藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
今年ももう終わりですね。
起業してからずっと全力疾走するような生活を続けているのであまり終わりを感じさせませんが、確定申告的にはちゃんと1年が終わります。
今年は富山、石川以外から出ないという生活を続けておりましたが、コロナ禍の影響は受けつつも確実に前進したと実感できる日々でした。
1月から順に大まかに振り返ります。
<1月>
ラベル揮毫した三笑楽酒造株式会社様の定番商品、純米酒が県内外のお店に並び始める。
以後、他の種類も徐々に店頭に置かれるように。
<4月>
母校である砺波市立庄西中学校で【創校記念式記念講演「道」】を行う。
となみチューリップフェアで、砺波市美術館前でのフォトモザイクアートのデザインを担当
この2つはそれぞれバラバラに依頼を頂いたものではありましたが、庄西中学校の講演を通して子供たちへの想いを心の中に強く感じたなかで、フォトモザイクアートでは市内の小中学校の子供たちの目標や夢を書いた画用紙をアートに載せるという作品になり、この2つがあって自分の書道家としての活動や、これからのあるべき姿についても学ばせて頂きました。
これは従来の書道家としての仕事とは言えません。
この書道家の事業を通して遊びながら鍛え上げたPhotoshopにおける画像処理技術があり、砺波市に対する思い入れ・理解があってこそ出来上がったものでした。
<5月>
富山県信用組合(けんしん)出町支店での藤井碧峰書作展を開催。
庄西中学校での講演を経て、生きることの尊さや、挑戦し続けることへの想いを胸に、自分の中に湧いてきた言葉の数々を、それに合う表装の仕方を考え尽くして制作いたしました。
<6月>
看板揮毫した「焼鳥真ゆき」さんが高岡大仏近くに移転オープン。
自分の大好きな古典、褚遂良 の枯樹賦を意識して書いたロゴが採用されました。
店主の想いと、私の真ゆき像が合致し、多くの人に気に入っていただける看板に仕上げることができました。
ラベル揮毫を担当したマックスバリュ東海株式会社より「ウイスキー東海」が発売。
ものすごくお気に入りの字で北陸で発売されていないのが惜しいですが、とにかくお気に入りです。
<8月>
北陸銀行砺波支店にて「藤井碧峰書作展」開催
3年前より開催させて頂いている北陸銀行砺波支店での作品展ですが、砺波の中心から良い運の流れを巻き起こすつもりで挑みました。
「龍」の作品は古くより幸運をもたらす存在として伝説や神話に登場するため、この作品展における重要な作品でした。
東京都千代田区の「鮨 誠虎」さんの表札を揮毫。
こちらは太宗皇帝(李世民)の晋祠銘を意識して揮毫。まろやかな雰囲気の表札になりました。
店名揮毫を担当した千葉県松戸市の「おりはら」さんがオープン(トラットリア イル レガーロ2号店)
奥様が富山の私の住む地域近くのご出身で、偶然ネットで見つけて頂けたというご縁もあり嬉しかったです。
<11月>
「やくしだに文化祭」(金沢市薬師谷公民館)にて藤井碧峰書道教室金沢教室の生徒の皆さんと作品展示。
2020年に始まったばかりの若い教室なのですが、皆さんの意欲が素晴らしすぎて素敵な展示になりました。
しきのギャラリーさん店舗内「しきの横丁」看板揮毫。
若い力で美術業界を盛り上げたいという想いを受け止めて、若々しい木簡調にて揮毫しました。
ラベル揮毫を担当した盛田甲州ワイナリー株式会社様「シャンモリ山梨」の新酒ラベルが一部店舗にて先行発売。
9月に一度我が書道部屋までお越しいただき、入念にラベルを決めていきました。
<12月>
雄山神社前立社壇(岩峅寺)の「うまくいく守」の全体のデザインを担当。
従来の御守りにはない、新しい時代の御守りを感じさせながら、求める人、贈る人の想いに通じる御守りとして制作いたしました。
こうして実績が表に沢山見えてくるようになった今、おそらく周りからは順調に行っているようにしか見えないものですが、当の本人はとことん泥臭く必死にやってきた日々がようやく報われ始めたのかなと感じています。
それは書道家になってからの3年半を言っているのではなく、この31年の人生のことを言っています。
たぶん、私が普通の人間だったら既に1年半目の時点で挫折して終わっていたはずで、そこには”結果を出すことへの異常な執着”があったからここまでこれました。
世の中ではコンプレックスという言葉はマイナスのようにしか思われないかもしれませんが、自分は前に進むため、いや乗り越えていかなければならない存在であり、全ての原動力でした。
小さい頃から何を必死にやっても結果が出せずにきて、他から見れば無駄に熱くなっているだけの空回り男でした。
でも何事にも失敗する理由は必ずあって、それがセンスや身体的理由、頭脳の限界の場合もありますが、それを補助し長所を生かすために”戦略的に”物事を進めることを徐々に学んでいきました。
弱みは何をどう頑張っても伸びしろが限られますから。
戦略があればあっという間に物事が上手くいくというものでもありません。
特に書道家という事業は簡単に上手くいくなら、それだけで生活している人が老若男女問わず沢山身近にいるはずですからね。
なので、学生時代から学んだことをベースに築き上げた現代に合う戦略・戦術を徹底的に実行し、沢山の種を撒いて水をやって、花を咲かせていったという流れです。
昨年は母方の祖父が亡くなり、今年は我が家の祖父が亡くなりました。
2人とも書道をすることに対して深い理解があり、長年力強く応援してくれました。
病を前にして弱っていく2人を見て早く事業を展開させて、結果を出して喜ばせてあげたいという想いが、自分を突き動かし続けました。
それに手遅れはあっては後悔になるだけのことなので、何事も拙速に動くしかなったのです。
おじいちゃん達はどれほど喜んでくれたのか分からないけど、安泰と言われた会社を辞めてまで起業の道を歩む決意をしたことで、その別れの時が来るまでに結果を出すための時間の早送りができました。
後になって振り返ると、多くの物事が今に繋がっていて、無駄な時間など全然無かったことに気が付きます。
その時々は嫌で仕方なかったことも沢山あります。
死にたくなったこともあります。
でも、どんな時も前に進むために思考を巡らせて、確実に一歩を踏み出してきたからこそ今に繋がったのです。
具体的な戦略・戦術についてはまだ心の中に閉じ込めておこうと思いますが、起業時より想定していたことが当たっていて、今を生きる時代感覚とともに上手く展開してこれたなと感じます。
この時代感覚とともに事業展開の感覚というものも大切だなと最近感じており、これがネットをさほど使わずに事業展開した人と、私のようにネットを大きな土台として事業展開した人とでは、言っていることへの理解度が全く違ってくるはずです。
ネットを駆使すると、何故かインチキのように思われるところがあったりしますが、ユーザーとダイレクトに繋がれるメリットが圧倒的に大きく、私のように噓偽りなく生きることを大切にしている人間にとっては、ホームページで自分を飾ることなくありのままにお見せすることで、自分の想いを共感できるお客様と繋がれる可能性を広げてくれるので、良いことばかりでした。
それも結局相手に伝わらなければ意味がないので、しばらくは思い違いが生じることがありましたが、事業を展開していくなかでそれを防ぐ方法も身につけることができました。
起業してから3年半も経ち、事業が軌道にのるようになってから2年ほど経ちますが、仕事の仕方としてはやる前に”なぜ?”を繰り返し自問自答して考えて、信じた道に舵を切るようにしてきたので、ある程度「良い仕事をするための型」を作りだすことができました。
それは良い仕事をすることに執拗にこだわる自分にとっても良い仕事であるのは当然ですが、それをお客様が実感できることが一番大切です。
今年一年を通しても老若男女問わず想いを共感できる方々に出逢えました。
本当にありがとうございました。
私の仕事は単純に自分の字を売ることではありません。
想いをもって私の書を求めてくださった方に感動を届けることです。
そうして心を動くという感覚を、皆さんにも感じて頂ける瞬間をこれからも増やしていきたいです。
これからも信じるままに誠意ある活動を続けて参りますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
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