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BLOG 書道・筆文字

得意なことで頑張るか、好きなことで頑張るか、それとも?

何が得意で書道を続けてこれたか?

いつも書道という存在に対して、好きでここまでやってこれたのか、得意でやってこれたのか疑問に思うことがあります。
「上手くなりたいから続けてきた」というのが一番であり、「やめる理由が無かった」というのも、続けてこれた理由です。

4歳から初めて32年間、長々と続けてこれたことが僕の一つの才能であるとは実感していますが、小さい頃~大学生時代の自分を振り返って得意だったことは、【とことん納得できるまで字を書き続けられた】ということです。
他の人の存在は関係なく、自分も先生も納得できるという字を書くところまで、6~80枚は小学校3年生ほどにはいつも書いていました。

それは字を書くことが得意ということではなく、長く時間が掛かってもお習字というものに一人で静かに、真剣に向き合うことが得意だったということです。
集中力と持久力、また先生に言われてもとにかく書くという忍耐力があったということでしょうか。

夢中になれる、没頭できる存在を手にしたことで頑張れたことが、自分には楽しかったのかもしれません。
当時は字を書くことが楽しいのではなく、頑張れる自分がそこにいることが楽しい、というもので、皆様にご理解いただけない不思議な生物だったかもしれないです。

周りに友達や近しい学年の人も習っていたけど、みんな「一枚良い字を書いて帰ること」が目的になっていた感じでしたね。
僕は仲良い友達も一緒にならっていたけど、字を習ううえでは周りがどうとかあんまり関係無かったんですね。
今も基本的に静かなタイプですから、生まれ持った性質がもたらした効能です。

書道で好きだったことは、いつでも自分の居場所がそこにあったということですかね。
でもそれは今思うと、水上書道教室という場所が好きなだけで、水上書道教室という場所が無くなったらやめるものと思っていました。
純粋に書道が好きだったなら、他に場所を求めてでも続けていくことができます。

だから、僕と書道の関係性は、好きが理由で書道を頑張れたというわけでなく、得意なことである【とことん納得できるまで字を書き続けられた】という行動の積み重ねが、ここまで続けてこれた理由です。

学問としての書道が好き

書道関連書籍|プレーヤー側から見た書の楽しさを伝えるブログ①|書道家藤井碧峰|

最近よく人に話しますが、書道は学問だなと思います。
僕は書道の学問的な点が好きだなと感じているし、そこにある多くの謎を明らかにしていく、理解していくことが面白いなと感じています。
これは本気で書道をするようになって変わってきたことですね。

字の成り立ちや、古典名品の一つ一つの違い、その書の生まれた背景(書き手と時代性)、現代書の移り変わり、生活と書の関係性、道具の違い等。
何でも調べても調べても、いくら書いても、実験しても永遠にマスターするということの無い、奥深い世界があります。

楷書、行書、草書、隷書の字形などは、多くを書いて学んでいるうちに理解していくものです。
よくネット上で誤字を平気で大量生産している書き手もいますが、活字ベースに何でも書いているなと思って見ています。
気付くためにはセンサーも大切で、僕は”調べ癖”でいつでも字典を見て確認していたこと、また様々な書体を書く、彫る機会に恵まれたことで、習ったことが無いなりに字形の成り立ちについて理解が進んだようです。

それを学校に行って学ぶ人もいますが、教室で学ぶこともできます。
しかし、ボリュームがあり過ぎて、学びきれるものではありません。
書くことは”ある程度は”科学的に説明できるものの、”ある程度は”感覚に委ねられるもので、教えきれる技術ではない、また教わったから必ずしも上手くなるものでないという性質があります。
また教える側にも教えるセンスの有無がありますし、習う側にも習うセンスの有無があります。

【作品の額装】裏打ち、貼り込み、マット、浮かし、落とし、ベタ貼り|書道作品の制作

上手くなりたい。
だけど上手いとは何なのか分からない。
その絶対的なものが見えないところに、何かの理想を求めて動く。
僕の場合は理想を求めて、古典臨書をして見つけ出していこうとしています。

この古典臨書も、ただ与えられたものを書いているだけでは駄目で、その古典の表情を捉えることが大切だと感じています。
表情は見た人の感性に委ねられるところが大きく、「端正な雰囲気の古典である」と説明があるからそう感じました、というものではないはずです。
必ずしも言語化する必要は無く、また他人の言ったそれを踏襲する必要もなく、自分はどう感じるかが試され、筆を通してどう書くかも試されます。

人が見たものは人それぞれ違うわけで、良いと思うものも人それぞれです。
僕は僕なりに、良いと感じるものをインプットし、アウトプットも繰り返しながら、日々答えを出してみたいと思っています。
本当に良いものをお客様にお届けようと思うと、その作業はより真剣なものになっていきますが、これがたまらなく楽しいものです。

書道作品、掛け軸、表札看板等制作|書道家藤井碧峰|書のオーダーメイド

最初から得意であったり、好きである必要は無い

得意なことをやってきて、続けているうちに、自分のオタク性質に合う世界と出合い、好きなことを見つけてしまいました。
今は筆が好きで仕方ないのですが、それもまた長くやっているうちに見つけた、書道との良い付き合い方です。
書道に関わる、他の人の書いていないような内容をブログに書くことも好きです。
表札を誰よりも美しく仕上げようと、真剣に向き合うことも好きです。
「好き」と「得意」に関係性はあるけど、何か違うという点が面白いですね。

【砺波市立庄西中学校創校記念式記念講演『道』】

よく分からないけど、辛い、面倒な練習でも誰よりも長くできる、毎日継続できる、といった行動が、僕にとっての得意というものです。
天才型は、そんなに努力の積み重ねをしなくても、センスが良くて早いうちに開花するということだと思っています。
でも、それでは早くできて活躍すると物足りなくて、早くやめてしまいます。

センスが良いと余計な回り道をしないかもしれません。
僕は不器用で泥臭く、回り道を沢山します。
そんななかで好きなことを沢山見つけて、楽しく書家の仕事をしているのだから、やはり人生に正解は無いなと思います。

【能登金剛】自然風景ギャラリー「春夏秋冬」

何となく思うのは、どれだけ大変なことであっても探究心があったり、面白いと思って接していて、努力を努力だと感じずにのめりこめて、自然にそれと真剣に向き合うことができる、時間をどれだけつぎ込んでも良いと感じるものに出合えた人は強いなと思います。

自分にはやりたいことが無い、得意なことも無い何かをしたいけど何をすれば良いか分からないという人も、日常と真剣に向き合っているうちに、どんなことが自分に向いているかが見えてくる気がします。
最初から自信もって得意という必要は無いけど、最初苦手でもやっているうちに得意になった、ということは全然不思議なものではないので、何でもやってみることですね。

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