藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
日産自動車で初代プリメーラ、Z32型フェアレディZのデザインを担当した前澤義雄氏は、雑誌ベストカーでの連載企画「デザイン水掛け論」で度々自動車のデザインに求めるものは【時間的耐久性】だと述べられていました。
この考え方は当時読んでいた記事の内容も合わさって、私の中で大きな考え方の一つとなっていることは間違いありません。
学校でデザインや書道について専門的に学んできたわけではない自分にとって、普段目にするものから自分の感性で受け取って、自分なりに考えて答えを見つけていくことが、仕事の出来栄えへと繋がっていきます。
現在開催中のけんしんさんでの作品展示も同じようなことで、何度でも見たくなる作品や額装の仕方、内容について練りに練りました。
これは実際には受け手がどう感じたかはいずれ答えが出ることかと思いますが、自分の普段生きる世界で得た感覚を盛り込んでいくほか有りません。
いつも毎日のように車で通る道も、自転車で走ってみたり歩いてみたりすると、普段気づかないことに気づけたりするものです。
100年前は車はメジャーではなかったわけですから、移動スピードも遅いわけなので、身近なものにより気づける環境があったのかもしれません。
昔の日本語には繊細な日本語の表現が沢山あります。
それが今の人にできない理由は、生活スタイルが変わって興味の対象が分散されたことなど色々あるでしょう。
普段せわしなく、スピード感を大切にしている人は休める時はゆっくり過ごしてみたり、普段からゆっくりとした生活をしている方は、あえてモータースポーツをしてみたりスピード感のある遊びをしてみると何か新しい発見があるのかもしれません。
作品展示には大きなテーマのもとで色々な表現を盛り込んだつもりですが、全部で15点ほどあります。
1回目に見た時は印象的に引き込まれる作品ばかりに目を引かれるものです。2回目以降に見ると段々細部が気になってくるものです。
その中で”全体のプロポーションの良さ”が大切であります。
2年前に他行にて作品展示させて頂いたり、山町ヴァレーで展示をさせて頂いた時もこのように沢山の作品を展示したのですが、ある程度は考えているものの、作品数を稼ぐために色々と必死だったように思います。
今振り返って見てみると、一つ一つの作品は頑張っているものの、全体として何が伝えたかったかよく分からない点がありましたね。
そして作品としての良さ、字としての良さ、線としての良さ。段々と細部へ配慮を落とし込んでいく。
当初の意識では、線の良さ、字としての良さ、作品としての良さ、と逆方向に進んでいました。
書道的にはこれで正しいのでしょうが、一般の方から見るとやはりパッと見のイメージというものが大切です。
まず見てもらえないことには何も始まらないわけですからね。
そして作品の雰囲気が良い、額装も良い、言葉の意味も良い。といったような流れでしょう。
それらが良いことが前提で進めますと、今度は”時間的耐久性”を持った作品を求めていきます。
パッと目を引くことに気を取られ過ぎると、見ていて疲れるものになってしまいがちです。
特に私はまだ土俵入りしたばかりの作家ですので尚更そう思うのかもしれませんが、お客様に気に入って頂ける作品を書くことも大切ですが、今後何十年にもわたってずっと気に入って頂けること、また書いた自分自身が何十年か後に後悔の無い作品を書くことを大切にしています。
それはその時になってみないと分からないことですが、今の時点で書き終えた時に自分自身に問いかけて納得いってから進めるようにしています。
感覚的には書き終えた時点で自分の気になる点が残るものは既に失敗しているということです。
書き終えた後大体1日から数日間おいてみて、何度も見ていくなかで引っかかりが無いものは将来的にも良いものになることでしょう。
他の先生方が見てアレコレ言ってくる可能性はあっても、オーダーメイドの作品というものはお客様と私の中で傑作となっていればWin-Winなのですから、それ良いのかなと思っています。
今後の活動としてどのような展開になってももちろん日々の鍛錬によって常に最高のものをお届けすることは我々の使命です。
さて、先日御神酒のデザインをさせて頂きました。
こういったお仕事をさせて頂く際に常々意識していることは主に
〇時間的耐久性
・品(たたずまい)
・全体のまとまり
です。
これは普段の貯めてきた技術、経験、感性が漏斗を通して、混ざって絞られて出てきたものがロゴや作品となると感じています。
言わば自分の抜け殻のようなものなのですが、その作家ごとに出てくるものが違うのは当然のことで、私の世界が好きだとか嫌いだという人もいるのは致し方無いことです。
今回のロゴは特に要望があったわけでもないので、思うように書かせて頂きました。
読み易い類の字ではありますが、元々可読性の高い字に美しさを感じることが多いので、それが自然と今回のラベルに現れた気がします。
結果的には凄く喜んで頂けたようで、ちゃんと受け入れて頂けたことが分かり、正統派で通すことの良さを感じた次第です。
結局思うに、時間的耐久性と正統派の書というものには関連性があると思うのです。
それは1500年近く経った今も王羲之という書聖の書をベースに書道という世界が開かれており、その本流を見失うことなく古典をベースにして学び続けていれば、現代人にとってもどことなく身近に感じられる、ホッとするような字を書けるのではないか。
未だに王羲之や、それに学んだ人々の字が愛され続けるということは時間的耐久性あってのことで、その事実を見失ってはいけないと感じるのです。
CLOSE