書道家 藤井碧峰
【書道家 藤井碧峰 略歴】
・1990年
2月 富山県砺波市生まれ
・1994年
12月 4歳の時に地元の書道教室に通い始める(以後、水上碧雲先生に師事)
・2012年
3月 富山大学経済学部経営学科卒
4月 伏木海陸運送に入社
・2018年
3月 伏木海陸運送を退職
6月 書道家、本格的筆文字デザイナーとして開業
9月 北海道胆振東部地震チャリティーの企画、販売を実施
・2019年
3月 藤井碧峰 楽天市場店オープン
藤井碧峰書道教室を富山県砺波市で開講
6月 となみ夜高まつりにて西町の大行燈に揮毫
7月 高岡山町ヴァレーにて「藤井碧峰ミニ作品展」開催
北陸銀行砺波支店にて「藤井碧峰書作展」開催
8月 日本三霊山立山 雄山山頂雄山神社峰本社に看板奉納登山実施
・2020年
2月 藤井碧峰書道教室を石川県金沢市で開講
3月 富山県信用組合砺波支店・出町支店にて「藤井碧峰書作展」同時開催
5月 北陸銀行砺波支店にて「藤井碧峰書作展」開催
・2021年
4月 庄西中学校創校記念式にて記念講演
「となみらいアート2021 フォトモザイクアート」デザインを担当
5月 富山県信用組合出町支店にて「藤井碧峰書作展」開催
8月 北陸銀行砺波支店にて「藤井碧峰書作展」開催
・2022年
5月 北陸銀行砺波支店にて「藤井碧峰書作展」開催
9月 富山県信用組合出町支店にて「藤井碧峰書作展」開催
・2023年
1月 富山大学Engineプログラム「しごとーく」にて講演
5月 北陸銀行砺波支店にて「藤井碧峰書作展」開催
6月 となみ夜高まつりにて西町の大行燈に揮毫
7月 富山県信用組合出町支店にて「藤井碧峰書作展」開催
11月 中野公民館まつり【書の三人展】企画・編集
創玄展入賞、毎日展入選歴等あり
近年では第7回 比田井天来・小琴顕彰 佐久全国臨書展にて最高賞の「天来賞」受賞
その他展覧会にて数々の賞を受賞
石飛博光先生、水上碧雲先生に師事
書道家 藤井碧峰の仕事
書道家 藤井碧峰は主な仕事として、
・表札、命名書、慶弔印・住所印・領収書印(スタンプ)、Tシャツの制作
・書作品の制作
・看板、商品ロゴ、題字揮毫等
・藤井碧峰書道教室主宰(砺波・金沢)
を行っています。
【本物の書を一人でも多くの方にお届けすること】が起業時からの経営理念であり、活字が世に溢れ、手書きの良い字を書ける人が極めて少なくなった今、この問題に全力で挑んでいます。
私が書けば本物の書である、という意味では無く、本物の書をお届けするために、日々誠心誠意制作させていただくという意味で、この理念が存在しています。
また「書道家(書家)を名乗る者は作品を売って生活するものでなければならない」とも考えており、戦略的に事業を行ってきました。
書道家なのに、その人の書自体に魅力が無ければ、多くの方の生活に不可欠と言い切れない書作品は到底買い求めていただけません。
この点にこだわり、作品制作に重点を置いた経営・活動を展開してきて、今に至っております。
他にも、
・講演
・ペン字講座、出張型書道教室
・墓石等の字の揮毫
・各種代筆業務
などの仕事にも精力的に関わらせていただいております。
書道家 藤井碧峰の書の仕事の特色
書道家 藤井碧峰の書の仕事の特色として、
・古典に根ざした正統派の書であること
・お客様の需要に合うものが見つかる表現の幅広さがあること
・書道界と向き合うのではなく、一般のお客様と向き合う仕事であること
・少しでもお客様の想いに寄り添い、より良いものを作るために努めること
・たしかなものを、正当な価格でお届けすること
などが挙げられます。
”正統派の書”というのは字の源流とも言える中国の唐以前、日本では三筆以前の、古典名品と呼ばれる格調高い書を幅広く臨書(真似して学ぶ)し続けることで手に入れる書のことを言います。
それは癖の無い、品のある書であり、書に詳しくない人であっても何処となく懐かしさを感じるような、良い字だと言ってもらえる書だと、個人的には捉えています。
そして自分の好きな書体に偏るのではなく、幅広く古典名品を臨書し、日々お客様の制作を請け負うことで、幅広い表現が可能になってきました。
これにより、藤井碧峰という書道家一人で、多種多様な書き分けをできるというのが、お客様にとっての大きなメリットとも言えます。
書に親しみが薄くなってきている一方で、沢山の情報が溢れる今の世の中では、正しい判断をすることが難しいです。
その中で、お客様が知名度、経歴、肩書き、謳い文句などに惑わされることなく、私を選んでいただいたからには、本当に価値ある本物の書をお届けすることが、正統派書道家を名乗る人間としての重要な任務です。
良い筆字は多様な表情を創り出すことができますが、私の書は「筆字である意味を求め、藤井碧峰が書く意味」を各作品制作に求め、それは私の書の味とも言えます。
お客様との関わり合い方においても、幅広く物事への見識を持つことで少しでもお客様に寄り添い、お客様が藤井碧峰という書き手に依頼して本当良かったという、最高の購買体験をお届けすることが私の使命です。
藤井碧峰の手掛ける書は、
【迫力、スピード感、立体感(=奥行き)、重厚感、安定感、繊細さ、誠実さ、雄大さ、優しさ、可愛さ、高級感(=品)、躍動感、存在感、訴求力】
など、字に生命感を宿らせ、そのモノをより一層魅力的にすることができます。
字は伝達ツールであり、伝わらなければ意味がありません。
活字には到底表現できない、そんな奥深いものを誠意お届けしてまいります。
書道家という仕事に賭ける想い
今もそうかもしれませんが、自分の生み出す書が最高だという自負はありません。
ただ私を求めてくださる方には誰にも負けない気持ちで、最高だと言っていただける作品をお届けするために、誠意ある仕事をするべく日々の作品制作に立ち向かっています。
変な自信を持っては成長するための学びを怠ってしまいますし、常に謙虚でありながらも、その時々で精一杯の力を発揮することを求められるのが、この書道家の仕事だと思っています。
時間が経てば変化していくのも書道家というものです。
中学生の頃から起業を志していた私が、どうして書道家になったのか。
そもそも書道は4歳から始めていたものの、全く、ほんの1ミリも書道家になりたいと思ったことはありませんでした。
それも会社を退職するまでそうでした。
退職してから「これから何をするか」を考えた時に、忘れられない出来事が心のなかにありました。
会社員時代にお世話になった恩師のこと。
本当に厳しい方で、入社したての頃はミスを繰り返す私のことが嫌いだったと思います。
周りが全員敵に見えるほど追い込まれた時期もありましたが、私も精一杯の仕事をして信頼される良い仕事ができるようになっていきました。
それから部署を異動になって、前任者がいい加減な引継ぎをして会社を去っていった時、当時次長という立場ながら精一杯時間を作り、身体をはって良い仕事の仕方を教えてくださったのが恩師でした。
そのなかで自分も「この人に認められる仕事ができる男になりたい」と願ったものです。
異動から半年ほど経った時、残念なことにミスを起こしてしまい現場検証が行われることがありました。
怒られて当然だと思っていましたが、「藤井がやって起きたミスなら仕方ないな」と言ってくださりました。
自分にとっては最高の褒め言葉でした。
それから更に恩師に認められたいと思って頑張れる自分がいました。
ある時、慰労会で職場以外でしていることの話になりました。
書道の話になったわけですが、その時に「いつか藤井に一筆書いてもらわんなんな」とのお言葉を頂き、それからも幾度となく同じお言葉を頂きました。
しかし会社を退職する半年前の2017年9月、その方は急死されました。
亡くなられる2週間ほど前にお会いした時にも、先述のようなお言葉をいつもの笑顔で頂いていたから、自分の罪に気づきました。
求めてくださる人を裏切った。
2018年の5月頃、色んな事業での起業案が頭のなかにありました。
しかしどれもが、”自分がすべきことか?”という問いのなかで、違うと感じました。
書道家になるうえで、大きく引っかかる点は実力不足。
”自分ごときの実力で書道家になって良いのか、またそれは誠意ある行いなのか。”
だけど答えは無い。
恩師が亡くなった時に感じたこと。
どうして求めてくださる人がいた時に、すぐに書けなかったのか。
実力不足で書けなかったというのは自分の理由であって、相手の気持ちを考えるとそれは正義ではないのではないか。
自分の性格なら今後も実力不足を理由に書かないと思う。
それなら書道家という逃げられない立場になって、その環境のなかで自分のできることを精一杯やって、その時々で求めてくださる人のために最高のものを書くようにすれば良い。
これが自分の出した答えでした。
恩師との約束は永遠に果たせませんが、これでしか自分の想いに折り合いがつけられません。
求めてくださる人がいるなら、その想いを裏切らないことが自分の務めです。
2018年6月20日、書道家という形で起業することになりました。
実際に予想していた通り、自信の無さが邪魔してきますが、己との戦いのなかで実績を築き上げながら力を付けてきました。
佐久全国臨書展での受賞や師匠との出逢い、それからする予定の無かったの書道教室の開講。
日野新選組「誠」グッズでの字の採用から、山好きな友人との運命的な出逢い、そして立山山頂雄山神社峰本社への看板奉納登山。
起業前から運命的に繋がっていたと感じる三笑楽酒造との出逢いから、焼鳥真ゆき、居酒屋くだん、なかやす酒販といった方々との出逢い。
今もドラマは続いています。
良いことも悪いこともあります。
それでもこうして書道家として生き残らせていただけているのは、為すべきことがまだまだ沢山あるからだと信じています。
恩師とのあのかけがえのない日々のなかで学んだこと。
自分の手で誠意ある最高の良い仕事の仕方をしたい。
お客様が最高だ、世界一の作品だと感じていただけるものをお届けしたい。
どうかこの果てない書道家の道が、求めてくださる多くの方にとって最高・最善の選択となりますように。