書家や書道教室をするうえで気を付けたこと③|無理に売らない
書家や書道教室をするうえで気を付けたこと③
ただいま好評の【書家や書道教室をするうえで気を付けたこと】Part3です。
前回のPart2が投稿後に物凄く多くの方にご覧いただけたことを嬉しく思っております。
書家と名乗る人の中でもあんな視点の記事を書く人はいないし、いたとしても見た人のためになる記事には簡単にならないことを分かったうえで、いつも書いております。
今回もそんな存在意義のある記事になれば幸いです。
必要のない作品は書かない。無理に売ろうとしない。
「どうにか作品買ってください!」と、家族親戚や友人、知人の経営者にお願いする。
そんな話が令和でも聞くことがあるのですが、作家として魂を売っているようなもんです。
僕も、誰も知られていない頃から、作品の売り方というものについてよく考えていました。
起業した時の理念として【一人でも多くの方に本物の書を届ける】とありますが、僕が書けば本物という意味でも無いし、誰にでも無料配布するというものでもありません。
あくまで適正価格で提示したうえで、正統派の書を基調とする僕の書を必要としてくださるなら、最大限の努力をして、書として本物と言っていただける作品をお届けします、といったところです。

僕はこの理念をベースに何事も判断するので、その道を外れることはしません。
家族親戚や友人、知人に、ご縁を理由に、無理に売りつけることもしません。
資本主義の考えのもと、必要なものは売れる、必要ないものは売れないという前提を大切にして活動してきました。
しかし、書作品にしても昔から書き手から売りつけられなくても、誰かを仲介して売られたり、知り合いやから買ってあげたという話を、幾度となく聞きました。
そして、その作品がまた見事に雑に飾られたり、物置の片隅に置かれていくのも知っています。
果たして書き手として、売れれば良いという状態になっていないでしょうか?
その作品は幸せな状況にあるのでしょうか?
「藤井碧峰の作品・商品を売りたい」といった営業電話も時々ありますが、お客様との直接のやり取りが大切だと分かっているのでほとんど断っています。
元々僕の仕事は、【作品を求めてくださる誰かの想いを作品として書く】というニュアンスが強いです。
それを誰かが介在すると想いも伝わりにくくなるし、こちらの熱量もそのまま伝わりにくいから、ほとんどが直接取引になります。

本当に必要とされる作品を書けばずっと飾っていただけます。
先日も一昨年作品を2点お買い上げいただいたお客様から、また作品を譲っていただきたいとの連絡が有り、前回の作品を職場に飾っているところお客様から好評だと聞き、大変嬉しくなりました。
書作品には言葉の持つ力が備わり、更に良い書と良い表具が備われば、良い場の雰囲気づくりにも大いに貢献し、人々の心をも動かしていく。
そんなことを、見切り発車で書家になった僕にも、何度も経験させていただきました。
では、売ろうとしないで、どうやって売るのか?
それは売れる仕組みを作ることです。
誰に聞くのでもなく、自分でその方法を考えることが、自分で書家をやりたい人の宿命です。
ある程度活動してきたら、売れないからと言って値下げをする必要もありません。
その価値を自分でつけている以上、相手に合わせて下げたところで、自分自身が最高のパフォーマンスを発揮するためのやる気を阻害されるなら、職人魂に賭けて断れば良いです。
値下げすると、自分自身の価値も下がっていきます。
つまり、お見積りを出した時に躊躇されたとしても、相手はそこにそれだけ価値を感じることができていないので、自分の作品を求めるに値していなかったと捉えることもできます。
強気過ぎるのは問題ですが、弱気過ぎるのも結局相手のためになりません。
自分のところである必要がなければ断る

ウチの書道教室も、地域では「藤井先生の教室はいつでも定員一杯で入れない、入れてもらえないって言われてますよ」って、変な(変じゃないか)噂をされているようです。
ただ、その割に入りたいって言ってた人に、実際にやり取りしてみたら入らないって人も何人もいたので、僕は逆に裏切られたような気持ちになることも多かったりしますが笑
生徒募集枠ができた場合には、書道教室の案内ページにて告知していますが、このような記載もしています。
「藤井碧峰書道教室|砺波教室・金沢教室」
【注意点】
ご入会希望の場合は、メールかメッセージにて
・ご連絡先(お名前、ご住所、電話番号)
・入会希望理由(なぜ藤井碧峰書道教室なのか)
をご記載のうえご連絡をお願いいたします。
これが非常に重要なところで、上記のように入りたいと言って入らない人を防いだり、入りたいと言っているけど別にどこでも良いと思っている人の入会を防ぐ効果を持っています。
この仕組みは他でも無いのではないでしょうか?
要はマッチングのためにそうしているわけです。
”文章にして送ってもらうこと”が大切で、文章にできない人はそもそも文章読んで無いから、志望動機も書かずに連絡がくるし、何故か電話で連絡してきたりするのでウチの書道教室には入れません。
自分が習うことになる場を大切に考えていれば、書道教室の長ったらしい紹介ページもご覧いただけるであろうし、その意味が分かったうえで連絡されていると、志望動機も本当に輝いて見えてきますね。

あとは、書作品制作のお問い合わせについても、内容的に”僕じゃないといけない”と思えなければお断りしています。
お店の看板でも商品ロゴでも、何回もお断りしましたね。
それが良い金額の仕事でも、自分がやって良かったと思えないなら虚しいし、沢山お金貰えたなという事実しか残らないようなことは、理念を無視して活動することになるのであり得ないですね。
【一人でも多くの方に本物の書を届ける】
理念には、会社員時代にお世話になり、退職前に亡くなった恩師への想いがあるから裏切れないですね。
必要としてくださる人に、必要とされた時に書ける人間でありたい。
いなくなってからではもう遅い。
ご依頼を受けた時は書く技術が無くても、調べながら、書き込んで学びながら形にしていく、ということを起業してから何度も経験してきました。
前回、「自分を大きく見せない」ということを書きましたが、着飾らないということも僕には当然のことで、自分が完璧だとか、天才だとか全く思いません。
自分の書けない、上手くやれていない瞬間を誰よりも知っているからです。

「藤井先生は若い書家の中で一番なんやぜ」とか、周りに言われることがあった時に、僕は一切そう思ってなかったから「はい」と言わなかったら、逆にキレられたりとか世間は割と滅茶苦茶です。
「もっと売上あげろよ。表に出て行けよ」とか言われても、売上あげる方法は腐るほど知っているけど、理念から外れた行動になるからしないわけで、人のことなんやから放っておけよって話です。
あんなことこんなこと、何でもやらないから正統派書道家藤井碧峰が成立します。
それを何でもやったら、多くの人の必要とした万能な姿になるだけで、尖ったところも何にも無くなるはず。
僕は書家のあり方や、書道教室のあり方について問題提起をして、その改善案を投じていきたいと思っているから、今のやり方が合っているんでしょうね。




