水上碧雲先生の字を追体験|石碑に墨入れ|砺波市の薬勝寺にて | 藤井碧峰|正統派書道家

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水上碧雲先生の字を追体験|石碑に墨入れ|砺波市の薬勝寺にて

砺波・薬勝寺にある水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ

4歳から26年師事した水上碧雲先生が6月25日に亡くなられたのですが、生前5年程は電話で声を聞けても直接会えなかったことから、何か切なさやもどかしさを感じ、想いをどこにぶつければ良いのかと思っておりました。
先生は亡くなられたものの、先生の書を振り返ると字はまだ生きていて、でも一つ気になる石碑がありました。

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

砺波市の薬勝寺さんにある、水上碧雲先生揮毫の石碑です。
きっと先生らしい、純粋な筆遣いの活き活きした字だと思っていましたが、石碑から墨が抜けて、何と書いてあるか読み取れません。
2年前の【書の三人展】にて、薬勝寺敷地内の石碑の数々を調査したのですが、今回改めて当時の姿を見たいと感じました。

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

ちなみに10年前はこんな状態で、少しは墨色が残っていました。
薬勝寺さんに確認して、墨入れをして良いか確認して許可をいただいたのですが、なかなか行けずにいて、こんな年の暮れになってしまいました。
先生がご存命なら今月100歳になっていたはずで、僕からの誕生日プレゼントです。笑

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

字の箇所には汚れがついているので、歯ブラシやステンレス製のものさしを使って取り除きます。
状態によっては他のものも使います。

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

作業を始めたのが10時頃で、まだ寒いこともあって墨が乾かずに、字の下端から垂れてきました・・・
前回の藤井四右衛門先生の石標に比べると字が大きい一方で、字の彫りが浅いので、含有量の問題でそうなるんでしょうね。
字が消えた石標への墨入れ|書道家DIY|中野振興会館

そんな理由で、垂れてくる墨の処理もしながら進めたので、「慈悲の心」の4字に墨を入れるまで1時間以上掛かってます。
最終的に2時間半掛かりました。

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

そしてビフォーアフターの図です。
甦ったというか活き活きしていて良いでしょう!

先生の字を細かく輪郭を取って、揮毫した時の様子を追体験していくような作業なのですが、自分にとっては体の中に溶け込んでいる書き方なので、やっていて気持ちが良いわけです。
「水上先生ならこういう書くよね、ここをグッと圧掛けて曲がってスッと」みたいなのが感じ取れて、それを分かる自分がいることも喜びです。

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

2年前の写真ですが、中央付近にある石碑の字はほとんど見えないので、大きさの割に存在感が薄いです。
下は今回の墨入れ作業後の写真です。

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

遠く離れても、確かにそこに存在しているという雰囲気になりました。
作業が終わる頃には太陽も上がってきて、見事な光景に見えました。
30年前、僕が水上先生と出会った頃に手掛けられていたこの五百羅漢の整備。
改めて圧巻なのでございます。

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰
水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

ここには句碑が沢山あるのですが、先生が書かれたとしか思えない字が数点あります。
水上碧雲の名を記していなくても、印が彫られていなくても何となく分かるし、それはやはり目の前で沢山書いている姿を見てきたからと言えます。

誰かが僕に「先生に寄せて書いて」と言われても、本当にそっくりに書けます。
それは自分の中に水上碧雲先生がいるからこそ出来る技です。

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

結構大小がある字で、大胆ながら繊細なところもあって、墨入れする側としてはかなり気をつかう内容でした。
「を」「に」「す」の一画目のような細線や、左下の「碧雲書」の箇所などは、小筆を使いたいと思ったりもしましたが、小筆を手にしようとした瞬間に聞こえてくるわけです、先生の声が。

『お前、一本の筆で何でも書けんでどうするがや』

心の中で「すみません」と言いながら石碑の前に戻り、何とか同じ太筆で書き切りました。
いつまでも厳しい人なのです。

そういう理由で、僕は小学校3年生頃から8年前まで名前用の小筆とか持っていなかったんです。
『太筆で名前まで全部書けるがやから小筆はいらん』
今でこそその意味がよく分かりますが、器用でない人間が太筆で名前まで書き切るのは非常に大変なのです。

色んな筆を使うようになっていくと、「この筆は落款まで書ける、書けない」という得意不得意も分かってきます。
それでも、あの時強制されていたからこそ、今何気なくできていることもあるのかもしれません。
何事もご縁であり、出逢いなのです。

これからも先生に育てていただいた、自分の字と共に生きていきます。

水上碧雲先生揮毫の石碑に墨入れ|富山県砺波市薬勝寺|書道家藤井碧峰

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