藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
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藤井碧峰流【職人としての心得】という形で、僕なりに感じる職人としてあるべき姿、スタンスというものを書き綴ってみたいと思います。
後から気づいたことも追加するくらいのつもりで、この記事を大切にしていきたいですね。
ここで記す内容は他人の言葉を借りるのではなく、自分の経験をもってして実証できたり、失敗を経験したうえで心掛けていること等です。
職人でなくても”人として大切にしたいこと”もあることでしょう。
それでは書き進めます。
職人として、その道のプロとして、本当に良いものを届けることが自分の責務なのだから、まずは本当に良いものの定義をすることから始まります。
お客さんの要望に応えることも大切ですが、要望に寄り添い過ぎると自分の最高のパフォーマンスを発揮できないこともあるので、原理原則と基本スタンスが重要です。
そして様々な制限の中で、最も自分のパフォーマンスを発揮できるやり方を常に模索し、磨き、提供してフィードバックを受け続ける経験の量が、より良いものを作ることに繋がります。
この点において、命名書であってもオーダーメイド作品であっても、正直言って割に合わないことをしてしまう時があります。
本当に良いものが書けない時は、いくら書き損じが生じても良いものができるまで追求。
そのようにしていかないと手を抜いても良い自分になってしまいます。
職人であるからには一切の妥協をしない自分でありたいと思います。
それも”本物の書を届ける”というビジョンがあってのことです。
身近にいる職人と呼べる方々と関わってきて、これまで彼らから感じたことは、面倒な作業を多く取り扱いながらも、そこに対する手間を一切惜しまないということです。
現代社会の中では極めてコストパフォーマンスの悪いことと思われるかもしれません。
しかし、面倒なことに向き合おうとする人はほとんど存在しないため、そこで大きな力の差が現れます。
特に職人は、それを生業としてやっていくので、副業と違って自分のエネルギーを注げる量が異なってくるのだから尚更差がつきます。
「貯金をするより自己投資をしよう」と書くと、好き勝手言うなと言われそうですが、職人としても経営者としても、一人のビジネスマンとしてもそうありたいと思っています。
自己投資は常に人として進化するために必要なもので、同じ時間の進み方であっても他の人より早く成長し、新しいものを生み出したり、手に掴むきっかけとなります。
老後のためにお金や力を残していても、その未来は社会的にも個人的にも良いか悪いか予想できないし、段々選択肢が減っていくことも想像できます。
それなら今自分が成長していけば後悔も減るし、楽しめなかったことも楽しめるようになるのではないでしょうか。
この仕事をしてからBtoBで多くの仕事をしてきましたが、他の職人、関係者に敬意の無い職人は最悪・最低だと思います。
残念なことにそんな方を何人も経験してきました。
周りをただの道具、選択肢としか思っていないという感じで、”ご縁”等と良さげな言葉を使いながらもお金のやり取りもいい加減だったり、ちゃんとやりとりした約束を破るし、簡単に関係を切られるし、薄っぺらく悲しいものです。
こんな腹の立つことを何度も経験しているからこそ、”人を大切にすることの意味”を深く考えます。
それは一方的な感情で表現するのではなく、本当に相手にとって大切にしてもらっていると感じてもらえるものを求め、行動で表したいと思っております。
職人は他人の影響を受けることも大切ですが、他人に影響され過ぎないことも大切です。
学校の勉強のように他人に聞けば分かることもある程度あるのは事実ですが、本当に差がつくのは他人に聞いても分からない範囲のことでしょう。
そのためには自分で調べる力も大切ですし、自分の頭で考える力も大切です。
他人に聞いてしまうと、それが答えだと思いがちな人が多いのも事実です。
本当の答えは自分で実践して、自分で確認した現象を頼りに考えて出していくしかないのかもしれません。
同じ世界の先駆者(職人)のことを調べるのは自然な流れかもしれませんが、それだと同じようなことを真似する人ばかりになります。
つまり競合優位性が無いということになりかねません。
それよりかは他ジャンルの職人と触れ合い、それでも共通認識のあることを学んでいくことの方が意外と学びがある気がします。
私は極力書道の世界に閉じこもらないようにしていますし、無理に所属したり交流しません。
自分の身体は自分だけのものです。
一人一人の人間がそれぞれに違った経験をし、そのなかで感性が養われていきます。
書道の世界にいても、人それぞれに言っていることが結構違います。
それは自分の感じ取れる範囲までのことしか理解できないのと、更にはそれを言語化する能力にも差が出るからでしょう。
例えば書作品の渇筆についても、自分の中では出し方が理解できているものの、他の多くの人に出せないということは感性のあり方が違うからですかね。
また作品を書いた時に選別する時のことも感性に委ねられます。
出来上がったものは一つしかなくても、どう見えるかは人それぞれ違いますし、いつ見たかによっても変わります。
そのなかで表装の仕方を考えるのも感性によりますし、それを見た人が良いと感じるかどうかも感性によります。
数値化できない、答えの無い世界では自分の経験をフルに活かして、自分のなかで裏付けを作りながら、選択、決断、実行をしていくことが求められます。
僕が書道家として起業して良かったことは、4歳からやっているので経験が豊富に見えそうでありながら、結構ミーハーな感じでやってきたこと。
そして、先生が何でも教えてくれるわけでもなく、自分の手で探っていくしかないような状況であったことです。
先入観が無いということで、純粋な感情を頼りに物を見る流れができたのだと思います。
良い仕事をする職人になるには、夢中になれること、没頭できることに携わることが前提でしょう。
それは利潤ばかり求めていては違った方向へ突き進むからです。
シンプルに、良い仕事をしたい。良いものを作りたい。
その結果、お客さんが喜んでくれる。
そして自分が満たされていく。
これが非常にやりがいの感じられることなんですよね。
結局自己満足なのかもしれません。
人はそれぞれに自分の生きる価値を求めるのだと思います。
そこに”他人に認められる”という要素があるのでしょう。
まあ、これまでもそうでしたが、認められなくても強い気持ちでやっていくとは思いますけどね笑
認めなかった人が後で良さに気づけなかったことに後悔するほどのものを作りましょう。
あとで引き返したり、態度変えてくるくらいにね。
そんなことはこの5年で沢山経験しました。
ただ自分は自分の信じたように、正面を向いて突き進みたい。
本物を届けられるように努力し続けたい。
そう思います。
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