藤井碧峰
1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。
INFORMATION
ビリギャルさんには勝てないけど表題にもあるように、私は高3の6月に部活を引退した時、成績は学年中160人中155番の男でした。
(脱線ですがビリギャルさんは、当時の副部長が代表をしている会社で見つけた方です)
高2の冬から塾には通っていましたが1年生の時から一切勉強していなかったため周りに追いつけるはずもありませんでした。
周りには「絶対に国立大学受かるわけないやろ」と馬鹿にされ続ける日々。
でも”絶対に無理”とか言われると燃え上がるタイプなんですよね。
気持ちだけは一丁前なんですが本気になったのは秋頃でした。
模試を受けていても点数も足りずC,D判定くらいでしたかね。
でも少しずつ勉強の要領を掴んで点数が伸び始めていました。
塾で教わった方法でとにかく無駄の無い勉強をしました。
思い出せるだけ箇条書きしてみます。
①学校の授業は寝て、家や塾での勉強に集中する
②学校の宿題はいい加減にやる
③学校の試験はいい加減にやる
④分からなかったらすぐに解答、解説を読む
⑤センター試験の勉強に集中する
⑥英語は単語を覚えず、ひたすら長文を解いて勉強する
⑦英語は最初に長文を解き始める
⑧国語は設問だけ見て解答を導き出す練習をする
⑨数学は考えずただの作業になるくらいに反復学習
⑩日本史B、現代社会は得意なのでZ会の参考書を暗記
⑪センター試験終わるまで2次試験対策は無視
10年以上前のことなので思い出し切れていませんがこんな感じでしょうか。
これを見た方にとって参考になるかどうかわかりませんが、
学校では勉強は教えてくれますが、勉強の仕方は教えてもらえません
学校の授業は大人数でやるため個人個人に合わせた指導方法ではないため、どうしても効率の悪いやり方となります。
また宿題とは受動的なものでモチベーションに繋がりませんし、家で解いてきても解答を知るまでの空白の時間ができてしまいます。
解いた時の考え方も曖昧になっている時に解説を聞いても今一つではないでしょうか?
”国立大学合格”(←偏差値が高い必要はない)という目標に対して必要なことを自分なりに考えて行動すると、結構いらないことだらけだと思います。
周りは無駄な勉強方法を続けているので成績は一気に20番台くらいまで上がりました。
試しに昨年度の過去問を解いてみると、まぐれかもしれませんが700点を超えるようになってました。
センター試験当日、県立大学の前庭は凍り付き受験の前から滑っている受験生がいました。笑
英語のテストが一番印象的で、前年度までの傾向と全く違う内容で出題でした。
これが多くの受験生を悩ませました。
私はというと余裕でした・・・(アレっ?!
実は前日見た夢の中で同じような内容の問題を解くシーンがあったのです。
まさかの正夢が到来していたので緊張せずに落ち着いて解けたのでした!!!笑
そんなこんなで英語は過去最高の172点でした(リスニング悪くて足引っ張った)
数学、生物が悪くて点数が伸びず632点という点数で第一志望受けるには点数が足りず、第二希望受けるには余裕あり過ぎる、みたいな状況でしたが第二志望にしました。
二次試験を受け、目標の国立大学に合格しました。
個人的に「ヤッター!」って気持ちは一切なく安心しただけでした。
卒業後には高校側から「合格者は語る」という後輩たちへ話をする会に呼ばれました。
もちろん先生のいる前で先ほどの勉強方法を丸々伝えるわけにいかず残念でしたが、自分の考えを話す良い機会になりました。
果たして1年生の頃から赤点ばかり取っていて、3年生の時も授業中寝てばかりいた自分がその場にいて良かったのか分かりませんけどね?笑
勉強方法は置いておいてその会にいた、私とは違って優秀な方々の顔触れはほとんど「部活も勉強も頑張る人」でした。
これはいつも思うんですが、何か頑張れる人って大事な局面でちゃんと結果残すんですよ。
“努力することは癖”みたいなものだと思います。
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