多くの景色をお見せできる書道家でありたい|作品集更新しました
書道家藤井碧峰作品集②を更新しました

大体半年おきの更新となるのですが(実際にはこまめに編集してます)、【書道家藤井碧峰作品集②】を更新しました。
日々受注して制作している作品を掲載したり、競書誌の書道日本、書作に提出している作品の一部を掲載しています。
この作品集を更新するのも、他ホームページの内容の更新も、写真撮影も全て自分でやっているのですが、これが僕なりに大切なことだなと感じて継続しています。
作品集①は2018年~2022年の作品を、作品集②は2023年~の作品を掲載しています。
2023年からまだ3年ほどなのに、もう画像が入る余地が無くなってきております。
自分で書いて、自分で撮影&編集して、自分でホームページに掲載する。
この流れのおかげで、多分ホームページ上の作品掲載数でいうと日本の書家でトップかなと思います。(SNSだと負けます)
商品の写真もプロに任せると更に良く見えるかもしれませんが、あくまでも個人のつくるものなので、自分なりに精一杯を目指すという形で頑張っています。

起業時に【オンライン作品展】ということを事業のネタとして考えていました。
誰でも考えつくような良さげなアイデアではありますが、書道界のことを考えると成立しないのも分かるし、今ではやらなくて良かったなと感じています。
このホームページのそのページには、僕一人の作品が並ぶだけなのですが、色んな表情の作品が並ぶようになって、勝手にオンライン作品展が成立しています。
作品で生計を立てる書道家でありたいと同時に、企業から頂いた事例の数々も大切な作品ですから、それを紹介するにもこの場が大切だということを証明しています。
多くの景色をお見せできる書道家でありたい
多くの景色をお見せできる書道家でありたいと、いつも思います。
それを作品でお見せするということを、書に携わる者としてこだわっています。
僕の場合はこれが仕事なので、この書道家の活動の中で見えてくる世界を共有することが、藤井碧峰の大きな役目と捉えています。
内山精工「全員一丸」「意志あるところに道は開ける」

さて、今年の書き初めは富山県上市町の内山精工さんからのご依頼で、今年のスローガンである【全員一丸】の字を模造紙に書かせていただきました。
模造紙は788mm×1091mmというサイズで、厚手の紙ながら丸めることもできて、白も引き立ちます。
ただ全員一丸の4字を収めるには難しく、半紙で構成を入念に練って、思い切って書きました。
このお写真の内山彰博社長は、熟練者全国空手道選手権大会で2年連続で優勝されているのですが、情熱的な方で、お会いする度に元気をいただいております。
内山社長がどのように想いを持ってお話するかもお聞きして、理解したうえで、この字が生まれたと感じております。

こちらは、昨年内山社長からご依頼いただき制作した「意志あるところに道は開ける」の額装作品です。
この言葉は何度も書いていますが、内山社長に出逢うきっかけになった同じ言葉を書いた作品があり、我々には思い入れの深い、特別な言葉です。
今回は今年プロ野球入りされる選手のもとへ贈られました。

臨光明皇后「楽毅論」

この2点は書作の臨書課題から書いています。
昔やってた競書誌では、半切1行に8字というものが多かったのですが、書作のお手本を書かれている金子鷗亭先生の作品は10字以上ということも時々あり、大小を作って書くのが当然。
大小が無ければ成立しないものですから、凄く鍛えていただいているなと感じます。
こんな感じで、時間が無いながらにも毎月欠かさず提出することを大切にしていまして、半ば強制的でも臨書するという習慣が人を育ててくれていると信じています。
そういう意味で競書誌のコンテンツは非常に重要で、新しい古典と出合う度に古典法帖を買って、全体の雰囲気を掴み取ったうえでチャレンジしてみるといったことも、書をより楽しくさせてくれますね。

「歸去來兮 田園將蕪 胡不歸」陶淵明

書軸のご依頼をいただき揮毫したものです。
「さあ、帰ろうではないか。故郷の田畑は、まもなく荒れてしまう。どうして私は帰らないのか。(いや、帰ろう)」といった意味。
なかなか構成としては難しい作品だったのですが、深い想いが表れるように、何度も意味を噛みしめながら書きました。
何日にも分けて書き、その日良いなと思っても次の日には「ああもう少しどうにかならんものか」と思いながら煮詰めて書きます。
雰囲気も色々書き分けしてみるのですが、最後らへんには自分の意志も相まって、雰囲気を絞り込めていましたね。
僕の出したかった雰囲気が、ご覧いただいた方にも伝われば嬉しいです。

仮名半切と臨王義之「龍保帖」

あまり読ませると良くないので、あえて書き下しを書かない笑
時々仮名の半切を書いて、先生にも指導をいただくのですが、半紙に比べて腕の動きがある分楽しいです。
仮名には仮名の線があると感じていますが、仮名を書く人でも、漢字をあまり書かない人の書く漢字は、そういった影響が見え隠れします。
僕は起業時、水上碧雲先生から漢字を封印されていました。
全然書いちゃダメと言うわけではないですが、ほとんど仮名の半紙の練習しかしていませんでした。
そのおかげで仮名を理解し、今では細かい字も得意?になりましたが、仮名を経験していなかったらこんな草書作品は毛頭書けなかっただろうなと感じています。

何だかんだ言っても仮名は、漢字から変化してできている字です。
近代詩文書であっても「漢字を仮名に寄せるか」「仮名を漢字に寄せるか」で変わってくるものですから、日頃向き合う字というものが、その書き手を構成するという点で、学び方を考えるということが大切です。
「動脈」

開業祝いとして贈呈用に制作させていただきました。
色紙サイズということで小さめの額なのですが、飾られている空間に確かに存在していて、その言葉から力が伝わってくるぞ、というイメージを頭に描きながら書きました。
今飾られている場で活躍してくれていると嬉しいですね。
「愛鷹の襞のもみぢのつばらかに見ゆる沼津の秋日和かな」若山牧水

こういった穏やかな字も書きます。(他の字はどう見えているのか)
各競書誌の書き方も学ぶし、自分が今ならっている先生の指導もある中で、自分というものを持ちながら、また自分を作りながら書道家というものをやっているわけですが、その中でこの書き方というのは好き勝手書いているタイプの書き方です。
見ていて穏やかな気持ちになれるように、と意識しながら書くものですが、こんな漢字かな交じりの書であっても、やはり古典を連想して書くもので、「この古典の雰囲気を出したいな」と思って書きます。
それを書くにも、自分の気分が大切だし、字形などはもちろん、筆も紙も墨も、色んなセッティングが整って、ようやくそれに近づけるというものです。
といった風に、日々色々な作品を書いています。
同じ古典を臨書するとしても、年月が経過すれば違った視点が見えてきます。
例え、それが毎回熟考を重ねていたとしても。
以前好きじゃなかった古典も、背景を知ったり、書いているうちに好きになったりします。
そうして出合った古典が新しい景色を見せてくれて、自分のものにしていく中で、違った景色を創り出す力になります。
多くのスポーツはなかなか年齢を重ねるごとに強くなることは難しいかもしれませんが、書道は中身ある修行を積めば鍛え上げられていくものだと思います。
そのこともこのホームページの作品集では語ってしまっていますが、是非ご覧いただければ幸いです。




