藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
雄山神社前立社壇の神職 増川さんよりご依頼頂いて制作を進めていた、「うまくいく守」が完成し、昨日の雄山神社でのメディア取材にて実物に出会えました。
新型コロナウイルスによって暗い雰囲気になった世の中を打破すべく、書体は”何事もうまくいきます様に”という想いに通じる、優しさを意識して書きました。
また、従来の御守りを徹底的に調べたうえで、現代感覚に合う特別な御守りにしたいと思い、トータルでデザインさせて頂きました。
これが運良く御守り製作の世界にも昇華転写の技術が導入され、細部までデザインを表現できるようになったため実現できたことです。
緑色(青色)は立山近辺に流れる水の色のイメージで、水は生命の源なので選びました。黄色(オレンジ色)は心温まる色のイメージで、日の出の色合いも意識しました。
サイズは110×66mmの大きめの御守りで、中には板札が入っています。(一般的な御守りには紙札が入っています)
御守りの後ろにはこんな記載が。
山頂に奉納した看板の文言です。
雄山神社さんとは2年前、立山頂上峰本社へ看板奉納登山をさせて頂いた時からのご縁で、今回のご依頼を頂きました。
自分の起業後の生活のことで言えば3年前も酷かったけど、2年前はもっと酷くて、尽きていく運用資金と精神的にもボロボロになっていくなかで出逢ったのが、写真右側の土肥さんでした。
この方が目の前に現れただけでも運命的でしたが(詳細はこちら)、私はとにかく営業をしかけないんですよね。自然に、流れに任せて動き続けています。
小さい頃から「立山、日本酒に関わる仕事をしたい」と思ってはいましたが、意図的にそこに持っていこうとしたことはありません。
自分に与えられた環境・色んな制限の中で、目の前のことを全力で尽くす。
そうしていった先に立山山頂雄山神社への看板奉納登山がありました。だからそういう運命だったんだと、今も信じています。
本当に”死ぬ気でやる”とはこういうことかと身を持って体感しながら、やり遂げた時の感動。
そしてそこからの物語はあまりにも素晴らし過ぎて、あらゆる面で成長できたように思います。
看板奉納登山の際、当初は9月に奉納する予定でしたが、相方の土肥さんに無理を言って8月の山の日に合わせて頂きました。
「せっかく見て頂いたり、写真を撮って頂くために奉納するのだからなるべく早く」とお願いしたのですが、今となって振り返ると翌年にコロナウイルス感染騒ぎが起こったのですから、最善の判断だったなと感じています。
真夏の最高に天気の良い日に、富山湾から5kgの看板を背負って歩くということで、土肥さんには申し訳なかったですが、筋が通っていると思えば突き進むしかないです。
さて御守りのデザイン制作に関し、企画としてまず失敗しないように、雄山神社の増川さんと徹底的打ち合わせした上で進めました。
書道家だからと字だけ頑張ってもどうしようもないし、トータルでうまくいっていないと、うまくいく守にはなりません。
こんな時に役立ったのはやはり、面白い・楽しいと思って色んなデザインをしてきた経験です。
また、私自身挑戦者の身としても、この御守りを受け取られる方、贈られる方のことを想って制作いたしました。
自分が「どんどん行けー!」というタイプではなく、常に不安を抱えがちな人間なので、そんな人にも寄り添える優しさがあるかもしれませんね。
この御守りを手にした方々が、より良い未来を手にして頂けるよう願っております。
さて、12/2の朝刊で、北日本新聞、富山新聞、読売新聞にて掲載して頂けました。
性格上、普段目立たないように務めているので尚更ですが、一日に3つの新聞社にて名前を取り上げて頂くことは今後恐らく無いと思われるので記念に投稿いたします
<北日本新聞>
<富山新聞>
<読売新聞>
〇「うまくいく守」のお渡し場所
雄山神社前立社壇
住所:富山県中新川郡立山町岩峅寺(いわくらじ)1番地
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