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BLOG 日常

時代とともに変わること、変わらないこと

何が必要で不要かを見極めながら

 

どうしても見える世界というのは自分目線になるものです。

前住んでた家は昔ながらの家だったので、戸の高さが175cm程しか無く、中学生の頃には177cm程身長あったので時々頭が当たり「何でこんなに小さいんや」と感じたものです。
でもそれは単純に僕が設計当時の時代感覚から見て大き過ぎるんですね。

日本人は元々小さかったから家も小さかったように思えますが、縄文〜古墳時代は江戸時代より大きい。
でも鎌倉〜江戸時代に身長が低下し、理由としては動物性タンパク質の欠乏が理由だとか。
時代を経て、世界で活躍できるアスリートが増えたのは、肉体的要素が大きく、少なからずそういう歴史の影響があると言えます。
とりあえず我が家では家族の中で自分が飛びぬけて大きいです。

人口で言えば我々は1億2,000万人いるのが当たり前になってますが、鎌倉幕府成立時757万人、江戸幕府成立時1,227万人、明治維新の時3,330万人、終戦時7,199万人だそうです。
(*気になる方は内閣府ホームページ【少子化の現状はどのように なっているのか】をご参照ください)
つまり昔は新しく人に出会うこと自体珍しいことだったのかもしれません。
車も電車も無いですし。
インターネットも電話もない。
SNSで人と関わったり、出会い系サイトというものもないわけです。

その、”人の少ない社会環境”の中では一人一人の野性的な感性というものが生きていたのではないかと思います。
日本の言葉には「雨がしとしと降る」「雪がしんしんと降る」などの言葉があり、それらはもしかすると昔の人には音が聞こえていたのかもしれません。
我が富山県の称名滝も、法然が滝の轟音を南無阿弥陀仏という称名念仏の声と聞いたことに由来すると伝えられていて、我々の感覚からすると念仏は聞こえてこないですが、それほど仏教という存在が世の中にとって重要だった環境では、そういう感性を持ち合わせていたのではないだろうかと想像されます。

日常と写真と書と美しさと

また、人口の推移では新潟県が多かった時期もあり、石川県も全国のトップを経験。
これは北前船の存在による繁栄の影響が大きいですが、現代を生きる我々の感覚からすると人口はどうしても東京が一番のイメージがあります。
富山も伏木や岩瀬の地を回っていますが、石川県に組み込まれていた頃もあるため、その際に全国のトップになっている模様。
(*詳しくは【ねとらぼ「なぜ新潟や石川が「人口日本一」だったのか? 都道府県の人口推移から見る、日本近代化の歴史】参照)
その時の世の中の状況を考えると日本海側は経済的にも魅力的で、賑わっていたことが想像されますが、それも東京のほうが仕事沢山あって良いよねという状況になると人は移動するものです。

さて、新年早々何を言いたいかと言うと、物事を判断する時には沢山の事実をもとに客観視することが大切だと言うことです。そして、相手の身に寄り添って考えること。
3年半事業を行ってきたなかで、この点にこだわってやってきたというのは先の投稿【起業から3年半。結果を出すため懸命に生きる日々。】のとおりです。
事実はどこにあるのかというと、先人の歩んだ道にあります。
私は計算能力がさほどなく、記憶力だけで勉強してきた身なので、歴史や先人について書かれた本からいつも学ばせて頂いております。

「学」

しかし、読書については難しい側面があり、起業前は”ビジネス書の読書ばかりして、知識を得て前に進んだ気持ちでいる自分に満足している”というところがあり、行動に移せないでいました。
徹底的に読書していたので、いざ始まると頭に入っていることが活きて、目の前に現れる選択肢への判断と、それに伴う行動をすれば良い感じでした。
軌道に乗るようになってからは、読書することもあまりなくきました。

でも、最近また読書の時間を沢山作っています。
これは時代とともに変わりゆくこともあれば、意外と遥か昔から人は同じことを繰り返しているものだということに気づいたこと。
あとは、自分より余程チャレンジングなことをしている方々の、何十年もかけて経験されてきたことが数千円で数時間読むだけで学べるというのはコスパが良すぎるからです。
学び続けないことには前進できないなと感じました。

砺波平野|富山県砺波市

時代の変化とともに生活の仕方は変わるものです。
その時その時、人間は”自己保存”のために、生活の仕方を変え、時には住む場所も変えてきました。
それを若手書道家としては、住むところは一切変えるつもりはないですが(笑)、時代に合わせてどう変化していくかを、事実に基づいて判断して行動したいと思っています。

例えばコロナ禍で感染症が怖いから通信指導に切り替える、というのは発想としては簡単ですが、やるのはとんでもなく辛かったです。
事業的に見ても、また生徒さんとの持続可能な成長ツールとしての側面を見ても、臨時的にそれをやることは仕方ないとしても、通信講座を新しく開いて生徒さんを広く募集するのは、自分の考えのもとではちょっと違うなと感じた次第です。
それも、本を書かれた方々の物語となった経験を自分がしただけのことで、経験したからちゃんと判断できました。

やったからこそ学んだこと、今の教室運営に活かせていることもあるので、やはり”一度試してみる”というのは良いかもしれません。
変わりたいと思う自分がいたとしても、実際のところ自己保存の前ではリスクが伴わないと動きにくいものです
何が本当のリスクなのかを考え、時代の変化に柔軟に対応しながら今年もチャレンジしていきたいなと思います。

今年も宜しくお願いいたします。

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

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