藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
私の地元にある砺波市立中野幼稚園が今月で終わります。
閉園です。
ご依頼がありまして、卒園者として閉園式(3月19日)の立て看板、式次第を書いて頂けないかとのことで、私で宜しければと引き受けたものです。
世の中の流れの中で消えゆく、自分が卒園した幼稚園に対して何ができるだろうと考えた時、立て看板、式次第だけでは駄目だろう。
「最後くらい華々しく終わりませんか?」と幼稚園の先生方に投げかけて書いたのが今回の一作です。
単純に、静かに終わらせたくなかった。
書道家として、卒園者としてできることがあるなら、その想いを書に乗せて表現することが自分の運命だと感じました。
自分の育った環境が無くなるということは、どことなく寂しいものです。
私においては家から常に見渡せる箇所に桜色の園舎があり、いつも自然と目に入るようなそんな存在でした。
園には元気な園児がいて、中野の人の多くはここから育ったものです。
この作品を書くにあたり、幼稚園の先生方とも沢山お話し、それぞれの想いを聞きながら自分がすべきことを考えました。
幼き頃の思い出というものはそれほど多く振り返ることができるものではありませんが、ここにいたことも全て今の自分をつくり上げていると考えた時、沢山の言葉が頭の中をめぐりました。
拙ながらそれを詩に乗せて、自分の言葉で、上手い下手は別として想いをぶつけて書かせて頂きました。
「ありがとう!!中野幼稚園 泣いて笑った幼き日々。この園舎で育ち自分物語は今日へと続いている。去り行く君へ、心からありがとう」
作品サイズは300 x 160cmと大きい作品になりました。
園の先生に桜の花びらを添えて頂きました。
この先生は私がこの幼稚園にいた時にお世話になった先生です。
これも何かのご縁なのか、呼ばれて伺った際に再会できました。
先生も覚えてくださっていたし、私も覚えていました。
世の中の巡り合わせに感謝です。
幼い頃は普通だった園舎も、大人になって来て見ると、色々なものの高さが園児に合わせられて作られているものです。
それほど自分が成長したのだと感じる瞬間でもあります。
この度は砺波市立中野幼稚園の園の先生方にも大変お世話になりました。
私もこの1カ月ほど何度も打ち合わせで訪問させて頂きました。
様々なお話をさせて頂いたけど、こんな良い空間が無くなると感じるとつくづく悲しいものです。
中野村の人にとってはここは特別な場所です。
地元の方や素敵な先生方に支えられ、中野幼稚園は64年のあゆみを刻んできました。
建物自体無くなるとのことですが、我々が育ったという事実だけはこれからも、ずっと変わらない事実です。
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