【字書き岩】の異様な大きさに驚く|飛騨高山|乃木希典揮毫
異様な大きさに驚く字書き岩
昨年の夏のことですが、岐阜県高山市上宝村の国道471号線を新穂高温泉方面へ走っていた時に、左手に突然大きな字が書いてある岩を見つけました。
個人的には数え切れないほど通っている道で、朝早くの雨が降る状況でしたので、尚更不思議な存在に見えました。
気になって後で調べて見ると【字書き岩】と言い、乃木希典が揮毫した岩だということです。
・はじめに弘法大師が、次に室町時代江間左馬助が文字を書いたと言われる。江戸時代には高山宗献寺南裔が、「万古(ばんこ)不易(ふえき)」としたためて、それから字書き岩と呼ばれるようになったと言われる。
一般財団法人 飛騨山脈ジオパーク推進協会さんのホームページと、その作成によるパンフレット「飛騨山脈ジオパーク構想」より引用・抜粋
・戦没者を思い、明治40年に5年の歳月をかけて、乃木希典の揮毫による「皇威輝八紘」が刻まれた。
・高さ16m、幅7mの平面を持つ岩である。約7000万年前(中生代白亜紀)に流紋岩質の火山活動が起こり、その時に噴出した火砕流が300mもの厚さに堆積し、その重みと熱で硬く固結し、溶結凝灰岩となった。その後、高原川などの自然の力で削りだされたとされる。
身長179㎝(今年計測)の自分が見ても相当な高さがあり、字自体が相当大きく、異様な大きさと言っても過言ではありません。
「皇威輝八紘」と篆書で書いてありますが、そのまま意味を捉えると「天皇の威光が八方に輝く」ということでしょうか。
石質もあってか字は遠目にも判別しやすく、何よりも圧倒的な大きさであることから非常に見がいがあります。
岩の右横には上宝村教育委員会による説明書きもあります。
岩の左側には希典謹書の字があります。
僕は行った先々で石碑を見つけては字を見たり、看板の字を見たり、書いた人を確認したりという生活をしています。
そんな生活をしているからこそ、何度も横を通っていたこの字書き岩の存在に気づけたのかもしれません。
書き手は字を書ければ良いというものでもなく、ここに書かれなければならなかった理由とか、書いた人の詳細だとかを知っていれば、色々なことにセンサーを持つことができて、そこからまた新しい発見をすることや、新しい自分づくりにも繋がるのではないでしょうか。
少なくとも自分はそんな日常を既に歩んでいるのでおすすめですよ。