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師弟関係とかナントカ|水上碧雲先生揮毫の石碑

師弟関係とかナントカ|水上碧雲先生揮毫の石碑

4歳から書道を教わっていた水上碧雲先生が99歳で亡くなられてから1年が経ちました。

5月にはご親族の皆さま方が藤井碧峰事務所へお越しになられて、交流させていただきました。
「おじいちゃん」「おとうさん」「先生」など、いろんな呼び方が飛び交うなかで、先生のことをあれこれ言って笑いながら懐かしみました。
皆さんからすると、僕の字はやはり先生に似ているようで(基本的なところが)、「あーこの雰囲気似てる!」と話されつつも、「あ、でもこれは全く違うね」とか「隷書は書かれんだから、藤井さんのものやね~」などのコメントもあり、短いながらも何かと楽しい時間でした。

親族でも無いのに、ここまで親しくしていただけることは有難いことです。
そんななか水上碧雲先生揮毫の石碑についての調査報告もできました。

水上碧雲の名は記されていないものの、書き方から探っていくと先生に間違いないですね。
というのも、ご親族から砺波市の薬勝寺さん以外にも先生が書いた石碑があると教わって、庄川水記念公園で見つけた石碑なのです。
慣れたものですが石碑・石標探しは基本的にお宝探しのような工程が存在します。

平成2年7月なので先生が60なかばの時に書いたものでしょうか。
若い時の字で勢いがあるなと感じる一方で、この碑の5年程後に書かれた薬勝寺さんの石碑に比べると整った雰囲気はあまりありません。
面白い発見でした。

裏には多くの方のお名前が書かれています。
碑の表よりかは、名前の書き方を見た方が先生だなと思わざると得ない要素が沢山あります。
息を吐くように綺麗な字を書く人でしたし、それがここに現れています。

先生は亡くなる前、失明して施設に入られてから5年程お会いできませんでした。
忘れた頃に電話が掛かってきては、あれこれ話していたのですが、それも嬉しい時間でした。
【書の三人展】という企画をして、先生に連絡を取りながら作品集めをしていくなかで、地域の人と先生の繋がりも感じることができました。
近くの人には書いた作品をプレゼントしたりしていたようで、圧は強い人だけど義理を欠かない人だったのだなと感じました。

そして多くの人が語るには「怖い人だった」と。笑
僕と先生の間にあった大変な出来事も、村の人が知っていたりします。
僕には僕の正義があって、それが先生と時々ぶつかり合い、先生のもとを去ろうと考えたことも度々あります。

何もかもを美化することはできません。
とことん怒られてばかりでしたから。
先生のご親族とお話していても、いつも書き初めの練習の時など怒られてばかりいた、と。笑

今こんな仕事をしていますが、一人で何でも起こることに対して対応していく力は、先生のように思考が鋭く、厳しい人のもとで育てられ、得られたのかもしれません。
平成2年生まれが大正15年生まれに対抗していくことは、本当に難しいことでしたね。

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

そんな怖くて、怒られていた記憶が強いおじいさまでした。
でも、書の三人展にしても、先生が揮毫した石碑の墨入れにしても、”自分がやらなきゃ”と思ってやれたんですよね。
「この人のために何とかしたい」という気持ちが自然に生まれたからだと思います。

皆さんはどうですか?
「この人のために何とかしたい」と言える師匠に出逢えてきたか、そしてどこまでの行動を起こせてきたか。
その時に周りの人間の意向なんて関係ないものです。

先生が亡くなられてから、何度か夢の中に出てきました。
目が見えるようになって、自分の足であの日々と同じ書道教室の部屋(2階)にあがってきます。
そして優しく語り合い、今ある僕の日々を喜んでいてくれました。

技術や名声を超えて、どんな指導者でありたいか。
僕はただ書道を教える場としての書道教室なら要らないと思って、今日も書道教室に向かいます。

医王山と砺波平野|書道家藤井碧峰

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

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