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BLOG 書道・筆文字

藤井碧峰的ビジネス論|「与える」と「奪う」

与えること

有難いことに仕事に追われるなか、息抜きがてらのブログ更新です。
画像を入れずひたすら文章を打ちます。

元々経営学をやっていた人間なので日々ビジネスに関わる色々な記事を読んだりしますが、
「仕事は忙しい人に依頼しなさい」
というのは、今自分がその状況になってよく分かるようになりました。

自分で蒔いた種で実績を作って、様々なチャンスに対して結果を出したことが実を結ぶのです。
もちろん失敗もあるけど、それをはるかに超える良き成果が流れを作ります。

大学の時に自分の中でビジネスに対する答えは出していました。
『これからの時代のビジネスはソリューションビジネスだ』
これは簡単に訳すると「解決する商売」で、IT業界においてはシステム的なものの提案によってその企業が抱えている問題や不便を解決することを言います。

この書道家としての仕事を開始した際にも、ちゃんと現代の抱える書に対する問題を挙げた上で、この書道界で自分には果たして何ができるか、何を一般の方々に与えられるか、それを考えてきました。

ここで、「与えられるか」と書くと上から目線のように勘違いする人がいそうですが、これは商売の成功、失敗に繋がる基本的な考え方と感じております。

間違っても「与えてやっている」にはなってはいけません。
偉くなってはいけませんし、感謝の心があれば間違った方向にはいかないはずです。

お客様には私の書に対する対価としてお金を頂いております。
ウチにはある程度決まった料金体系があるため、それに沿ったやり方をするのですが、いつも「いかにしてそのお値段以上の満足度を感じてもらえるか」が、私の大切にしているところです。

対価としてお金を頂けることは生活のためにも大切なことで嬉しいことなのですが、本当に大切なことは数字で計れないものです。
「こんなにカッコいい表札を書いてくださってありがとうございます」
「この作品のおかげで心が洗われるような気持ちで毎日眺めています。」
何度お客様の声に励まされてきたか、今もメールを振り返って思い出したりします。

結局のところ求めてくださる人に自分が精一杯を与えようとすると、それ以上が返ってくることが時々あって、それがたまらなく幸せなんだと思います。
自分で書いて、直接お客様から喜びの声を頂けるのだから、こんな嬉しいことないですよね。   

奪うこと

与えることを考えると、奪ってしまっていることにも気づきます。
この感覚も非常に大切だと感じています。

私も時々周りの書道の先生に相談することがあるのですが、お金を払って弟子入りしているわけもでなく、モノでお返し出来るものでも無く「申し訳ないな・・・」と思いながらいたりするのですが、「良いよ、自分の手助けで藤井君が活躍してくれれば良いだけだから」と言葉を頂いたりします。

この時、相互補完ということが成り立っており、お互いにできること、できないことを補い合っていることに気づきます。
他の先生は知識や技術があってもう出来ないことも、藤井の年齢、能力でなら頑張ればできることもあり、私は応援者の代わりに夢を実現する立場となれます。
もちろん私としては与える以上に頂いているばかりなので、結果を出さなければなりません。

「萬物感謝」色紙作品

たまにホームページやSNSにこんな質問をされる方がいらっしゃいます。

「オリジナルTシャツ作りたいのですが墨について教えて・・・」
「淡墨の基線はどうして交差すると先に書いた線が後に書いた線の上に・・・」
「将来的に書道家として仕事をしたく、何かヒントを頂ければ・・・」
「その渇筆はどうすれば出るのでしょうか?」
「こんな作品書いたのですがアドバイスをください」
「筆をこう洗っていますが大丈夫でしょうか?」
「表札の木を仕入れるにはどうすれば良いでしょうか?」 

こういう質問を見ると周りが見えてないなと感じるのですが、それに返答して
私が何の得をするのかという面白おかしいものです。
餅は餅屋ですね。
いつから書道ヘルプセンターになったのか教えてください。笑 

これまた面白いのがこういう変な質問に真面目に返答しても「ありがとう」の一言もなく、返信なく満足されて終わることが多いのです。
これを貪欲と思えば素晴らしいでしょうが、相手に与えてもらって自分だけ得すれば良い人です。

自分なら聞くべき人を考えて行動するのであり得ませんが、相手の時間を奪っているという感覚が常にあるので、せめて前置きとして「あなたにとって何の得も無いので申し訳ないですが」と入れます。
もちろん答えを頂いたからには「ありがとうございます」です。  

周りに期待しない、誰も自分に興味がない

身の回りで上手くいっている人を見ると、やはり与えることが上手な人が多いなと思っています。
それはモノをタダで与えるのではなく、自分の立場というものをよく理解されたうえで自分にできることをちゃんと行動されていることが多いです。

身の回りで不幸そうな人を見ると、周りから何かを与えてもらうことに期待して、大して動かず不平不満ばかり言っているワガママ、自己中心的な人が多いです。

自分は事業始めた時からずっと「周りに期待しない」「誰も自分に興味がない」という意識をもって活動してきました。
パッと見た感じでは寂しい感じがしてしまうのだけど。

それは周りに期待しても、みんなにもそれぞれの生活があるし、他人のことなんて構ってられない。
自分の考えなんて誰も理解できなくても、自分を信じてやっていくしかないし、信頼できるのは自分だけだ、そう思っていました。

周りが与えてくれると期待してばかりいても自分自身が惨めになるし。
いざ与えてもらえなかった時に落ち込みも酷いだろうし。

でも期待していない誰かが赤の他人の自分に何かを与えてくれた時、いつも以上にありがたく感じられるし、自分もお返ししなきゃと思えるし。

「誰も自分に興味がない」というのも、暇な人ほど自分が周りからどう見られているかばかり気になって仕方ないそうです。
自分の人生の主役は自分ですから、結局他人のことばかり考えていられないし、他人に付き合ってばかりはいられないはずです。  

何を軸としていくのか

個々の世界の闇を突いたような話になりましたが、私の考えるビジネスの基本はそれと裏腹に「他人に与えること」を軸としています。

ビジネスを始めるとなると「お金はちゃんと稼げますか?」「生活できていますか?」「この仕事はいくら貰いましたか?」「もっと貰わなきゃ」「それで食べていけると思ってるの?」などとお金の話ばかりされて書のことはそっちのけにされるのですが、儲けることばかり
考えていては世間から求められる仕事をすることはできないと思っています。

何故ならその考えではお金をもらうことしかモチベーションにならないからです。
逆に、求められていることに対して結果を出せなかった場合はお金を頂く権利はありませんし、そこまでで終わります。
せっかく好きなことで起業したのに迷走が始まりそうです。

”求める人に何かを与えたから対価としてお金を頂いている”
”求める以上に与えられた場合には更に嬉しい言葉を頂ける”
この流れに気づかずにいては、書道家として間違った方向にいってしまいます。

だからこそ常に相手の期待を上回る何かを与えるという意識を無くしてはいけないと思っています。

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

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