藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
新年あけましておめでとうございます
本年も宜しくお願い申し上げます
年はじめの言葉として、禅語より【至道】という言葉を選ばせて頂きました。
【至道】・・・最上の道、真実の道。人生において歩むべき道のこと。
11月の富山大学経済学部岸本ゼミの25周年記念パーティーでは、書道家として、起業家としてこんなことを話させて頂きました。
それは、
「人は誰でも世の中に求められていることがある。それを時に運命のように感じ取りながら、
使命感を持ちながら頑張って欲しい」
ということです。
”自分には何にもない。どうせ頑張っても大したことはできない”
と最初から諦める人もいるかもしれませんが、人間その気になれば案外何でもできます。
また運命、チャンスというものは知らず知らず自分で引き寄せてしまうものです。
だけど何度でも良いタイミングが訪れるほど人生は楽なものじゃないと感じています。
「至道」
その言葉の意味に倣って、自分の進むべき道は何か常に自覚した上で、今年も様々な挑戦をして参りたいと思っております。
12月に砺波市の庄川図書館で借りた本ですが、「疎開作家のいた村 太田村の大澤雅休」という本を読んでいました。
大澤雅休先生は元々群馬のほうのお住まいで、比田井天来先生の門下生でした。
棟方志功氏との交流もある方で、共同で制作活動も行われました。
戦時中に教員として児童疎開の引率されて昭和20年、富山県砺波市の太田村にお越しになりました。
それから半年ほど富山にいらっしゃったとのことです。
当時大澤雅休先生はまだ字らしい字を書いていたのですが、その数年後にお越しになられた時には抽象表現に走り始められていました。
その際に福光にいた棟方志功氏とお会いしたとのことで、棟方志功氏は書道家が嫌いだったということもあり、この数年間における大澤雅休先生の書風の移り変わりも、親交を持つうえでは非常に重要だったと言えます。
こうして人の個人としての変化や(字から前衛書へ)、周りの環境の変化(戦時中の疎開によってたまたま富山に来たこと)によって出会いがあり、刺激を受けて新しいものを作り上げていくことを見ていると、つくづく人生というのは必然的に動いているのだなと思います。
私は字のような字を書いている身ではありますが、今は”正統派書道家”と名乗って活動していて、これも時代背景や他の書道家のことを考えると必然的にそうなったのだと確信しています。
もちろんこれからどういう方向性に変わっていくか、変わらないのか誰も知る由もありませんが、色々な出来事を運命的に感じながら、一日一日を大切に生きていきたいと思います。
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