金融機関での作品展示の意味を語る②|作品展示の工夫とあり方
ひと段落終えた書家の、今だから語れること
以前投稿した【金融機関での作品展示の意味を語る①|メリットとデメリットと工夫】に続き、金融機関での作品展示の工夫とあり方、地域貢献活動のあり方、作品を書く者の悩み、今後の予想などについて触れていきます。

いつも書くことですが、あくまでも藤井碧峰という書家スタイルにおける戦い方ですので、「それは違うんじゃない?」って思われても良いです。
これはあくまでも、こんな考え方もあるよという投げかけ。
そもそもはこの金融機関での作品展示自体が、世の中へのメッセージを多く投げかけていた展示です。
「例え誰も僕のことを必要としなくても良くて、それでも必死に訴えかけ続けるよ」という、この今という時代における捨石のような気持ちで続けていたものです。
自分のようにコンプレックスだらけで、才能に恵まれていない人間ながら、難しい挑戦を続けてきた者だからこそ訴える意味があって、今回の記事でも訴えかけていきたいと思います。
金融機関での作品展示の工夫とあり方
作品にキャプションをつける

回数を重ねるうちに、何と書いてあるのか説明書きが欲しいと言われて、キャプションを作品横につけるようになりました。
最初は、可読性を大切にしている書き手としてやっているし、書は読ませるものではなく、見て感じるものだと思って作品だけ飾っていたのですが、やはり読みたいそうです笑
キャプションには基本的には作品に何という言葉が書かれているかを明記しましたが、次第にその言葉を書く上での想いを記すようになっていきました。
言葉に想いを持っているからこそ、作品として何でも書こうとは思わないし、そうして書きたい言葉が無くなっていった結果、今の自分のように展示する意欲も無くなったとも言えます。
作品によっては、受け手がどのように捉えても良いという意味合いの言葉を書く時もありますが、時には”こう受け取って欲しい”というメッセージ性の強い作品もあります。
そこを説明的になり過ぎると、作品である意味が薄れると取られる場合もあるのですが、拙ながらもありのままの自分の言葉で作品に添えてきました。

書家でありつつも、活動家として、世に訴えかけたいことがあったからです。
砺波という小さな田舎街における小さな作品展示であろうと、作品をご覧いただいた方のうち一人の心でも動けば、そこに自分が生きて活動した意味を感じられるし、心が動くことが言葉にできないほど尊いことだと信じて疑わないからです。
例え1回目の展示では視界に入っても見てもらえないかもしれない。
それでも、次は必ず振り向かせてみせる。
そういった気持ちですね。
そこまで熱くなる必要は無いのかもしれないけど、勤務中に金融機関に来て、ただ待っているだけの時間が有意義に時間に変わるかもしれないし、そこで作品展示を見て書道教室に入りたいと言ってこられた人もいるし、人の時間の使い方を変えることはできるんですよね。
だから、ただ作品展示するのではなく、とことん作り込む。
どんな方が見ても、時間を使っていただくからには必ず、見なかった時間よりも充実した時間にしてみせる。
そんな想いをキャプションにこめていました。
作品の表具の仕方にこだわり、毎回チャレンジする

【書家たるもの、作品が売れないような者は、書家を名乗ってはいけない】とは、起業時に強く意識して、今もなお大切にしている考えです。
字(書)がウリである書家なのに、字に魅力が無ければ作品が売れるわけもなく、それは何か周りの人に対して嘘を言っているような気分になります。
でも売れるものを作るのも違うとは思いますけどね。
自分の書きたいものを書いたうえで、お客様に気に入っていただければ幸せです。
一方で書が良くても、表具(額装・軸装・パネル装)のセンスが良くなければ、欲しいと思っていただけても、それぞれの人の生活空間に飾られた姿を想像できないのです。
そこにワクワク感が無ければ迎え入れるための段取りも始まらないのです。

表具は、作品の世界を更に高めてくれる効果を持ちます。
僕の場合は、和の空間にも洋風の空間にも溶け込むことをいつも意識しています。
センスは鍛えていったものであり、何だかんだでいつも相談に乗ってくれるお店の存在と、展示の際にご一緒した方の意見というのは非常に参考になりましたね。
特注といったことはせず、既存の商品、仕様をベースにしていつもセッティングを考えます。
何故かというと、その額のように作って欲しい、と言われた時に再現不可能なものだとお客様に迷惑が掛かるからです。
その中でも、毎回見たことのないものを書道用品店や画材屋さんと相談しながらつくっています。
イメージが浮かんだら、お店に足を運んだ時にそれを伝えて、実現できる方法を探ります。
チャレンジは先にしておくことで、自分に出来ることが明確化でき、お客様のお問い合わせにも返答しやすいです。
作品の配置の仕方も戦略的に

せっかく時間とお金を使って作品展示するのだから、沢山の方に見ていただきたいじゃないですか。
なので、例えば北陸銀行砺波支店での作品展示ですと、左端に映える全紙1/2サイズの一字書を飾り、けんしん出町出張所での作品展示では、左端に目を引く作品を飾りました。
理由としてはATMの用事が終わって、振り返ったり、視線を変えた先に作品が目に入るようにするためです。
自分がATM利用で訪れた人間なら、どう行動するかを考えて、飾り手としてそこを上手くモノにできるかどうかチャレンジしていました。
あとは、
・サイズとして大中小ある作品を効果的に配置すること
・額や軸の色を見ながら、より魅力的に見える配置にすること
・楷書、行書、隷書、近代詩文書、といった作品ジャンルで配置が偏らないように
といったことを意識して、事前に図面を描いて、無駄なく作品が飾れるようにしました。
実際には図面通りいかないことも度々あり、色合いについては現場合わせて何度もやり替えたりしました。
時には、「これは今回の作品展にはいらない」と感じた作品を外すことも。

結構大切だったことは、作品を真っ直ぐ飾るということ。
作品展示スペースとは言え、展示資材が案外偏りやすいものだったりするので、色々と小技を使って調整しました。
傾いていると、良い作品でも内容が入ってこないことがあるんですよね。
でも割と皆さんの展示傾いてますよ(ボソッ
幅広い作品を飾り、作品集も置いておく
楷書、行書、隷書、近代詩文書、といった作品ジャンルの幅広さはもちろん、作風も全て自分の得意なパターンばかり書かないように、一作一作に別の表情が出るように意識して制作し続けました。
元々はそんなことを意識していなかったのですが、2019年に高岡市の山町ヴァレーで作品展示をした際に(言わば作品展示の先駆け)、「藤井さんの作品は一人で全部書いたように見えないくらい幅広いね」と言っていただけて、それから【多重人格書道】を意識して書いてきました。

ただそれは、むやみやたらに書くとクオリティーの低い書体の作品も表に出ることになるので、慎重に裏付けを持ちながら判断して出していきました。
なので、最初は隷書と草書はほぼ書いていないし、楷書と行書のなかで表現を多彩に持つように頑張り、「よしここで!」と思ったタイミングで、隷書、草書を出していきました。
書家って名乗る人の中にはカッコつける人多いじゃないですか。
得意なところばかり見せていると、それしか芸が無いように見えたりします。
でも誰も最初から完璧じゃないし、絶えず学び、鍛え、時間とともに成長していく姿を大々的にお見せしてきたのが、この藤井碧峰の活動であり、この過程をホームページに沢山残してあります。

そして、書に興味がない人であっても、何かしら1点は気に入っていただける可能性を秘めていたのも、あの作品展示でした。
自分で編集した作品集を会場に置いておき、過去に作品展示したものや、臨書作品、創作の数々を掲載し、実際に書いた看板や商品のロゴの紹介などもしました。
生活の身近なところに書があることを知っていただき、書の効果や面白さを知っていただくきっかけになるためにも。
そうすると作品数は、実際の展示には15点弱あったところ、100点以上あるのに近しいものになります。
その分足を止める時間も増えていき、1時間くらい平気でいられたりするものです。
作品集の編集には相当な時間を掛けてますけどね、、、
作品展示の場でご一緒する

極力作品展示の場に来ていただく方には、希望があればご一緒していました。
大変ではあるけど、遠くから貴重な時間を割いて、ガソリン代も使ってお越しいただいた方のことを思うと、有難い気持ちでいっぱいだし、少しでも良い時間にしていただくためには当然のことです。
見る側の気持ちとして、金融機関に一人で足を運んで、作品しか見ないという行動が落ち着かないのもありますからね。
実際には僕としても素敵な方々との交流の場になったし、定期的にその場に現れる作家というのは金融機関の人にとっても、そこに訪れるお客さんから見ても普通じゃなかったのでは。
暇では無いんだけど、色んな案件を書かせていただくほどに、勝手に存在が大きくなったと見られるのも僕は好きじゃないので、フットワークを軽くしておくことで地元の方々にも身近に感じていただければ嬉しいですね。