藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
金曜日、夜の藤井碧峰書道教室を21時頃に終えた後、帰宅してバタバタした後3時間ほど寝て、昨日のAM3時に家を出て東京の石飛博光先生の書道教室へ車で下道で9時間かけて行って参りました。
高速バスでも大して時間とコストは変わらないのですが、予約をするというのが結構今の時期にはリスクのあることで、急遽天候によって教室がキャンセルになることもあるので控えています。
あえて下道を走るのも車好きならではだとは思いますが、決して楽しい道ばかりではありません。
昨日走った岐阜から長野、長野から群馬に抜ける道(碓氷峠)などは非常に楽しい道が続きます。
車が好きで大学時代はよくサーキットに行ったり、山道へドライブしに行ったものです。
山道にはそれぞれリズム感があって、それが楽しく感じられたり、時には違和感を感じるものです。
それはスキー場のコースにも似たものであるかもしれないし、卓球の相手に似たようなものかもしれません。
自分に合うものは気持ちよく感じられるものです。
一方で、合わないものは苦手だとか簡単に口にしてしまいます。
人間関係だってそうじゃないでしょうか?
みんな会う前から「苦手な感じの人・・・」とか言いますが、実際会ってみると素敵だったり!!
実際に合って、触れ合って、それからじゃないと見えないものが沢山あります。
書道の【臨書】も同じようなものと言えます。
これは「令和」と書いた造像記ですが、数年前までは私も苦手だと言っていました。
しかしそれなりに練習するようになれば苦手という感情も感じなくなるものです。
ひょっとしたら初心者の人が「隷書は苦手だ」とか口にしているのは、単純に手を付けていないだけの話なのかもしれませんね。
以前までは苦手だったものを自分に取り込むには、自分の中にそのリズム感をとり込むのが手っ取り早いと思います。
そのための臨書です。
臨書を多くする必要があるということは、自分になかったものを取り入れるということです。
自分が単純に気持ちよく書けるものだけ書くのなら誰でも出来ます。
昨今の書道家に多いのはこのパターンです。
自分の書に酔いしれているような人も多く見受けられます。
そうではなく、絶えず自分に新しい栄養を補給し続けることが書道家に与えられた道でしょう。
今の作品展等を見ていても昔から変わらないことが「伝統的」「古典的」と言われたりします。
間違った解釈をされて、先人の作ったものを踏襲すれば良いという雰囲気もあります。
簡単に踏襲、似せられる書というのはレベルが低いものです。
素晴らしい書は真似出来ないものです。
特に感じるのは、暴れて書いたものではなくシンプルな線に見えるのに真似できないものは
超一流の書道家じゃないとできないことのように思います。
以前から嫌気がさしているのが【こうすれば入賞・入選します書道】です。
これが不思議で極まりないのですが、書道の世界では結構当たり前のようです。
実績でしか語れない書道家というのは悲しいものです。
いつも書道家が試されているのは、今その人が自然と書いている字です。
自然と湧いてきたもので勝負したいものです。
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