藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
「どのような選択をすれば成功するか」
とは、何かに挑戦している多くの人が悩むことなのかもしれないですが、自分の日頃の意識と色々な経営者の話を聞いている限り、ほとんどのことには成功も失敗もなくて、最終的には
『選択したものを成功させるために精一杯の努力をする』
というのが正解なのかなと思います。
先日桃太郎の話についても書いたのですが、選んだ時点で成功に繋がる道筋はあるのですが、そこからそれをどう調理するかのレシピは無くて、それは料理人の腕前によるところであります。
日本の教育では「良い大学を出て、良い仕事についたなら将来も老後も安泰」みたいな考え方があったりするのですが、ある程度レールに乗れば確かにその道もあったりするのかもしれません。
しかしながら、その定説のようなものもこの時代の変化とともに怪しくなっています。
そもそもはそんなものも存在しない話で、自分みたいな能力の無い人間からすれば体育会根性で『選択したものを成功させるために精一杯の努力をする』というのが、様々な状況に適合していくための最適解なのだと思います。
そう考えた方が柔軟に物事を見つめることができますし、働き方が自由になっているこの世の中では前向きに頑張れるのではないでしょうか。
私だってずっと書道家になりたいと思ってきたわけでも無いし、今更格好つけて「ずっと書道家を目指してきて頑張ってきました」と言うつもりも一切ありません。
起業の手段として色々な経緯があって書道家という道を選びました。
それが茨の道であるのは自分から見ても他人から見ても明らかでしたが、やるからには成功させるしかないというものです。
それがその時点では成功でも失敗でもなくて、他の選択肢を選んでいたとしても結局は成功するために努力するしかないということです。
よくなるよくならんというよりかは、よくするしか他に途がないということです。
ずっと疑問だったのが、高校受験失敗したり大学受験失敗したり、あとは就活で行きたい会社に入れなくて、それをずっと引きずっている人もいるのですが、それも一つの結果として素直に受け止めないと次に進めないし、”ご縁”と思えば何でも良いように捉えられるのではないか?
ということです。
あとは自分のような不出来な人間が言うのも良くないですが、「自分に期待し過ぎない」というのも大切なのかなと思います。
「よくできた人じゃない。だけど駄目じゃない」という発想も大切で、結局人はそれぞれ他の誰にも代えられない存在だからこそ尊いのだと思います。
会社員時代、「自分がそこにいて何も変わらないなら、その場にいる意味がない」と思って仕事をしていましたが、自意識過剰だったことは否めないでしょうが、これは自分に火をつける意味では良いのかなと思います。
それがきっかけで退職も決意できたし、それが絶対的な考えではありませんが、意識のあり方一つで今いる状況は変えられるのではないでしょうか。
CLOSE