とある書道用品店の終わりと向き合った日々|書を学んだ場所
とある書道用品店の終わりと向き合った日々
昨年末に投稿しようか悩んで保留していた内容ですが、もう書いて良いかなと思います。
自分しか責任持って書ける人間がいないんです。
大切にしていた高岡市の書道用品店が2年ちょっと前にやめられました。
あえてお店の名前は書きませんが、自分の師である水上先生もずっと利用していたお店で、そのこともあって僕が初めて行った書道用品店でした。
フワッとお店を閉められたので、周りの関係者となるお店、メーカーさんもどうなった?って感じになったんですが、本気で応援していただけに個人的に本当に辛かったですね。
あちらからも沢山応援していただきました。
そこには沢山の楽しい思い出もありました。

自分は起業して2年ほどの頃にコロナ禍が始まったのですが、このお店も代表が体調を崩されて今後がどうなるか分からない状況にあり、時間を見つけてはよくこのお店に足を運びました。
お客さんがなかなかお店に来ないなかで、何かをしなければという想いもあり、お店の包装紙も無い銘柄の不明な端数の色んな紙を使わせていただいて、使い方に合わせて紙を選定したり、価格をつけたりもしました。
ある時はお店にある硯で墨を磨って違いを楽しんだり、墨と紙のマッチングを見たり、写経に合う筆の選定をしたりと、色々な勉強をさせていただくと同時に、お店の方々も分からなかったことが分かってお互いに楽しい時間を過ごせました。
書をよく分からない者同士だったあの頃、無数の道具を試させてくれて、その中で自分の道具の知識を鍛えさせてくれました。
自分が使って良かった道具は、レビューとともに売り方もお伝えしたりなんかして。
それで売れるようになったと聞いた時は嬉しかったですね。
単純に仲良くしていたこともあり、最後の数年は一番お店を利用していた客だったかもしれません。

ある時はお店のお客さんに「息子のために良い書道教室を紹介してほしい」と言われて、お店から連絡先を共有いただき、後日体験に来られて藤井碧峰書道教室の仲間になりました。
その後、その兄妹も入っていただいたり、そこからの繋がりで数名入っていただいたりしましたが、良いご縁で繋がった方々は今も大切な仲間です。
そしてこの仲間の出逢い無しには妻との出逢いもなかったという事実もあります。
だから人を大切するということは、どこで何が起きるか分からないという不確実性はあるものの、本当に良いことで、人として続けていくべきことだと思います。
そんな書道用品店も体調を崩されて、仕事ができないようになり、次第に店を閉めがちになられました。
連絡取るにも大変で、メーカーの方々も大変だったようです。
そんな様子を見て、「勝手に辞めたら許さんからね。やばくなったらあの一番高い筆買ってあげるから」と会うたび言ってましたが、お店は無言で終わっていきました。
お店に何度行っても、明かりがついていることもなく、何の貼り紙もなく、今も多分そのままです。

辞めるなら関わった人への誠意を伝えていかないといけない、ということはいつも自分自身が大切にしていることであり、書道教室の生徒さんにも共有していることです。
ちゃんと礼儀を尽くさなかった人に、次はありませんからね。
多分このことに一番怒らないといけないのが自分である一方、どうして助けられなかったのかと凄く落ち込んだ時期もありました。
今頃彼らはどうやって生きているのだろうと思うこともあります。
しかし、時の流れとともにそれを受け入れていくこともステップアップと捉えるしか無いことも知りました。
本当に本当に残念な出来事ではありましたが、何よりも言葉に尽くせぬ感謝の気持ちがあり、彼らのおかげで今があると本気で信じています。
だからここに記しました。

書道人口は昔に比べて減少し、メーカーも書道用品店も少なくなってきています。
せっかく出逢えた書く仲間も、書を離れていっています。
自分自身は向き合いたくなくても、大切な仲間が身の回りからいなくなるのを見届けるということを、この起業してからの7年間でも何度も経験しました。
だからこそ、僕はみんなに希望を感じてもらいたいし、書道の世界にしか分からないことではなく、一般の多くの人にも分かりやすい結果を出すことにもこだわって活動してきました。
今月もお世話になっている書道用品店の即売会でメーカーさんにお会いしてきて、皆さんがこのホームページやSNSをご覧になってくださっているのを知って、こちらも嬉しいし元気を頂いています。
これからも永く活動するためには、彼らの存在が無ければ自分も存在が危うくなるのだし、自分のみならず書道の世界全体が元気になれるように、頑張りたいと思うのです。

経営とは生き延びること。
それを学んだのも、その書道用品店での出来事が大きくあります。
手先の技術や数字云々ことよりも、やっている側が本気で生きたいと思わない限り、周りがいくら懸命に手助けしても儚いものとなります。
僕は少しでも長く書で生きたい。
だから、信じたやり方で、自分の責任において精一杯やっていきます。
そして、いつか人生を振り返る時が来たならば、今回記した彼らのことも大切な思い出として語りたいと思っています。