厳しくも愛された水上碧雲先生との別れ | 藤井碧峰|正統派書道家

INFORMATION

BLOG 書道・筆文字

厳しくも愛された水上碧雲先生との別れ

藤井碧峰の生みの親、水上碧雲先生が亡くなられて

水上碧雲先生揮毫石標|【書の三人展】中野公民館まつり特別展示|富山|書道

藤井碧峰生みの親とも言える、水上碧雲先生が6月25日に99歳で亡くなられました。

先生とは4歳に出逢ってから、家族以外で最も身近な存在で、自分にとってはまさしく3人目のおじいちゃんでした。
また、大学からの進路は、老いてゆく先生の影響あっての道だったと言えます。

自分にとっては、小さい頃から書き初め大会以外に特に活躍したこともなく、辞める理由も無いから続けてこられたというのが正直なところでした。
年齢を重ねると部活や進学をきっかけに身の回りの友達も辞めていき、残されていくなかで寂しさを感じつつも、毎週土曜日のこの教室の場が自分の場所になっていきました。

大学受験の高校3年生の時、勉強のため数か月休むと伝えに行き、ふと思いがけず涙を流しながら帰ったことで、かけがえのない場所になっていることに気づき、意地でも富山に残る決意をしたのです。
つまりは富山大学に行き、自宅から通い続けることで、水上書道教室にも通い続けるということです。

当時、見事に模試の合否判定はEやらFでしたから、とんでもない馬力を出して進学できました。
これにて大学時代より12年程、毎週土曜日ほぼ欠かさず書道教室に通いました。

「中野幼稚園」水上碧雲先生揮毫|【書の三人展】中野公民館まつり特別展示|富山|書道

先生は僕が出逢った時からお爺さんでした。
その長い付き合いの中で、”近所の習字教室をしている先生と子供”という関係から、”師匠と弟子”というように関係性が変わっていきました。

時にそれが原因で祖母とともに数え切れないほど叱られてきましたが、先生から学んだことが自分の身体に刻みつけられるほど多くあり、先日お通夜、葬式と祖母とともに参ってきました。

起業してから関係が悪化し、自分が水上教室を去ったのは2020年3月のこと。
それからしばらく先生と関わらずにいましたが、その年の秋に連絡があり、失明されて教室を辞め、兄弟子に教室を任せたから手伝ってやってくれとのことでした。
当然断ることもありません。

先生はそれから自宅を離れられ、コロナ禍のこともあり、会えない人になりました。
でも僕は教室を去る際に、もう会えないことも覚悟していました。
先生の存在によって道がつくられてきたから、先生がいない世界を生きることは非常に辛いものがありました。

教室を辞められてから、数ヶ月おきに連絡を取り、現状を報告しながらいるうちに、兄弟子が水上教室を閉めた時に先生の展示をして恩を返したいと思いました。

【書の三人展】中野公民館まつり特別展示|富山県砺波市
【書の三人展】中野公民館まつり特別展示|富山県砺波市

それが2023年の「書の三人展」でした。
先生と連絡を取りながら、近隣住民の力を借りて作品を集めて、ほとんど一人でやり遂げました。
どこの公民館まつりの企画展示にも負けない、最高の展示をと思い、精一杯やらせていただきました。

先生は来れなかったけど、先生もご家族も喜んでくださりました。
先生の軌跡を探り、自分が偶然出逢えた幸運を実感したりもしました。

どういう書業をされてきたかを知り、水上碧雲という人のもとで学んだことが誇らしくなりました。
書道の世界で少しずつ表に出て活動するようになってから、「あなたはどの先生に習っているの?」と聞かれて、昔は少し表に出て、今は一切出ていない水上碧雲の名を出しても分からないだけで、この質問が大嫌いでした。
それも、僕がこの「書の三人展」をしたことでデータベースができ、ちゃんとその良さを伝えることが可能になりました。

(薬勝寺において)水上碧雲先生揮毫|【書の三人展】中野公民館まつり特別展示|富山|書道

地元の方たちでも、長年の僕と先生のやり取りを見てきた人の中には、どうしてそこまでできるの?と思われる人もいるようです。
色んなこと、辛いことも沢山あったけど、生徒の中でも一番大切にしていてくれていたことを心から感じているから、それだけです。
そして最後の最後まで誰よりも感謝の気持ちでいる弟子でありたい。

先生は「書道で食べていける時代では無いから、趣味程度に考えておかんなんぞ」と度々言っていましたが、それに反して書道家として起業してしまった僕。
大正生まれの方なので世代差ギャップも激しく、理解されないことも多くて大変でした。
だけど他所で書を学ばず、先生のもとでずっと育ったからこそ自由で、戦える武器がいくつもあったわけで、何だかんだで今の仕事に繋がる実用的なこともマメに教えてくださってました。

水上碧雲先生公民館まつり特別展示|富山|書道

去年結婚した時に、水上先生はどうしても報告したい人でした。
電話で先生に結婚の報告をした際に、「お前何か欲しいか?」と聞かれて、「先生が元気で、また会えたならそれが一番ですよ」と答えると「目は見えんけど、頭はしっかりしとるから大丈夫やぞ」と言われ、また会える時を楽しみにしていました。

100歳は余裕で生きれると、度々言っていた屈強な先生。
しかし願いは叶いませんでした。

何度か先生は夢に現れ、先生の自宅の書道教室のある2階に、盲目ながら上がってきてくれて話すことがありました。
いつまでも厳しく頑固な人ですが、目が見えなくなってからは優しく、電話越しに僕を認めてくれました。
「お前くらいの力があれば上手くやっていけっちゃ」

(薬勝寺において)水上碧雲先生揮毫|【書の三人展】中野公民館まつり特別展示|富山|書道

今僕にあるアイデンティティと言える、正統派の書や、自分の書における表情、言わば味は、水上先生から受け継いだものです。
僕の中に先生がいつもいる気持ちでいます。
それを誇りとして今後も懸命に、この時代を戦い続けます。

長い人生お疲れ様でした。
そして本当にありがとうございました。

この記事の著者

藤井碧峰

1990年2月富山県砺波市生まれ。平成生まれの若手書道家として、古典臨書に基づく正統派の書が持つ本物の字の良さを追求しながら、現代的で、誰よりも敷居の低い、身近な書道家を目指して活動しております。第七回比田井天来・小琴顕彰佐久全国臨書展 天来賞受賞。令和元年、日本三霊山 立山山頂 雄山神社峰本社に看板奉納。

コメントは受け付けていません。

関連記事

プライバシーポリシー / 特定商取引に基づく表記

Copyright © 2018 藤井碧峰|正統派書道家. All rights Reserved.
ショップリンク