藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
『知恩』
我々は自分の力で生きているのではなく、多くの人や多くの物事が関係しており、生かされているという実感を持つこと。
よく大勢の前に出ると緊張して話せない、という話を聞きますが、自分は逆にそういう時に上手いこと話してしまうタイプです。
もちろんほどほどに緊張はしますが、「自分みたいな人間に話させて頂ける機会を頂けるだけで有難い」という想いが先に行くので、何をすべきか明瞭です。
要は自分のことばかり考えるから「ヘマしたら恥かきそう」とか「誰も聞いてくれなかったらどうしよう」みたいになってしまう。
んなもんなるようにしかならんのだから、自分にも周りにも期待しないというのが私のスタンスです。
「どうせ誰も興味ないだろう」
「ちょっと笑い誘っても滑って終わりかな」
といった程度に考えておけばさほど怖くありません。
期待しないから万が一そうなった際にも落ち込む必要すらありません。
余程立派に生きてきた人なら何か失うかもと思って緊張するかもしれませんが、あくまでもなるようにしかならないので。
それも実力のうちです。
よくスポーツ選手が大舞台で「楽しむことを考えると緊張がほぐれた」と言いますが、これもまた似たような感じに捉えています。
要は悪いことを考えないことです。
人の人生とは思った通りに引き寄せていくところがあるので、前向きにならなくてはいけないということですね。
大体精神的に病んでしまう人の症状も似ています。
これは誰もそう思っていないのに、「周りにこう思われていそう」といった想像を膨らませてしまうことです。
例えそうだったとしてもあくまでもあなたがあなた自身の人生の主役なのであって、そこは迷惑にならない程度に周りのことを考えつつも、基本的には事実に基づいて考えるというシンプルな方法をとるしかないでしょう。
そのような妄想を膨らませるよりかは、何事にも感謝して前向きな視点を持つことのほうが余程有意義ではないでしょうか。
何か嫌なことがあった時も、
「~のせいでこんなことになった」
と考える人よりかは、
「ちょっと嫌ではあるけど、最悪の事態は避けれて良かったな」
と考えている人の方がどうみても人が近寄ってきます。
皆さんにも色々な事情があるとは思いますが、自分自身があらゆる事象やご縁の中で生かされているという現状を広い視野のもとで見つめ、意外と奇跡の連続の中で生かされているような実感を得てみませんか。
不思議だな、幸せだな。
そう感じていれば自然と良き流れを導き出せることと思います。
それは宗教や心理学を信じるでもなく、一人一人の純粋な想いによって必ずや幸福へと導かれることと信じています。
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