夏に結婚しました。今だからこそ伝えたいこと。
結婚式は山頂と岩峅寺の雄山神社にて
超個人的なお話ですが、今年の夏に結婚いたしました。
昨年の春まで一切そのようなことも無く、懸命に生きてきただけの人生だったので、それまでの自分に話しても本当に驚くだけでしょう。
起業1~2年の頃からこのホームページを見てくださっている方には、この記事に多くを感じていただけるかもしれません。
そうでない方にも、記事の後半部分でその意味をお届けできればと思います。
雄山神社峰本社結婚式
8月4、5日に、立山へ行き、雄山頂上の雄山神社峰本社にて結婚式をしてきました。
今回の式について、妻が快く受け入れてくれたこともあり、看板奉納登山の頃より大変お世話になっている雄山神社で是非したいと進めてきました。
奉納登山の後もご挨拶のため毎年立山頂上峰本社に参拝しに来ていましたが、”いつかはここで式を”といったことも考えずに、ただ日々の感謝を伝え、書を通して懸命に生きることを誓ってきた5年間でした。
いつでも立山・雄山神社という存在があって、この存在に支えていただいて今があると素直に感じているからこその、ここでの式なのです。
式は5日に行いました。
天気が目まぐるしく変わっていくなか、日の出の頃の美しい立山を目にし、一方でこの後は天気が怪しいとのことで時間を早めて式を行っていただきました。
7時頃から雄山山頂で始まった式は、周りが真っ白の状態でどうなることかと思いましたが、式の途中から青空が出始めて天気が良くなり、身をもって我々の結婚が歓迎されているように感じました。
式はいつもお世話になっている神職さんに色々とお世話いただき、最高の時間を過ごさせていただきました。
社務所の自筆の看板は奉納して以来、余程のことが無い限り外には出さないつもりでいましたが、この時に是非と思い一緒に式を行いました。
あの時間を共にした、山頂でお逢いできた女性グループの皆様も、お気持ちをありがとうございました。
益々幸せな気持ちになりました。
あの夕暮れの立山、あの夜空の立山、あの日の出の立山。
全てが格別であり、先の見えない戦いの先に、こんな世界が待ち受けていたのかと感動するばかりでした。
雄山神社前立社壇結婚式
8月に立山山頂で結婚式をしていますが、2回目の結婚式を雄山神社前立社壇(岩峅寺)にて行いました。
山頂は来たくても来れない家族が殆どということで、もう少し涼しくなってから前立社壇で、家族と近い親戚を呼んでの式となりました。
前立社壇には看板奉納登山の頃からお世話になっている神職さんが三名いらっしゃって、皆さんに式をお務めいただくという特別な式となりました。
久しぶりの再会となった神職さんは、 苦しかった頃の自分のことを知られていることもあり、お話ししていて結婚式まで辿り着いたことの喜びを味わうこととなりました。
5年前の看板奉納登山の後、貯金も尽きてきたなかでイベント関係のアルバイトを入れる限り入ってやってました。
どんなに暑くても土砂降りでも、体力が限界と感じても働き抜く気持ちを、会社員時代ぶりに経験しましたが、これは書家だと名乗っている身からすると極めて苦しい、悔しくて悔しくて仕方がない時期でしたね。
バイトしている時に知人や、これから出逢うであろう人達にも見られたくなかったものです。
そんな時にお手伝いを頼まれて雄山神社でテント設営をした時もありましたが、それは何となく嬉しくて楽しくお務めさせていただきました。
これもまた通るべき過程だったのでしょう。
そんな様々な感情がこみ上げる中で、雄山神社の皆様に式を立派に務めていただき、最後に感謝の言葉と雄山神社への想いをお話しし、締めくくらせていただきました。
拝殿には奉納した自作の作品もあるなか、初めてこの神社に来た家族が殆どでして、これをご覧いただけたことも嬉しかったです。
雄山神社の存在あっての自分だと分かっているからこそ、この人生における特別で大切な式をここでしたかったのですが、この機会に皆んなに来てもらいたかったのだろうと、今になって式を振り返ります。
雄山神社の皆様、本当に素晴らしい式を行っていただきありがとうございました。
結婚について、今だからこそ伝えたいこと
まだ4か月ほどの結婚生活ですが、結婚して良かったと素直に感じますし、仕事に関しても理解がある妻のおかげで一日の動き方が変わり、以前より頑張れるようになりました。
結婚式は雄山神社で行い、三笑楽のお酒で引き出物を作るなど、事業でお世話になった方々にもご活躍いただきました。
何もかもが特別で、本当に嬉しかったです。
そんな自分が起業家として、挑戦者として生きてきた身として、結婚した今だからこそ伝えたいことがあります。
元々結婚願望もほぼ無く、会社を辞めた時に「入社時に決断したことは、絶対に仕事のできる人間になるということ。そのために女性には一切手を出さないようにしていました。」と送別会でお話していたほどです。(一同大爆笑)
ただ、会社を辞めた時点で、結婚の可能性というものは一度完全に無くなったことを悟りました。
書家として生きる道を選び、1万人に1人しか成功しないと言われるなかで、収入をそれなりにしなければ一緒になった人も不幸だということで、結婚というものは意識して動くというものではなく、ただ事業として軌道が乗った先に自分に合った世界が拓けてきた先に、あるか無いか見えてくるものだと信じていました。
そんな時でも家族や友人・知人は、「あんた良い年やし、そろそろ結婚せんかいね」「お前さっさと結婚せえま」「まだ結婚してないのに、生活が成り立ってるとか言うな」と、こっちの意思を無視して好きなことを言ってくるわけです。
こっちも言われっぱなしではいられないもので、合理的な意見で反論する技を近年は鍛えていきました。
コロナの始まる手前頃に大学時代の友人と久しぶりに東京で会って、心が救われたことがあります。
「藤井ちゃんのFacebookたまに見てるけどさ、色々活躍していて凄いなといつも思ってるよ」と。
そんな彼は卒業してから早くに結婚して、スーパーゼネコンで働いていて、有名な建物の建設に関わっていて、給料もご立派そのものでした。
「俺はさ、両親が離婚していて、絶対に自分は幸せな家庭を作りたいと思っていたから、転勤族になってもちゃんと良い給料を貰える会社に入れるように、大学時代も他の友達の誘い断ったりしながら授業取ったり、就活頑張ったりしたんだよね。でも藤井ちゃんはさ、難しいことに挑戦していて、それのために色んなこと犠牲にしてやっているんだから、本当に尊敬できるよ。結婚する、しないとかはその人の求めた幸せの形の違いであって、藤井ちゃんは仕事を大切にしたから今があると思うし。」
彼と話してから、もっと強い気持ちで生きて良いんだと感じました。
僕には僕の生き方や価値観があって、世間の価値観に染められていく必要は無いんです。
実際、身の回りの起業している友人は独身で頑張っている子が多くて、最近になって続いて結婚していきました。
それはやはり、その時に大切にすることの優先順位が違っていただけのことだと言えます。
時の流れとともに、運は自分の手でつかみ取れることも実感し、人との出逢いの中で事業が広がっていくなかで、何となく感じていたことがあります。
それは、人生に起こる多くの出来事は自分の前進のために起こっているということ。
良いことも嫌なことも受け止めて、前向きに行動していくことで道を切り拓いてきました。
何ごとも誠実であることを大切にして事業を進めてきた一方で、腹立たしい出来事が多かった一昨年、色々とやる気を削がれていました。
書家を辞めて他の事業を起業してまた再スタートすることも考えましたが、そんな辛かった頃に手伝ってくれた人が妻です。
これもまた異性を意識し続けていたなら、出逢った人達に「(結婚相手は)この人かな?」とか思って、心の向かわない方向に自分を騙して進んでいたかもしれません。
全く意識していなかったからこそ自然に近しい存在になり、お互いに必要と思える存在になっていきました。
結果として結婚することに至りました。
夏頃、新事務所の看板の紹介記事を投稿しましたが、母屋の仕事部屋が書の道具でいっぱいで狭くなっていたこともあり、結婚のタイミングで納屋の2階を改装して仕事場にすることになりました。
寝る部屋でも仕事をしていたので、仕事とプライベートの気持ちの切り替えをするにも良かったのです。
結婚に伴い自然と働き方改革が為されていきました。
起業したての頃は、本当に真面目な字しか書けず創作も大変でしたね。
応援してくれる人はInstagramの仲間とわずかな友人のみ。
でも、仲間やお客様に鍛えられてここまできました。
初めて自分の商品をネットで売り始めた頃は5万円にも満たない月収で、大学時代にアルバイトをしていた時以下の生活でした。
それでも、自分を選んで依頼してくださるお客様がいる事実が、本当に嬉しかったですね。
書で起業した理由の、「(未熟な)こんな自分でも必要としてくださる誰かがいて、その人が求めてくれた時にちゃんと書ける自分でありたい」という想いも報われながら歩みを進めてきました。
2019年、真夏の立山山頂雄山神社への看板奉納登山、ここで挫けたら人間としてももう終わりだなと感じていて、体力は底を尽きながらも根性だけで歩み続けて成功させました。
結果を出したい時に本気でぶつかってきても結果を出せずに生きてきた人生、この書家の道だけは何があっても成功させるという意志を固めました。
その後、このホームページが多くの方にご覧いただけるようになり、事業が軌道に乗って今があります。
様々な種を撒き、芽が出た種もあれば芽が出なかった種もあります。
でも如何なる時も、生きたいと思ったから、生き残りたいと思ったから、今があります。
もっともっと書家として活動し続けたいと感じた先に、結婚という手段があったのだと思います。
結婚は”個人的なコトだな”と感じていましたが、身の回りの方々に伝えてそうでは無いんだなと感じました。
知人友人、更にはお客様からも祝っていただいたり、自分事のように「嬉しい!」と言っていただけたり。
こんなに自分たちの結婚を喜んでもらえたということに感激しましたね。
”幸せのお裾分け”という言葉の意味が、身をもって感じることができました。
その体験をしたということにも、大きな意味があったと思います。
今後もステップアップしながら、頑張っていきますよ。
応援していただける、支持され続ける書家藤井碧峰であるために。