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富山と日下部鳴鶴の書|石碑・作品を紹介

「明治の三筆」「日本近代書道の父」と呼ばれた、書の開拓者

安念正義遺愛碑|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸
【書の三人展】中野公民館まつり・系譜図

「明治の三筆」「日本近代書道の父」と呼ばれた、書の開拓者日下部鳴鶴。

今回は富山県に点在する日下部鳴鶴の石碑・作品について記します。
とは言っても当然、誰でも見に行ける場所の紹介となるのですが、実際には書の収集家の家庭にもあったりします。

ここでは藤井碧峰自ら現地で撮った写真を共有しますが、やはり現地で見るに越したことはないです。
特に多字数の石碑は雰囲気が実物の方がつかみやすいですし、彫刻の秀逸さもうかがえるためおすすめです。

この記事が今後の富山、日本における文化財保護に少しでも貢献できれば幸いです。

富山県民会館分館 薬種商の館 金岡邸|富山市

富山市金岡邸|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸
富山市金岡邸|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸

富山市にある金岡邸では、入口に店名「丹霞堂」の字を揮毫した額が掲げられており、かなり大きな額でした。
他にも近衛文麿の書も飾ってあり、建物内部も当時の最高の材料を使ってあったりと、施設の方にお話をお伺いすると非常に興味深い施設でした。

富山県民会館分館 薬種商の館 金岡邸 | 公益財団法人 富山県文化振興財団 (bunka-toyama.jp)

於保多神社|富山市

呉陽岡田先生之碑|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸
呉陽岡田先生之碑|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸

「呉陽岡田先生之碑」が建てられています。
六朝書で有名な日下部鳴鶴ですが、比較的あっさりめの楷書碑だと思われます。

こちら学問の神様菅原道真公を祀っていることもあり、受験を控えている人も是非訪れたい場所ですね。

於保多神社の石碑 | 於保多神社|菅原道真公・富山藩主を祀る (w-7.sakuraweb.com)

富山県民会館分館 豪農の館 内山邸|富山市

富山市内山邸|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸
富山市内山邸|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸
富山市内山邸|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸

日下部鳴鶴の作品数点に加えて、日本の書道に多大なる影響を与えた有名な楊守敬の書が掲げられています。
そして中村梧竹の書もあり、とにかくオタクにとっては宝の山と言える場所です。
こういうマニアックな館は、他の先生方から情報を聞くたびに、新しい発見がありますね。

みどころ|富山県民会館分館 豪農の館 内山邸 | 公益財団法人 富山県文化振興財団 (bunka-toyama.jp)

興徳院浅野君紀徳碑|富山市婦中町

興徳院浅野君紀徳碑|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸
興徳院浅野君紀徳碑|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸

富山市婦中町笹倉の街中に、階段の上にたたずむ大きな石碑が見えます。
篆額の書は初代内閣総理大臣の伊藤博文。
彫刻士は井亀泉で、碑石は仙台石という、最強な組み合わせの石碑です。

佐藤翁碑|砺波市東開発

佐藤翁碑|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸

砺波市の偉人、佐藤工業(佐藤組)の名を広めた佐藤助九郎に関する石碑です。
佐藤工業と言えば、青函トンネル、黒部ダム、東京湾アクアラインなど、大きなトンネル工事に関わってきた存在。
仙台石に彫られた石碑は、今も立派にたたずんでいます。

佐藤翁碑|砺波正倉 (1073shoso.jp)

安念正義遺愛碑|砺波市太田

安念正義遺愛碑|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸
安念正義遺愛碑|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸

我が母校?今は亡きアクロス自動車学校の近く、太田金比羅社には日下部鳴鶴の書いた石碑があります。
こちらは以前、「砺波 日下部鳴鶴」と調べていた際に、砺波正倉さんのホームページによって発見したものです。
このブログもきっといずれ誰かの役に立つことを祈っております。

太田金比羅社の文学碑|砺波正倉 (1073shoso.jp)

藤井經雄君之碑銘|砺波市中野

藤井經雄君之碑銘|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸

こちら何度も触れている、藤井碧峰の地元の「藤井經雄君之碑銘」。
全国的に有名な日本酒メーカー、立山酒造の工場の向かい側にあります。
書道の歴史、系譜を学ぶと書が楽しくなる!|【書の三人展】 | 藤井碧峰|正統派書道家 (original-sho.com)

金屋石という加工しやすい石に彫ってあるため風化が著しいです。
空気に触れているだけでもう駄目だという領域だそうで、僕は今後もこの貴重な日下部鳴鶴の書いた石碑の行方を見守ります。

下の画像2点は10年ほど前に撮影した時のもの。
まだ字がちゃんと見える状態ではありましたが諸行無常です。
何かを伝えて散りゆくのであれば、それを僕はちゃんと受け取り、心に刻みました。

藤井經雄君之碑銘|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸
藤井經雄君之碑銘|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸

北征弔忠之碑|小矢部市小神

北征弔忠之碑|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸
北征弔忠之碑|富山と日下部鳴鶴の書|石碑・掛け軸

新幹線の線路の近くにこの石碑があり、碑額は東郷平八郎の書。
背面に日下部鳴鶴の書があります。
日下部鳴鶴の石碑の中でも、こちらは字粒が大きくて迫力がありました。

彫刻士は井亀泉で、おそらく仙台石でしょう。
今回この石碑に関して、様々なご縁あって多くを知ることができました。
日下部鳴鶴門下の比田井天来先生が富山に来ていたことも知ることができたりと、色々な発見があるものです。

その他

富山市山田村の老舗旅館「玄猿楼」は、日下部鳴鶴の書いた看板を掲げていました。
いつか行きたいと思っていましたが、残念ながら閉業となっております。
無断で転載するわけにもいかないものですから、Instagramのリンクを貼らせていただきます。

https://www.instagram.com/p/CCKTEBeAVqh/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==

終わりに

以前より日下部鳴鶴のことを知るにつれ、幅広い知識を得てこの道を楽しく歩んでまいりました。
日下部鳴鶴について調べているうちに不思議に思うことは、富山には沢山石碑があるものの、お隣石川には・・・?という点です。
また富山でも、富山市より東には無いということ。
存在はするけど、注目する人の数によってその存在が取り上げされていないのか否か。

とは言え、加賀山中温泉の鶴仙渓は日下部鳴鶴が好んだ場所であるが故に名付けられた場所ということ。
何故富山に日下部鳴鶴の石碑が多いのか。
当時のお金で数千万する石碑と言われます。
仮に北前船による富がその理由だったとしても、それだけではこの地域差が説明できません。

まだまだ富山に存在するのかもしれませんし、まだまだ解明すべきことがあり、今後に繋いでいきます。

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