憂鬱でなければ書家ではない②|依頼がくるのは当たり前ではない
書は必要とされるものではあるが、不可欠ではない

前回の【憂鬱でなければ書家ではない①|試されるから成長する】に引き続き、パート2の記事となります。
僕がこの書道家の仕事を語るうえで、ずっと言い続けていることは「書は必要とされるものではあるが、不可欠ではない」「書は必要なものではあるが、必需品ではない」ということです。
分かりにくい言い方なのでAIの力も借りて説明します。
一般的には、
・必要なもの=あった方がよい、価値がある
・必需品=無ければ困る、生活や業務に不可欠
というニュアンスの違いがあります。
そのため、「価値や意義はある。しかし、無ければ成り立たないほどではない。」という意味で捉えていただければ幸いです。
一方で「必需品ではない。しかし、人の心には必要なものだ。」とも言えます。
僕がここ数年訴え続けてきていることは、「人の心を動かす書であったり活動をすることを大切にしている」ということ。

主題である【憂鬱でなければ書家ではない】とは、挑戦し(戦い)続けているからこそ、必ずと言っていいほど憂鬱になるような壁が、度々目の前に現れてしまうということを表しています。
起業してからすぐは誰にも認知されていないことに加え、「書は必要とされるものではあるが、不可欠ではない」という特性を持つ書を取り扱っている故に依頼が見事に少なく、アルバイトをしていた方が良いような稼ぎでした。
その頃、書道家と名乗っているのも恥ずかしいと思って、違う肩書きでやっていました。
書道家として、作品の制作販売を中心とした事業を求めるからには、収入の安定化が極めて難しいです。
今回はそんな厳しい現実について書いてみようと思います。
制作のご依頼がくるのは当たり前ではない
書道家藤井碧峰の仕事は、書作品を世に届け続けることによってしか成立しないように設計しています。
つまりは書道教室を主宰してはいるけど40人定員制であり、それだけで生活が成り立たないというようになっており、世の中の多くの書道家と呼ばれる方々と違うのがそこです。
書作品の制作が7割で、書道教室は3割といったイメージで、時間の使い方に関しても大体そういう配分になっています。
とはいえ、先述のとおり「書は必要とされるものではあるが、不可欠ではない」という性質を持っているが故に、安定して何かの注文が入るということはありません。
また僕のやり方の問題でもあるのですが、営業の仕方として「”売り込みに行く”or”来るのを待つ”」という分類があるとすれば明らかに後者の”来るのを待つ”です。

売り込みすると、自分を安く売ることに繋がってしまいがちです。
安定収入を求めて他企業との連携を狙い過ぎても、自分が提示したい価格でのサービス提供が難しくなってきます。
そこに仲介が増えるほど、自分の意思と違った売り込み方をされる可能性が高まり、ただ売上高が上がるだけの結果に繋がってしまうかもしれません。
ということで、僕がやってきたことは売れるための仕組みづくりです。
欲しい人が欲しい時に、そこに存在を見つけていただけることが大切ということ。
書は書き手それぞれ書くものも違うし、上手い下手、得意苦手がありますから、都合よく求めた人の近くに良い書き手が現れるとは限りません。
そうなった時に、ネットや地元で”この人だ!”と見つけていただける存在になるということです。(僕もまだまだ、、、。頑張ります!)
ただそれも、いつお客様が欲しいと思い、自分を見つけ出してくれて発注にいたるかは、神のみぞ知る領域の話です。
僕の好きな商品の手書き表札も、7年半ほどの経験から言うと春先の受注が多いイメージでしたが今年は正月明けの方が多かったです。
需要予測をもってしてお客様の表札の制作で滞らないように材料仕入れを先回りして行ったりもしますが、時々こういった予測がズレる時があり、こればかりは分からないものです。

額装作品の購入なども、知人等で目の前で欲しいと言ってくれる人は何人も見てきましたが、実際に買う人は一割もいません。
「書は必要とされるものではあるが、不可欠ではない」という言葉のもと、そこまで欲しいものではないということを実感せざるを得ない瞬間です。
それを分かっているから、無理に売り込みもしません。
ではそんな需要の細い書作品の制作で今僕が生きているのは、生き残っているのは何でなんでしょうね?
ご依頼いただいたお客様には真剣に向き合い、最高の作品を届ける努力をし続けますが、お客様からの口コミでその知人の方からご依頼いただくことはほぼありません。
表札のような比較的需要のある商品でもです。

書の性質として、こういうことが言えると思います。
ハマった人にはハマる。
ハマらない人にはハマらない。
ハマる、とは時に”心が動いた”という風にも捉えたりします。
そんな瞬間を繰り返さないと、成立しないのがこの書道家の仕事のようにも感じています。
僕は多重人格書道と言って、様々な字の表情を作りますが、どうしても分かるor分からない、好きor嫌いがあります。
価格も正当な設定を心掛けていますが、その人にとってそれほど価値が無いと感じればそれまでのことです。
それでもご依頼をいただいた瞬間に、自分がこの仕事にこんな向き合い方で挑戦していることの意義を感じられます。
書道家として起業してから8年生き残ってきて、何度も注文があまり入らず不安になるという経験をしてきましたが、それでも何かしら対策をして進化し続けてきました。
具体的に一例を書くと、楽天市場から撤退して、売上の減少を恐れた日々もありました。
制作のご依頼がくるのが当たり前ではないなかで、如何に需要を生み出し続けられるか、次の仕事を作る努力をできるかが、僕のこの書道家の仕事において何時でも試されているところです。

「正義」「誠意」のない同業者の話を度々聞きながら
そんな制作のご依頼をいただけるのが当たり前でない世界で生きているのですが、度々「正義」「誠意」のない同業者の話を聞きます。
人として疑うようなビックリする話も多いのですが、お金にまつわるトラブルが非常に多いようですね。
それも数万円とかじゃなくてン十万円以上でのお話です。
生徒として無理矢理出したくもない作品を出品させられた、とかの話もよく聞きますね。
僕が好き好んでその手の話を調査しているわけでもなく、書道関係ではない一般の方からその手の話が聞こえてくるのですから、同ジャンルと思われるにも非常に不快なものです。
どうやったらそういう詐欺めいたことできる?って人もいますが、書の世界で変に稼ごうとか、自己顕示欲を持つと間違った方向性にいきやすいのかもしれませんね。

富山大学の講演の際にも、僕の一番大切なメッセージとして毎回言っていた言葉があります。
「皆さんには起業をする、就職するなど様々な選択肢があるなかで、“何をするか”ということより、”人としてどう生きるか”ということを考えて選択してほしい」ということ。
この、人としてどう生きるかを考えた時に、それなりに名を広めながら仕事をするからには、どう見られているかも考えておきたいものです。
正義や誠意の心が大切だと思います。
書と真剣に向き合っていればある程度備わっていて欲しいとも感じます。
何故なら言葉を取り扱う仕事だからです。
言葉には人を動かす力があります。

自分にその言葉を許容する器も無いのに、単純に技術で書いてしまえる書道家というものは寂しいものです。
技術は必要なものではありますが、構築的になり過ぎると、心の動きが反映されることなく、形になってしまいます。
書は生き物であって、自分の都合に合わせて動いてくれるおもちゃではありません。
それよりかは、少し不格好であっても心の中から湧き出た生命感を求めて、お客様の想いに寄り添いながら書いていたいです。
本物の書を一人でも多くの方に届けることが僕の使命です。
それ故に、上手く書けない日々や、ご依頼をいただけない日々も苦しく、憂鬱なものですが、自分が誰よりも求めてくださったお客様の前では、正義を尽くし、誠意をもってして書に向き合える人間でありたいです。
お客様からのお喜びの声は、そういった大変さから救いの手を差し伸べてくれるかのように感じられます。
このように耳に入ってくる書に関する良くない話は有難くはないものの、そういう話を聞けば聞くほど、僕は愚直にお客様と、書に真剣に、真面目に向き合っていたい気持ちが強くなります。





