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BLOG 書道・筆文字

それでも僕は古典臨書をし続ける

古典名品という最高のお手本から学ぶ

古典臨書の話が久しぶりのような気もしますが、それが日常なこともあって日々臨書の日々です。
運良く競書雑誌「書作」の10月号と12月号にて最優秀作品にお選び頂いたのですが、全く違う傾向の古典で載ったので良かったです。
せっかくなので、古典の楽しさを紹介させてくださいね。

書作紹介ページ(https://www.shosaku.net/excellent.php

【臨顔真卿「顔氏家廟碑」】
書道家 藤井碧峰作品集

【臨褚遂良 「文皇哀冊」】
書道家 藤井碧峰作品集

頂いた批評も嬉しいのですが、何よりも古典と真剣に向き合って書いたものが選ばれることが嬉しいです。
臨書作品に於ける課題は特に、周りを蹴落として写真版に載るようなものではありません。
純粋に古典と向き合って、自分が目を通して感じているその古典の姿を、自分の手で筆を介して表現することで、出来上がったものがどれだけその古典の良さを表せるかを評価して頂いてるようなことです。
絵画で言うとデッサン、写生のようなものです。

特に競書雑誌書作では様々な傾向の古典が題材として扱われるため、それを好き嫌い関係なく書き続けることが大切だと感じており、それぞれの古典でちゃんと評価して頂けるように、また自分自身の中でも「前回より良くしよう」等と励むことが、書き手としての技法を広げてくれます。
そして最終的には、身に付いた技法を壊すための手法にもなります。
それは凝り固まった”自身の癖”を取り除くことでもあり、マンネリ化を防ぐためのものでもあります。
好き嫌いして、好きなものだけで評されて喜んでいる人は、「私はこれしか芸がありません」と言っているようなものなので、私も偏らないように気を付けています。

書道家 藤井碧峰作品集

我々が今、令和の時代に書いている日本語も、中国の古典から来ているものです。
その流れを辿っていくと唐代以前の古典名品がベースとなっており、それを学ぶことが本来の書を知ることに繋がります。
日本の書道教室は丁寧なのか手抜きなのか、先生のお手本が絶対的なものとなっている傾向があり、それでは知らず知らずのうちに先生の癖を学んでしまうことになります。
まずは先生の字が好きだったとしても、その字はどういう流れのなかで生まれたものなのかを調べてみると面白いかもしれません。
いずれにしても、多くの名を残した書道家が古典名品を学んで、自分の書風を生み出しているという事実は見逃せません。

こうして聞くと辛い修行のように見えるかもしれませんが、実際には自分が自在に筆を扱えるためのステップであって、より楽しい世界に行くための楽しい作業だと感じています。
実際に藤井碧峰書道教室の金沢教室では、私が押し付けなくても古典臨書を楽しまれている生徒さんが何人もいて、初心者であっても楽しめることが実証されました。

【やくしだに文化祭】での金沢教室の様子

私もこうして生徒さんが古典臨書をされると、自分なりの考え方と書き方をお見せ出来なくてはいけません。
そのためにも沢山学び続けなければいけません。
せっかくやるからには自分らしいものを書けるようになりたいし、【何を根拠にして書いているのか】という点においても、古典臨書は切っても切れない関係にあるなと感じるので、この記事を書かせて頂いた次第でございます。

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

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