に関わる際の良い仕事の仕方でした。
若者だからと侮られない、本物の仕事をすることだけが、道を開くと信じていました。
【2020年】
そうして書き上げたのが2020年2月のこと。
「三笑楽」という左右対称の難しい字を力強く、躍動感を作りながらも正統派の書で揮毫する。
大変な道のりでしたが、20代最後の仕事として成し遂げられました。
『20代のうちに大きな仕事を成し遂げる』
そんな目標を持って、会社員だった25歳の時に先の人生と向き合い、27歳で決断し、28歳で起業する道を選んだのですが、立山山頂雄山神社への看板奉納登山、三笑楽酒造の新ラベル揮毫という2つの大きな仕事を29歳で成し遂げられました。
奇しくもコロナウイルス感染症という存在が忍び寄り、大きな一歩を先延ばしされることになりました。
現実は、在庫のラベルを消化していかないことには、私の揮毫した新三笑楽ラベルは表には登場しません。
そんな中、山﨑社長の想いもあって登場したのが【純米吟醸「甦る」】でした。
「甦る」の字は急遽書かせて頂いたものでした。
その後、【「RAINBOW」山廃純米吟醸】にて、新三笑楽ロゴが登場です。
ラベルの登場とともに、山廃の味わいを経験するという一石二鳥な仕事でした。(富山県内で山廃仕込みの日本酒は貴重です)
6月頃には小瓶で【大吟醸しずく酒(金沢国税局鑑評会優等賞受賞酒)】が登場。
三笑楽の字が大きく使われ、お店で見た際には興奮したものです。
10月には三笑楽酒造が日本酒と真摯に向き合い、持てる技術の粋を尽くした最高のお酒【魂(KON)】が登場。
日本酒では珍しい高価格帯となる12,000円での販売となり、巷で話題になりました。
私も実際に味わわせて頂きましたが、社長と一緒に色々全国の日本酒を飲ませて頂いた際に感じていた凄いお酒の条件を、この魂には感じることができました。
こちらの「魂」の字は、以前書いたものを社長に気に入って頂けて提供いたしました。
冬頃には【純米大吟醸】が登場。
瓶のデザインも含めて、特別感のある一品です。
これより定番商品がどんどん出てくるのですが、それぞれの商品名を楽しみながら書いているのも注目ポイントです。
【2021年】
1月頃より【純米酒】の新三笑楽ロゴ版が登場。
裏面には三笑楽のキャッチフレーズ「楽しく、笑って、三笑楽。」が使用されるように。
その後【原酒】、【山廃仕込み】(旧こきりこ)、【純米吟醸】、【純米生貯蔵酒】、【大吟醸】が登場。
富山県内のお店に並ぶ三笑楽は、ほとんどがこのパッケージとなりました。(普段のお酒、「上撰」「酉印」は昔ながらのひげ文字です)
他にも書いたものがありますが、2022年1月現在登場しているのは以上の品々です。
今年のお酒は特に出来が良いとのことで、ますます目を離せないのが三笑楽酒造です。
私はこの世に生まれる100年以上前から日本酒に関連のある家に生まれ育ちました。
そんなこともあってか日本酒というものが比較的身近であり、いつかは日本酒に関する仕事をするのだと子供心ながらに思いながら歩んできました。
しかし、現実には近寄りたくても近寄れないのが日本酒という世界でありました。
そもそも飲酒できる年齢になった時には、お酒を飲めるけど美味しいだとか、何が楽しいのかも分からずにいたものです。
車が好きで、合理化主義みたいなところがったので、常に自分の精神状態を冷静に保ち、いつでも運転できる状態でいることが正しいと思っていました。
大学時代はずっとそんな感じでいて、楽しいなと感じるようになったのは伏木海陸運送という会社に入社して、そこで知り合った社員の方に飲みに誘って頂けるようになってからです。
その方とは歳は離れており、当時の私は口数の少ないながらも気に入ってくださって、楽しく会社や社会のことをお話してお酒の場が少しずつ楽しくなってきました。
会社を退職する年度の慰安旅行で、作業員の方々と楽しくお酒を飲んだのも良い思い出です。
この経験無しでは、私はお酒に理解のある人間になり得なかったのではと思っております。
会社を退職した時点では何をするか決まってはいなかったのですが、書道家になるか日本酒のビジネスをするかのほぼ二択でした。
退職後すぐに行った12日間の西日本の旅では、灘の白鹿、菊正宗、白鶴の酒蔵めぐりをしたり、いいちこワイナリーにも寄りました。
根本的に現場を見ないと気持ちが入らないタイプなので、旅からの帰宅後に家で沢山勉強しました。
しかし、実務経験のない私が日本酒の仕事をした時に、気持ちの上で自分がやる意味を見出せない、自分である意味が無いなら本気になれないという点がネックとなり、日本酒での起業の道はそこでストップしました。
書道家なら未熟ながらも自分のやるべきことができる、それは会社員時代に大変お世話になった今は亡き恩人への想いもあって選んだ道でした。
だけど、ずっと日本酒、そして立山に関わる仕事をしたいと思ってきました。
それにダイレクトにアプローチすれば可能性が開けるのも分かりますが、目の前のやるべきことをやっていれば、ちゃんとたどり着けると信じて歩み続けました。
起業して1年で、沢山あった活動資金がほとんど無くなって、そんな目標どころはでなくなっていきました。
ずっと何も成し遂げられていない二十数年の人生に、諦めるという選択はないはずでしたが、いくらでも雇われて働く場があるのが見えているなかで、極めて厳しい労働環境のイベント業を選びました。
それが2019年の夏で、照り付ける太陽の中、土砂降りの雨の中、知人の行き交うイベントのなか、書道家などというプライドもなく、実力のない自分を嘆きながらも、書道家の活動を続けるため朝昼夜問わずバイトを続けました。
追い込まれて、死ぬ気でやり遂げるという覚悟で実施したのが立山山頂雄山神社峰本社への看板奉納登山でした。
起業時に願った立山に関する仕事をする、ということは運命的な出逢いにより29歳のうちに成し遂げられました。
立山駅から歩いて30㎞以上、2,500mの標高差を歩き、山頂に看板を奉納することに成功しました。
それからは何事にも屈しないという気持ちでいたいと願いましたが現実は厳しく、それは許されません。
翌月の2019年9月、三笑楽酒造から新ロゴ揮毫の依頼を頂きました。
この時、事業的に様々な危機に立たされており、首の皮一枚で繋がれた気分でいました。
二度とないチャンスを頂いて、”他の誰にも代えられない、自分にしかできない良い仕事をする”というテーマのもと、色々な試みを社長に提案して、そのうえで書道家藤井碧峰ならではの日本酒ラベル揮毫の仕事ができました。
・書道家自らお酒の仕込みを手伝い、日本酒を理解するとともに、この蔵のお酒の味、社風を理解したうえで揮毫する
・三笑楽のそれぞれの商品名、酒米名等を別々の書体で書く(30パターン程書きました)
主にこのようなことでした。
真似できない要素があるとすれば、
・日本酒の仕込み←肉体労働のため相当辛いので若手有利。字を書いてお酒も仕込んで商品を届ける人はいない
・お酒の味が分かる←そもそもお酒をそれなりに飲めることが大切。自分のなかでは既にベースとなる日本酒があったことも良かった
・社風を理解←経済学、経営学オタク、会社員経験した人間ならではの理解に励んだ
・商品名、酒米名等を別々の書体で書く←そもそも酒蔵側のデザイン管理が難しいため、通常は許されない。書くことができる人間がいても、自分でデータ編集までできないと実現不可能な点においての参入障壁。書き分ける大変さと、それぞれのクオリティが高くないと意味が無い。古典臨書に全てを託して、時間を掛けて揮毫した
という点が挙げられます。
これらは、過去にも先にもない良い仕事を目指したがゆえに生まれたものでした。
リアルな話をすれば、仕込みの手伝いはアルバイトでもありましたので、当時突然愛車がエンジンブローして廃車になっていたこともあり生活的に助かりました。
それからの新三笑楽ラベルの登場は先述のとおりです。
2020年10月には家宝?として「三笑楽」パネルを制作。
このパネル作品は社長のご厚意によって貸して頂き、2021年の砺波市内での富山県信用組合出町支店、北陸銀行砺波支店での藤井碧峰書作展でも展示させて頂きました。
それによって「この人が書いたんだ」と、多くの方に見て頂くことができました。
これが私が三笑楽酒造と辿ってきた道のりです。
三笑楽のラベル揮毫の仕事をさせて頂いた実績が、この富山という地で書道家でやっていくという点において、大きな意味を持ったのは言うまでもありません。
それは三笑楽というお酒自体が持つ魅力にもあり、酒蔵の多い富山県においても特に個性のあるお酒を作っているという点で、加えてこだわりある日本酒好きに支持されるお酒であるということが重要です。
単純に揮毫させて頂くのも嬉しいですが、良い仕事をする会社との繋がりは大きな意味を持ちますし、私自身職人として勉強になることが沢山あります。
三笑楽と繋がれた理由には様々な要素があり、これもまた辿ってきた道のり一つ一つが間違いじゃなかったと感じた次第です。
願いはいつか叶うと強く信じて、目の前のことに対して精一杯頑張っていれば、必ずチャンスがやってきて、それを見逃さないようにする。
チャンスが巡ってきたら自分の全てを賭けて仕事する。
これができていたから今の三笑楽との関係があります。
書道家藤井碧峰にとっては本当にかけがえのない存在です。
【三笑楽酒造株式会社】
所在地:富山県南砺市上梨678番地
HP:https://www.sansyouraku.jp/index.html
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