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書き手を試す楷書の臨書「化度寺碑」

書き手を試す楷書の臨書、欧陽詢「化度寺碑」

この投稿をずっと見てくださっている方には、私がどれだけ楷書を愛しているかがそれなりに伝わっていると思うのですが、世間から評価されがちな自身の行書よりも楷書の方が大切だと思っています。

それは多分死ぬまで変わらないと思うのですが、どんなに偉大な肩書きを持っていようと、一般人から見て楷書を綺麗に書ける人の方が書道家として実力を納得されやすいからです。
いくら自分で上手いと言っていても、楷書を見ればバレます。
少し乱れているだけで残念に見えます。
だから書道家として起業するずっと前から楷書を必死で磨き続けてきて、そのベースがあって行書が書けているというのが現状です。

中野地区除雪センター看板揮毫|富山県砺波市

理解できる人には理解できると思うのですが、私の行書は楷書をベースとしているからこそ字形のバランスが取れています。
楷書書けない人の行書はぐちゃぐちゃしているなという印象があります(個人的な感想ですが)
恐らく行草書が難しいと言われる理由は、ストレートにそれを学ぼうとしても近道して習得できないところにあるのでは。

先日競書雑誌「書作」にて、欧陽詢「化度寺碑」の臨書作品が最優秀作品で掲載されました。
紹介ページはこちら。(https://www.shosaku.net/excellent.php

書き手を試す楷書の臨書「化度寺碑」

法帖はこちらになります。(天来書院テキストシリーズ42、唐代の楷書1

書き手を試す楷書の臨書「化度寺碑」

<王孟陽本>
書き手を試す楷書の臨書「化度寺碑」
書き手を試す楷書の臨書「化度寺碑」

<敦煌本>
書き手を試す楷書の臨書「化度寺碑」

書作に掲載されていたのは敦煌本の方なのですが、「天・象・攸・仁・義」が不鮮明であるため、こういった場合私は王孟陽本で確認しながら臨書しています。
どうしても拓本もモノによって良し悪しがありますので、褚遂良の枯樹賦も同じようにしています。

そのために必要なのは資料を沢山持つことです。
私は仕事を始める前から競書課題で新しい古典に出くわす度に、本が存在すれば問答無用で購入しています。
どうしても一気に買うとお金が沢山要りますが自分への投資ですし、何より目の前の課題と向き合って得られるものを最大化するためには当然の行為だと思っています。
写真に載れば元を取れたと思っているような人はつまらない。
結果がどうであれ、少しでも自分の血や肉となっていくことに意味があります。

なお、天来書院さんの本は骨書きがあるので、欠けている場合にも何とか書けますし、後半の解説も非常に丁寧なので、臨書する人の気持ちがよく分かっていらっしゃるなと感動します。
ただそこまでしてあっても、石碑が欠損する前の状態は見れないので、何らかの形で補う技術は必要です。

楷書の臨書をするにあたって、私は徹底して形臨を意識して書いています。
書道がよく分からない人に形臨の説明をするならば、お手本を写真より忠実に表現するくらいの気持ちで真似て書くことです。
今回は普通の兼毫筆でも書いていたのですが、優しすぎて古典の良さを引き出せていないと思い、山馬筆を使用して書くことにしました。

書き手を試す楷書の臨書「化度寺碑」

この筆で書くと大変バネが強くて、自分の手腕の動きがダイレクトに字に表れるので、尚更書き手が試されている気になります。
現代書道の父といわれる比田井天来先生はこの山馬筆を愛用されました。
(臨書をする者として天来先生にすごく憧れがあるので、この筆を買ったという話です)

書道作品|富山県の書道家藤井碧峰

この筆で書くとバリバリと音を立てながら、こんな独特な雰囲気の渇筆とともに特徴ある作品ができます。
ただ、私も難しいので研究中です。
問題は山馬の毛が手に入らなくなったので、今後書けなくなるのではということですね。

書き手を試す楷書の臨書「化度寺碑」

実際の作品ではもうちょっと粗っぽさがあったのですが、それは写真では伝わらないですね。
でも本での批評では硬い筆を使用していることに気づいていただけたようで、
『腕が大きく動くように無駄な力を抜いて、大らかに伸び伸びと書かれています。硬い筆の強い反発力を生かして、柔らかい線を作り出す高い技術を持たれている。』
とのコメントをいただきました。(ありがとうございます)

この化度寺碑は欧陽詢の楷書ということで、同じく欧陽詢の九成宮醴泉銘を愛してやまない、一番九成宮を臨書している自分としては肩に力が入りました。(肩こりの原因)
化度寺碑は欠けている箇所が多いので、それを補うための史料の豊富さや、字典等を調べて最適解を導き出す技術が求められると思います。
なので、そもそもは九成宮のような比較的欠損の少ない臨書をちゃんとやってから、この化度寺碑を臨書した方が良いような気がしますね。

とにかく私は、この唐代の楷書である欧陽詢、虞世南、褚遂良の楷書が大好きです。
ただそれらは素晴らしい完成品だと思っているので、中途半端に書いてみるよりかは、徹底的に同じ字になるように臨書して、審美眼を身に着けることが大切だと感じています。

今回の投稿の題名にて、【書き手を試す楷書の臨書「化度寺碑」】と書いたのですが、楷書の臨書は本当にキチっとその原本に忠実になっていなければ目立ちますし、できていないことがすぐバレてしまうので、書道家の先生方も大抵の方は書きたくないと思います。
特に欧陽詢の楷書は緊張感がありますし、一画一画気を抜けないポイントがちゃんと存在する気がします。

分かっているつもりでも書けていなければ説得力の無い楷書を生み出してしまいます。
見る側も正しく理解していないと良否の判断ができませんし、楷書の形臨については将来的にAIでの審査も交えていってほしいなと勝手に思っています。

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

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