藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
ここ2か月ほど仕事がなかなか追いつかず、お客様にはご迷惑をおかけしましたが、その理由が新事務所への引っ越し作業のためでした。
と言っても家の敷地内の建物間での移動だったのですが、一旦仕事場自体(=書く場所)が無いという状況にも陥り、非常に難しい期間を過ごしました。
しかもとんでもない暑さの中、2階から2階への移動のため、一旦1階に降りて外に出て、また建物に入って階段を昇って、という作業をひたすらこなしまして、、、
書道の本が1,000冊近くあるので、それを運ぶのにも段ボールがいくら大きくても、すぐに重くなって沢山運べないし、ということで地道な作業を続けました。
また古い昭和初期の書籍等や紙に関しては、一時保管の場所を工夫するなど結構大変な作業でした。
新事務所への引っ越しも完了したものの、中の整備、整理整頓をしたり、溜め込んだ仕事に追われたのがこの1ヶ月ほど。
そんなおかげか微妙に筋力と体力は戻ってきたような気がします(笑
そんな最中、念願の看板を取り付けしました。
堂号は「碧山堂」で、いずれ法人化した際に、法人名にもなる予定の名前です。
名前の由来は、大変お世話になっている先生が偶然骨董屋で見つけられて、送っていただいた「碧峰」印の数々の中にあった印が「碧山堂」でした。
“株式会社藤井碧峰”は嫌だなと思っていたので、碧山堂の自然な響きを気に入って、ずっと頭に残っていました。
お笑いコンビの名前に”ン”が入ると流行ると言いますが、”ン”の発音が入るから良いのかもしれません!
そんなこんなで字体も吟味して、自分自身が永く愛せるであろう看板に仕上げました。
木はケヤキを使用しており、左右の部分は元の木の雰囲気を残しました。
看板の取り付けは自分の頭で考えて自ら行い、将来何かあっても手直しできるようにしました。
外壁をカッコいいものをと思い選びましたが、取り付けの際には悩みの種になりましたね、、、笑
今回は小さい看板なのであまり隙間の無いように取り付けました。
日頃から「書家は書くだけが仕事じゃない」と言っていますが、取り付けに関してもある程度知っておきたいものです。
父親が大体教えてくれるのですが、身の回りの大工さんの声も聞きながらやっています。
というのも時々お客様が表札の取り付けで悩まれることもありますからね。
それを知っているからこそできることも多々あるので、学び続けたいと思います。
字については自分で言うのも変ですが、”案外攻めた書き方”をしております。
細線の箇所とか、山の字の3画目にに微妙にカスレが入ったところが個人的なお気に入りのところ。
書いている時に「若干カスレ出てくれ~!」と祈りながら書くのですが、ほぼ運の問題です。
それでも毎回木の看板書きは期間が空くとは言え、色々書いているうちに、墨と筆と木の抵抗感で何となく出し方が分かっている気もしますね。
今回はケヤキだったのですが、表札の木と違って柾目ではなく板目なので、様子も微妙に変わってきます。
全体を振り返って、上手く木と会話して書けたかなと感じております。
先ほどは色紙作品を書いていました。
この画像は駄目な線を写していますが、最初はまあまあ良い線を書いているつもりでも、沢山書いているうちに駄目だと感じて、修正していくことがあります。
それは墨と筆と紙の抵抗感から、会話が生まれて自分で美味しいところを引き出せたという、一つの現象だと感じています。
よく周りから、「どういう風にしたらそういう線出るの?orカスレ出るの?」「(紙とか墨は、筆は~)どんなの使っている?」とか聞かれますが、まず道具と会話しようよ、と思って話を聞いていますね。
誰かに教わらなくても、道具は真剣に向き合えば語りかけてきます。
それが分からないうちは、まだ足りないものが多いのだと思います。
ここは工芸としての書と向き合う大切な仕事場、言わば聖域なので誰でも入れる場所では無く、お店のようなものでも無いのですが、理解ある友人、知人、お客様にも足を運んでいただければ幸いです。
沢山看板や表札を書きながら、手書きの看板を掲げられていない、というのが自分の中でずっと引っかかっていましたが、今回念願かなって看板を掲げられて、一つ、事業として大きな前進をしました。
今後、この事務所から更に多くの喜びを発信していけるよう頑張ってまいります。
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