藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
何故地元の大学に進学する必要があったかというと、
・ずっと同じ書道教室に通うため
・車に乗りたかった
・スキーをしたかった
・家から通うしかなかった
・地元にいることで地元の経済状況を知っておきたかった
というのが主な理由です。
”ずっと同じ書道教室に通うため”という、本格的筆文字デザイナー藤井碧峰誕生に繋がる大きな理由がありました。
先生が80歳を過ぎて、いつまでこの先生に教わることができるかと考えたら富山を離れる理由はどこにもありませんでした。
大学受験のため高3の9月に書道教室へ通うのを禁止された私は、先生に「しばらく来れなくなる」と伝え、教室を去る時に自然と涙が流れました。
高校では卓球がほとんどの生活でしたが、それでも毎週土曜日に通う書道教室は私にとって無くてはならない存在になっていたのです。
もちろん他の大学に入って書道部に入るという道もあったかもしれませんが、私のためにいつも熱心に指導してくださる先生のことを想うと、ずっとこの教室で教わりたいと思いました。
次の理由として、私は中学校の頃からマンガを買ってもらえなくなり、父の「ベストカー」という車雑誌を読んで育った車オタクだったので、地元の大学なら
予算内で車を買ってくれるとの約束のもと、念願の愛車を手に入れました。
トヨタ・セリカ(ZZT231前期型)
この車との出会いが大学生活を刺激的で楽しいものにしました。
絶対譲れなかった経営学。
それは中学校の頃から「将来は独立起業をしたい」という明確な将来像があったからです。
そして地元で起業するからには地元に残る必要性がありました。
大学受験でよくあるのが、
・数学苦手だから文系にする
・文系で行けそうなのが○○大学の○○学部だからそこにする
みたいなマイナスの理由が多いです。
「俺は将来○○になりたいからこの勉強をしたい」っていう純粋な理由が大切だと思います。
私の場合は独立起業のための学びでした。
しかし世の中には理系で起業している人も沢山いますし、そもそも戦後は中卒の起業家だって沢山いたので、実は誰でも出来ることなのです。
ただし学んでおいて活かせることは沢山あります。
何を学ぼうと活かすのも活かさないのも自分自身です。
常日頃から思うのが、一度見た夢や理想は数えきれないくらいにあるのですが、そのうちどれだけのものを実現できるかが自分への課題だなと感じます。
未だに色んなことに夢や理想を抱いていますが、やっぱり良くなると思って生活しているのとそうじゃないのとでは、物事に対する姿勢も変わってくると思います。
出来ることなら楽しい未来を描けるよう、自分がこうなりたいなと思う方向へ一人でも多くの方が進んで頂ければ嬉しいです。
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