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悪しき慣習はぶっ壊す。書やビジネスの世界の問題

商売はなんのためにあるのか?何故書で生きるのか?

この書道家事業に対してずっと抱えている想いとして
・書道で商売をしてはいけない
・書(作品)を買う対象物として見ていない

といった、目に見えないけど時々世間に見え隠れする、この極めて不思議な概念、現象をぶっ壊したいと思って活動しています。

医王山と砺波平野|書道家藤井碧峰

書道で商売をしてはいけない以外にも、
・稼ぐことは悪だ
といったようなことを言う人も割と沢山います。

そう言う人は働きに行っても、給料受け取らなければ良いんです。笑
世の中全てがボランティア活動になったら、生産性に限りが出て誰のためにもならない。
資本主義社会に生きて、何故社会主義者のようなことを言うのか、とことん謎です。
それらの思考の理由を突き詰めていくと妬み、僻みなんですよね。

ビジネスとは人のためになることをして、その対価としてお金を頂くということ。
つまりはその稼いで表れる数値は、どれだけの人に貢献したかというパロメーターとも言えます。
なので、正義を貫いていかなければ成立しないところも多々あります。

藤井碧峰プロフィール写真

「書道で商売をしてはいけない」という考えは無いけど、腕が無いのに腕があるように見せかけて売るというのは良くないというのは強く思っています。
それは人を騙しているということですからね。
騙される側も悪いと言えばそうですが、正統派の書道家としては”本物が欲しい方だけ私にお声掛けください”とはお伝えしたいです。

お見積りをお問い合わせ頂いても実らないケースが多々あり、最近一部作品、オーダーメイド作品制作の価格表示を始めました。
額装・軸装作品等の制作費用|オーダーメイド書道作品
”価格の見える化”によって、見えないハードルを少しでも減らすことが大きな目的です。
いずれは我が書を求める人と極力繋がれるようにするためです。

価格の付け方は、売り手とビジネスの対象となる消費者とのお互いの最大限の満足感を得られる価格にしなければいけません。
価格が適正でなければ、手にした時の価値を落とすことにもなりかねないため難しいのです。
私の場合は徐々に価格を上げているので、これまた難しいことをしています。

書道家 藤井碧峰作品集

いずれにせよ、こんな34歳の書をも求める方がいるということが大変ありがたいことで、当然一生懸命にやっているだけに喜びが大きいものです。
一方で、その需要がありながら、もし自分が「書は売ってはいけない」という概念に翻弄されて、商売をしていなかったら、多くの方の喜びを生み出せていなかったということ。
売ってはいけないという意見は、世の中の幸せの循環から外れていると言わざるを得ません。

何故書(作品)を買い、飾るのか?

「問題」|富山|書道家|書道作品

「書(作品)を買う対象物として見ていない」という問題に関しては、その物体によって生まれる作用が想像つかないのが理由の一つだと思っています。
書を見て、
・売上が20%向上した
・腰が痛いのが治った
・難関試験に合格した
とかいう、科学的に何か証明できるものではないですからね。

一方で音楽が好きな私としては、音楽への感じ方は書でも同じように感じ取れるものだということをお伝えしたいです。
例えば私の小さい頃からの応援ソング【ZARD「負けないで」】は、辛い時に脳内で自動再生される曲です。
何で応援された気持ちになるかというと、小さい頃はさほど歌詞が理解できず優先的ではないので、歌い方とメロディーがそう演出するのだと思います。

逆に癒しとしてはカーペンターズのような雰囲気を求めるかもしれません。
歌詞が分からないと尚更、その歌い方とメロディーが強調されます。
でもどっちにしても、最初に曲を聴いた時に全て歌詞をつかみ取れるわけではないので、歌い方とメロディーは極めて重要です。

金子鷗亭先生石碑|佐久市望月|比田井天来先生

書道においては金子鷗亭先生が、「リズムがあるものは書、リズムがないものは字だ」と仰いました。
つまりは紙面が音楽を奏でているようなものが良い書だということでしょうか。
その書によって速い遅いや、高音か低音か等、様々な形があり、そういった視点でも見ていただければ良いのかなと思います。

近代詩文書の祖、金子鷗亭先生の書は見事に癒しを与えてくれます。
また時代性も感じられて見事なのですが、それは書いた詩文の内容を表現していることは当然、書を読まなくても雰囲気を醸し出していることが素晴らしいのだと思います。
書作品が存在することで、飾る環境の雰囲気を変えることにも繋がりそれはその場の人をも変えていきます。

「土」金子みすゞ|書道家 藤井碧峰作品集|書道作品の制作・販売

この金子みすゞ詩「土」は、露骨ですが”こっつんこっつん”のリズム感を表現したものです。
友人のテノール歌手のコンサートで彼がこの童謡を歌った際に、個人的に得たリズム感を忘れないうちに書きました。

【書の三人展】中野公民館まつり特別展示|富山県砺波市

『皆さんそれぞれの感性で見て感じてください』という、どこかの作品展示会場で、どこかの解説の方がおっしゃったらしいセリフ。
これはある意味正しいのですが、書を見ることが分からない方には間違っていると言えます。

まず、何か迫力のある感じで書いてあれば”凄そうに見える”のは多くの方にある感性ですが、見方が分からない場合は文の意味・内容ばかりを求めてしまいます。
それだと言葉の意味が優先されて、「良い言葉を書いているな」という感想が第一になってしまいがちです。

書を表現としてやるからには文が良いことも当然ですが、
・何故その人が書くのか
・何故その書き方をしたのか

という要素があって欲しいと思うのです。

文字性があるからゆえに訴求力が生まれるのが書の特徴と言えます。
絵や置物では目標・目的を意識して高めていこうという意思は築きにくいのではと思うからです。

例えば上記の「成人の集い」の字を右の「魂」風に書いていたとしたら、もう若い人の集いのように見えません。
とは言え元気よく書きすぎると、下手すると荒々しい集いに見えてしまうと思い、隷書体で平穏な雰囲気に作り上げました。

【参考】額装・軸装作品の制作金額|オーダーメイド書道作品|書道家藤井碧峰

もちろん力強い書というのも魅力的ですが、私の場合は繊細ながら力強いものを書いているようです(他の先生コメント)
こちらは「盡(尽)」という字ですが、この言葉に賭ける想いはいち事業者・仕事人としてお客様への尽くし方として表現しています。
その言葉に深く関われる人間性が書き手に無ければ、表現はそこまでのものになりかねません。

「寛容」|書道家 藤井碧峰作品集|書道作品の制作・販売

一方でこちらは「寛容」と書いたもの。
癒し系ですが、額装の仕方にもこだわっています。

他にも色々な書がありますが、藤井碧峰の書くものにおいてはそれぞれの書に雰囲気・表情を持たせることを大切にしています。
書が分からないという方は、それぞれの字の雰囲気・表情をつかみ取るということから始めてみると良いかもしれません。
とりあえず「寛容」の”容”はアヒルに見えるという話もございます。笑

そして、それをあなたのお部屋に飾った時に、雰囲気が変わるのを想像できませんか?
これによって日常生活の気持ちの持ちようは結構変わるのです。

つまりは豊かな暮らしに近づくためのスパイスです。
だからこそ書を多くの、まだ魅力を知らない方々に知っていただき、手にしていただきたくために、懸命に活動をし続けて参ります。

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