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2つの近代詩文書作品とリズム、雰囲気

陳腐を避ける

書道をしていてとにかく嫌なのが【陳腐】です。

作品展を見に行っても賞を取れる書風にこだわり過ぎている傾向が見えていて、個性が感じられず流儀を感じさせるものが多く、それは何か違うと若造書道家なりに思っています。

比田井天来先生が問うた芸術としての書とは何だったのか、これは以前より記している通りです。

先生の流儀を学ぶのではなく、古典より直接表現技法を学ぶこと。
また古典臨書によって既に身に付いた技法を壊すこと。
そして独自の書を作り上げることが芸術に繋がります。

自分らしさを知るためにも古典臨書が有意義であることは言うまでもありません。
でも今の時代にそんな面倒なことをする人は珍獣のように思われるのですよね。。。笑

臨書をしなければ逆に面白いものが書ける”場合”があります。
しかし、それは俗っぽいものであったり、表現として稚拙になりやすい傾向もあります。
また先生の手本に倣って書くと、個性というものは育ちません。

金子鴎亭先生は【師を否定せよ】という言葉を遺されました。
これは比田井天来先生の系統として、本当に意味のある言葉だと思います。

でも実際のところ大展覧会時代の今、忘れられていることかと思います。

 

2つの近代詩文書作品

上記のことを踏まえて話すと、そうならぬように今自分はもがいている最中であります。

良かったなと思うのが、今富山の先生に習いながら東京の先生にも習いに行っていることです。
またそれをしつつも、競書誌の書作で金子鴎亭先生の書を学んでいることです。

これによって、ごちゃ混ぜ状態にはなっています。
そうした中でも”自分のリズム”というものを出していけないかと意識して書いています。

こちらは書作の近代詩文書作品。

石川啄木、近代詩文書作品

次は競書誌の書道日本の作品。

それぞれに参考作品というものがありますが、それぞれに書かれた年代も違いますし、書き手も違います。
ある意味ではそれぞれに違うリズム感を学べます。

近代詩文書作品は日本人の心を表現するに適した書芸術だと感じているわけですが、文や意味ごとに表現を変えることが書き手に試されることと思います。

こちらは比較的静かに書いた作品2つになってしまいましたが、内容によっては激しめに書いても良いように思います。

これが成績のことを気にし過ぎると、目立つ作品を書くことに意識が行き過ぎて、それは一般の方の心を打つような作品とは程遠いものになってしまいます。

あくまでも生活に根ざした、どことなく心のこもったような作品を書き続けたいものです。

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

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